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シロクマ婦人 [ファンタジー]

シロクマ婦人は、いつも白い毛皮のコートを着ている。
でっぷりと太り、丸まって歩く。
髪も肌も白く、黒目がちな目をしている。年齢不詳だ。
シロクマ婦人と名づけたのは僕だ。本名なんて知らない。
彼女とは、毎朝バスで乗り合いになるだけの関係だ。

シロクマ婦人は、座席2つ分を占領するが、もちろん二人分の料金を払えなんて思わない。彼女はとても愛すべき存在だ。
「で、そのシロクマ婦人は、毎日どこに行くの?」
咲が、興味深そうに身を乗り出した。
咲は僕の恋人で、2年近く一緒に暮らしている。
「知らないよ。僕の方が先に降りるから」
「気になるわ。白い毛皮のコートを着て、いったいどこへ行くのかしら」
尾行しよう、と好奇心旺盛な咲が探偵まがいのことを言い、僕たちは仕事が休みの日曜日、ふたりでバスに乗った。

5つ先のバス停から、シロクマ婦人が乗ってきた。
「本当にシロクマね。すごい毛皮。さわりたい」
咲が小声で言いながらはしゃいでいる。
『次は、動物園前、動物園前』
アナウンスが流れると、シロクマ婦人がすーっと手をのばし、降車ボタンを押した。
「やだ、動物園前で降りるわよ。シロクマだけに?」
笑いをこらえるように咲が言い、僕たちはシロクマ婦人に続いてバスを降りた。

シロクマ婦人は、迷いなく動物園に入った。
料金を払わずに入ったから、関係者なのだろうか。
「ねえ、ホントに動物園に行くなんてウケるわね」
二人分の料金を払い、シロクマ婦人の後を追った。

シロクマ婦人は、ゾウにもキリンにも猿山にも興味を示さず、まっすぐに向かった先は、シロクマの檻だった。
「やだ!シロクマ婦人がシロクマの前で立ち止まったわ」
咲は本当に嬉しそうだ。子供のように飛び跳ねている。
檻の中には、オスのシロクマが一頭。
金網越しに、シロクマとシロクマ婦人は、じっと見つめ合っている。
何分も何分も動かずに見つめ合っている。

僕たちは、ただ単にシロクマを見に来た客を演じて、シロクマ婦人の隣に立った。
そっとシロクマ婦人を盗み見ると、婦人の目から大粒の涙がいくつも流れている。
僕と咲は、思わず息をのんだ。
白い毛皮のコートが、小刻みに震えている。
興味本位で覗き見したことを、ひどく後悔した。
僕が小さな声で「帰ろうか」と言うと、咲も黙って頷いた。

帰りのバスの中、僕たちは無言だった。
どちらからともなく手を握り合い、寄り添ってバスに揺られた。

翌日から、シロクマ婦人はバスに乗らなくなった。
ぽっかり空いた座席を気にしているのは、僕だけのようだ。
「あの人、どうしたのかな」などと囁き合う人は誰もいない。

「駆け落ちしたんじゃない? あのシロクマと」
咲が、またおかしなことを言いだした。
「だって、すごく愛おしそうに見つめ合っていたじゃない」
「まさか」と言いながら、何となくそんな気もする。

日曜日、僕たちは動物園に行った。
シロクマの檻は空っぽだった。
「やっぱり駆け落ちよ」咲が、優しく金網を撫でた。

「シロクマのタロウは、先週死にました」
後ろから来た飼育員らしき男が、僕たちに声をかけてきた。
「1月に、シロクマのハナコが死んでから、めっきり元気をなくしていましたから」
飼育員は、寂しそうに空っぽの檻を見つめた。
僕がシロクマ婦人を初めて見たのは1月だった。

「夫婦だったのよ。タロウとハナコは」
「愛し合っていたんだね」
僕は、咲の手をぎゅっと握った。
檻の中に、シロクマの夫婦が見えるような気がした。

「あのさ、結婚する?」
春の陽だまりの中で、咲がこくりと頷いた。

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