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暦の上では

「梅の花が咲いたよ」と、母からの電話。
「今年は早いねえ。だけどまあ、暦の上では春だからね」
「まだ2月だよ」
「立春過ぎたら春なのよ。暦の上ではね」
「ふうん」
「ところであんた、帰ってくる気はないの?」
いつもの会話。こっち(東京)で就職するって言ったはずなのに。
田舎が嫌で東京の大学を選んだのに、何が悲しくて地元で就職するんだよ。
電話を切って、スマホをベッドに放り投げた。

就職はまだ決まらない。だけど絶対帰らない。
こっちには付き合って2年の恋人もいる。
彼女は大学のゼミが一緒で、やはりまだ就職が決まっていない。
でもお互いにバイトをしているし、いざとなったら一緒に暮らしてもいい。
僕はあまり焦っていなかった。

ところが、母から電話があった数日後、彼女から突然別れを告げられた。
「ごめんね。私、札幌に帰ることになったの」
「え? どうして」
「地元で就職するの。実は、もう決まってる」
最初からそういう約束で東京の大学に通わせてもらったと、彼女は泣きながら何度も謝った。
「なかなか言い出せなくてごめんね。今までありがとう」

僕はワンルームの小汚いアパートで、ごろんと寝ころんだ。
シミのある天井を眺めながら、ここにいる意味を考えた。
就職は決まらない。彼女はいない。こっちに残る意味ってあるかな。

そんなとき、再び母から電話があった。
「梅の花が咲いたよ」
「この前聞いたよ」
「この前よりたくさん咲いたのよ。このところ暖かいでしょう。なにしろ…」
「はいはい、暦の上では春なんでしょ」
「その通り」
いつもは鬱陶しい会話が、なぜか優しく思えた。

「ねえ母さん、俺、帰ろうかな」
思わずぽろりとつぶやいた。
「あら、梅の花は東京でも咲いているでしょう。それに帰ってくるなら、もっと満開になってからの方がいいわよ」
母が望んでいる言葉を口にしたのに、軽くスルーされた。
2泊3日の帰郷とでも思ったのだろう。ちょっとウケる。
苦笑しながら電話を切った。

そんなわけで、僕は今日も面接に行く。
住宅街の片隅に、梅の木があった。
いつもは気にも留めないのに、立ち止まって花を数えてみた。
思ったより多くの花が咲いている。
「暦の上では春なんだな」
誰にともなくつぶやいて、背筋を伸ばす。
風はまだ冷たいけれど、僕は前を向いて歩き出した。


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