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桜が見える部屋 [公募]

南側の窓を開けると、桜の花びらがふわりと舞い込んできました。
川向こうの桜並木から、はるばる風に乗ってやってきたのでしょう。
小さな花びらは、しばらく空中で遊びながら、あなたの写真の上にちょこんと舞い降りました。
桜が好きだったあなたが、写真の中で笑っています。

一緒に暮らすことになったとき、あなたはいつになくはしゃいだ声で言いました。
「いい部屋を見つけたよ。窓から素晴らしい桜並木が見えるんだ」
年に一度の桜より、駅に近い方がいいと正直思いましたが、あなたがあまりに嬉しそうなのでこの部屋に決めました。
桜が見えるこの部屋で、あなたと生きると決めました。

あなたは居酒屋で働き、私は図書館で働いていました。
昼と夜、すれ違いの毎日でしたが、私が出かけるとき、あなたは必ず布団の中から顔を出して「いってらっしゃい」と言ってくれました。
伝えたいことを手紙に書いておくと、疲れて明け方に帰ってきても必ず返事をくれました。
『子供たちに読み聞かせをすることになりました。上手くできるか心配です』と書けば、『君の優しい声を聞けば、子供たちはきっと、もっと読んでとせがむでしょう。僕も子供に混ざって聞きたいくらいだ』と書いてくれました。
本当に優しい人でした。

互いに仕事が休みの日は、一緒にお散歩をしました。
河原に座って、ただ風に吹かれるだけで幸せでした。
言葉がなくても気持ちが通じる人に出会ったのは初めてでした。
春にはこの部屋で、桜を見ました。
「やっぱりこの部屋にしてよかったね。家の中で花見ができるなんて贅沢だろう」
桜を見るたびに、あなたは得意げに言いました。
私は少しうんざりして「はいはい」と笑うのでした。
私たちは、この先何年も何年も、一緒に桜を見ると信じていたのです。

この部屋で見る三度目の桜が満開になった夜、ひとりの女性が訪ねてきました。
彼女は目に涙をためて、あなたの名前を呼びました。
「どれだけ探したと思っているの」と泣きながらあなたにすがりました。
「マキもパパを待っているわ」と、彼女が子供の名前を出すと、あなたの表情が少し揺れました。

五年前に家族を捨てて失踪したのだと、あなたは話してくれました。
仕事が上手くいかず、心のバランスを崩したのだと。
住処を転々として、小さな町の居酒屋に落ち着き、そこで私と出会ったのです。
やっと居場所を見つけたのだと、あなたは言ってくれました。
だけど事情を知ってしまった以上、もうあなたと暮らすことは出来ません。
私はあなたを追い出しました。
罵って、泣きわめいて、あなたを切り捨てました。
あなたを「パパ」と呼ぶ子供には、どうしたってかなわないと思ったからです。

あなたがいなくなったこの部屋で、私は何度桜を見たでしょう。
「今年も咲いたわ」と、あなたの写真に何度話しかけたでしょう。
虚しいだけだと知りながら、私はあなたの抜け殻と暮らし続けているのです。

あなたの写真に貼り付いた桜の花びらを指でつまんで、風に乗せてあげました。
やはり川向こうから来た花びらたちと一緒になって、気持ちよさそうに空を漂っています。
私はあなたの写真を持って外へ出ました。
あなたの抜け殻を捨て、歩き出そうと決めました。
思い出にすがって生きるのはやめて、桜の木の下に写真を埋めることにしました。

桜並木を歩いていると、肩や髪に花びらが舞い降りてきます。
「満開の桜も好きだけど、散り際の桜もいいね」
捨てようと思っているのに、写真のあなたが話しかけてきます。
振り切るように一本の桜の木を選び、その下にしゃがみこみました。
あなたの笑顔を、ここに埋めます。
それであなたへの想いが消えるわけではないけれど、気持ちにけじめをつけたいのです。

硬い土を掘り起こそうとしたときです。
風に乗ってあなたの声が聞こえました。懐かしいその声は、私の名前を呼んでいます。
顔を上げると、ひとつ先の桜の下に、あなたが立っています。
ついに幻を見てしまったと、不自然な瞬きをくり返す私を見て、あなたは照れたように頭を掻きました。
「妻に追い出されてしまったよ」
不器用に笑いながら、少しずつ私の方に近づいてきます。
「娘がこの春社会人になってね、もう僕は、あの家に必要ないんだってさ」
桜の花びらが、雪のように絶え間なく降っています。
その光景はまるで、夢と現実の境目のようで、私は思わずつぶやきました。
「これは夢なの?」

懐かしい腕が、私を抱きしめました。
「またふたりで、桜を見よう」
何もかもが薄紅色に染まっていく景色の中で、私は小さく頷きました。

******

公募ガイド「TO-BE小説工房」で落選だったものです。
テーマは桜でした。
書きやすいテーマだっただけに、難しかったですね。
後から読み直して、この作品はハッピーエンドじゃない方がよかったかも と思いました。
どうでしょうか?


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