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スノードームの街 [ファンタジー]

離れて暮らすパパから、贈り物が届いた。
『ユイ、いい子にしているかな。少し早いけど、クリスマスプレゼントだよ。パパは、イブには帰れそうもないから』

パパのプレゼントは、丸い大きなスノードームだ。
ドームの中は雪の街。素敵な建物と、冬木立。
大きなツリーの下に、5人の子供たちがいる。
ドームを振ると、雪がふわっと舞い上がり、街を真っ白に染める。
「きれい。ねえママ、パパが暮らしているのは、こんな街?」
「そうね。パパの赴任先は北欧だから、きっとこんな街ね」
「行ってみたいな~」

パパはこの春、単身赴任で外国に行った。
「パパがいなくても全然平気」なんて言ったけど、運動会もキャンプも、パパがいなくて寂しかった。クリスマスもいないのか…。

それから私は、飽きるほどスノードームを見て過ごした。
ひっくり返して雪を降らせて、止んだらまた降らせて。
何度も何度も繰り返し、遠い街に想いを馳せた。
そしてイブの日、パパからクリスマスカードが届いた。

『ユイ、いい子にしているかな。イブの夜に、パパからのプレゼントだ。願いを込めてスノードームを3回振ってごらん。きっと願いが叶うよ』

私は、スノードームを両手で持って、願いを込めて3回振った。
ふわっと体が宙に浮いて、私は白い街にいた。
素敵な建物、冬木立。私は、スノードームの街にいた。
大きなツリーの下で、5人の子供たちが私を呼ぶ。
「こっちにおいでよ。点灯式が始まるよ」
カウントダウンが始まった。スリー、ツー、ワン。
ツリーがブルーに光り、子供たちは歓声を上げる。
「きれいだね。素敵だね」
振り向くと、子供たちはいなかった。きっと家に帰ってしまったんだ。
そのかわりに、木立を抜けて背の高い男の人が歩いてくる。
見覚えのあるグレーのコートを着ている。
「パパ!」
「やあ、ユイ。メリークリスマス」

地面の雪がふわっと舞い上がり、街を真っ白に染める。
誰かが、ドームを振っているんだ。
何度も何度も、パパと私に雪が降りそそぐ。
離れていた時間を埋めるように、私たちはずっと手をつないでいた。

「ユイちゃん、ごはんよ」
ママに肩を叩かれて、眠っていたことに気づいた。
夢だったのか。
机の上のスノードームを見る。
「あれ?」
ツリーがブルーになって、5人の子供がいなくなっている。
かわりに、グレーのコートの男の人と、小さな女の子が手をつないでいる。
これはきっと、私とパパだ。
ドームを振っていたのは、たぶん私。ほら、こんなふうに何度も何度も。

テーブルには、クリスマスのご馳走が並んでいた。ママは何だか嬉しそう。
「あのね、ユイちゃん、パパが春に帰ってくるのよ」
「ふうん」
「あら、あまり喜ばないのね。ドライな子」

うふふ。だって私、さっきパパに会ったもん。
ヤキモチやくから、ママにはナイショ。


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紫陽花の恋 [ファンタジー]

紫陽花は、気まぐれ、移り気などと言われますが、私は違います。
私は一途です。
私が恋をしたのは、目の前のアパートに住むT大生です。
爽やかでイケメンで、おまけに頭がいいのです。

彼は毎朝、大家さんに挨拶します。
「おはようございます。紫陽花がきれいに咲きましたね」
きれいだなんて言われてしまいました。照れます。
大家さんは私に水をかけてくれながら、ひとりごとをつぶやきます。
「いい男だね。礼儀正しいうえにT大か。あたしが50歳若かったら惚れてたよ」
私も思います。私が彼に似合いの(人間の)女性だったらどんなに嬉しいか。
彼が目の前を通るたびに、私は花びらをピンクに染めました。

ある日、彼が女を連れてきました。彼より年上に見えます。
ブランド品を身に着けた、いけ好かない女です。
私は、カタツムリに命じました。「さあ、あの女の頭に乗りなさい」
カタツムリは、私の葉っぱからぴょんと飛んで、女の頭の上に乗りました。
「きゃ、なにこれ、キモ!」
女はカタツムリを投げつけました。
ほらごらん。ろくな女じゃない。きっと純情な彼をたぶらかそうとしているのです。

彼は憂うつそうな顔で私を見ています。
「どうかしたの?」と、女が言いました。
「ああ、ごめん。実は母が入院してね、ちょっと難しい病気なんだ」
「まあ……」
「治療費がかかるから、大学をやめて働こうかと思っているんだ」
「そんな、T大をやめるなんて勿体ないわ。いくら必要なの?」
「いや、そんなこと、マキさんに頼めないよ。ごめん、忘れてくれ」
「いいのよ。どうせ夫が株で儲けたお金よ。あなたのお母様のために使いたいの」
マキという女、結婚しているようです。なんて女でしょう。
しかもお金で彼を繋ぎとめようとしています。あざとい女です。
でも彼は、きっとマキのことが好きなのでしょう。
人目もはばからず、紫陽花目もはばからず、ふたりは抱き合いました。

地面に叩きつけられたカタツムリが、葉っぱの上に這い上がってきて、
「どうせ叶わぬ恋だよ。せっかくきれいに咲いたのに残念だけどさ」
と、自分の痛みも忘れて慰めてくれました。

しばらくして、彼の姿が見えなくなりました。
優しい彼のこと、きっと病気のお母様のところに行ったのでしょう。
マキはたまに見かけました。彼がいなくてがっかりして帰りました。
ざまーみろ、と思いました。

日差しが眩しくなって、本格的な夏がやってきました。
私の季節ももう終わりです。
そんなとき、大家さんが近所の人と井戸端会議にやってきました。
「詐欺師だったらしいよ」
「あらまあ、あのT大生が?」
「T大っていうのもウソだったらしいよ」
「若い女から金をだまし取ってたんだって。怖いねえ」
「ホントにね。あたし騙されなくてよかったよ」
「ちょっとあんた、あたしゃ若い女って言ったんだけど」
ハハハハハハハ

何の話をしているのでしょう。
どうでもいいけど水をください。今にも枯れそうです。
花の先っぽが、茶色くなってきました。
大家さんたちは、まだしゃべっています。
カタツムリが、葉っぱから話しかけてきます。
「おいらたちの季節はもう終わりだな。紫陽花さん、もし一緒に人間に生まれ変わったら、おいらと恋をしようよ」
「あたし、メンクイよ」
「知ってる」

夕立が降ってきました。気持ちいいです。
さあ、もう一花咲かせましょう。


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おじさまと人魚 [ファンタジー]

子供の頃、冒険家のおじさまの話を聞くのが好きだった。
海賊に襲われて、命からがら逃げた話や、どこかの民族の酋長に気に入られて、危うく婿養子にされそうになった話。
大きな熊と闘った話もあった。

私がいちばん好きだったのは、おじさまが人魚と恋に落ちた話。
船が遭難して、人魚の国にたどり着いたおじさまは、ひとりの人魚と恋をした。
だけどおじさまは海の中では生きられず、人魚は陸では生きられず、悲しい別れとなった。
おじさまは、とてもつらそうに話してくれた。
その話を聞くたびに、私は切なくなった。
おじさまは、きっとその人魚が忘れられないから、誰とも結婚しないのだろうと思っていた。

月日が流れて、おじさまはすっかり年を取った。
幼かった私も、すっかり大人になった。
いくつかの恋をして、社会に揉まれ、おじさまの冒険話を素直に信じる子供ではなくなった。
おじさまは冒険家などではなく、定職を持たずにふらふらしていただけだと母から聞いた。
親戚中から疎まれていたことも、今は知っている。

おじさまは、海辺の施設に入っている。
訪ねて行っても、もう私が誰だかわからない。
窓辺の椅子に座り、静かに海を眺める横顔があまりに悲しそうだから、私は思わず言った。
「おじさま、人魚のことを考えているのね」
おじさまは、ハッとした顔で私を見た。
「なぜ人魚のことを知っている」
「おじさまが話してくれたのよ。私が小さいころにね」
おじさまは目を細めて私をじっと見た。
「あんたは信用できそうだ。ちょっとそこのジュラルミンケースを取ってくれんか」
おじさまがいつも持ち歩いていた銀色のケースが、ベッドの横に置かれていた。
おじさまが首から下げた鍵で扉を開けると、中に缶の箱があった。
「それを持ってついてきなさい」
杖をついて歩き出したおじさまを、私は慌てて追いかけた。

「おじさま、どこへ行くの?」
おじさまは答えない。まるで恋人にでも逢いに行くように、頬が微かに紅潮している。
施設の前は海だった。おじさまは歩きづらそうに砂浜を歩き、テトラポットに腰を下ろした。
「その缶を開けてくれ」
おじさまに言われて止め金を外し、蓋を開けた私は、「キャッ」と小さな悲鳴を上げた。
中には、干からびてミイラになった魚が入っていた。
もはや何の魚かわからないが、完全に水分が抜けてシシャモくらいの大きさになっている。
「そいつを海に返してやってくれ」
「おじさま、海に返したところで、もう泳がないわよ」
「いいんだ。さあ、彼女を海に返してやってほしい」
彼女…? おじさまは、愛おしそうに魚のミイラを見た。

私は、魚のミイラをそっと波に乗せた。
魚のミイラは、寄せては返す波に身をまかせ、やがて沖へと姿を消した。
おじさまは、泣いていた。きらきら光る波に消える魚のミイラに、小さく手を振っていた。

おじさまが人魚に恋をした話は、もしかしたら本当だったのかもしれない。
海と陸、引き裂かれたおじさまは、人魚によく似た美しい鱗を持った魚を、ずっと傍に置いていたのかもしれない。ミイラになっても、ずっと、ずっと…。

水平線に何かが飛び跳ねて、きらりと光った。
おじさまは、愛おしそうにそれを眺め、ふいに振り向いた。
「私が、七つの海をまたにかけ、冒険していたころの話を聞きたいかね?」
私は、反射的に手を叩いた。
「待ってました!」
おじさまは、昔みたいに勇ましく笑った。


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いつか人間に [ファンタジー]

次に生まれ変わるときは、絶対人間になりたかったのに…。

わたしはハムスターになった。
行きつく先のない回し車の上を、ただひたすらに走り続ける毎日だ。
なんて狭い世界だろう。なんてちっぽけな命だろう。

わたしはかつて、陸上選手だった。
誰よりも早く走り、オリンピックを目指していたが、戦争によって命を落とした。
生まれ変わってまた走りたいと願ったら、わたしは犬になった。
広い草原で、飼い主が投げたボールを走って拾いにいくのが、なにより楽しかった。
だけど四つ足で走るのは、やはり違うと感じた。

次にわたしは鳥になった。
翼を広げ、大空を飛ぶのは素晴らしかった。
風に身をまかせ、自由を満喫した。
だけどやはり、わたしは大地を走りたかった。

そして今度こそはと思ったのに、よりによってハムスターだ。
プラスチックのケージに入れられて、ここから出ることも許されない。
もっとも、小動物にとって外の世界がどれだけ危険かは知っている。
犬や鳥だった経験から、身に染みてわかる。
だから、この回し車の上をひたすら走り続けることが、今のわたしの全てなのだ。

飼い主は、いつも白い服を着た清潔な優しい女だ。
ときどきわたしを手のひらに乗せてくれる。
結婚をしたことはないが、女の温もりは知っている。
優しくて柔らかくて気持ちいい。

小動物の命は短い。わたしはきっと、まもなく死ぬだろう。
もしも人間に生まれ変われたら、この清潔で優しい女性のような人と結婚したい。
わたしは、彼女の手のひらで、そんな夢を見るのだった。
そしてわたしは、やはり走りたい。
出来ることならオリンピックの舞台に立ちたい。
神様、お願いです。今度こそは人間に生まれ変わりたいのです。

「教授、ハムスター、今日で7年6カ月です」
「そうか。薬が効いているようだな」
「はい。ハムスターの寿命をはるかに超えています。きっとまだまだ生きますよ」
「実験は成功だ。次はもっと大きな動物で試してみよう」
「はい、教授。人間の不老不死も夢ではありませんね」

カラカラカラ…
永遠の命を手に入れたハムスターは、今日も回し車の上を走っている。

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うちのハムちゃん。
長生きしてね~^^


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田植えの季節 [ファンタジー]

5時を告げるメロディが、村に流れた。
「峠の我が家」は優しく心に響く。
秀じいさんは、思わず歌詞を口ずさみながら腰を叩いた。
田んぼに水を張り、あとは苗を植えるだけだ。
昔は家族そろって田植えをしたものだが、息子家族は帰っても来ない。
秋に新米をもらいに来るときだけ、嫁は愛想がいい。

「さてと、帰るべ」
ふり返ると、水面に緑の山がくっきり映っている。
いい季節だ。

秀じいさんは家に帰ると、簡単な夕飯を作る。
女房が生きていた頃は、テーブルにたくさんのおかずが並んだものだが、今は魚の干物とお新香と味噌汁だけだ。
ひとりの食事は、そんなものだ。
だけどご飯だけは、こだわって炊く。鉄の釜で、ふっくらと炊く。

秀じいさんは炊きたてのホカホカご飯を、仏壇に供えて手を合わせた。
「さあ、いっしょに食うべ」
2年前に女房を亡くしてから、ずっとこんな毎日だ。

翌朝、秀じいさんは身支度を整えて田んぼに向かった。
すると朝の少し冷えた風に乗って、田植え歌が聞こえてきた。
「誰だべ? おれの田んぼにいるのは」
それは姉さんかぶりをした女だった。振り向くと、その女は死んだ女房だった。
「秀さん、おそいよぉ」
「なんだ、おまえ。どうしてここにいるだ?」
「田植えを手伝いにきたのよぉ。毎晩美味しいご飯を供えてもらってさ、手伝いもしないんじゃ悪いべ」
「そうか。そりゃあ助かるな」

秀じいさんと女房は、並んで田植えをした。
女房は、病気になる前の健康な笑顔で、手際よく苗を植えていく。
これは夢だな。いい夢だな。
秀じいさんはそう思いながら、女房に合わせて歌を歌った。
半分植えたところで、女房は畔に腰を下ろした。
「秀さん、ひと休みすべ」
「ああ、そうすべ」
ふたりは並んで座り、鳥の声を聞きながら、いろんな話をした。
女房はコロコロと笑い、数年前に戻ったようだ。
秀じいさんはごろんと横になり、流れる雲を見た。
「気持ちいいぞ。おまえも寝っ転がってみろ」
そう言って横を見たら、女房はもういなかった。
「なんだ。本当に夢だったか」
いや、夢ではない。女房が植えた苗は、そよそよと風に揺れていた。
「きっと天国に帰ったんだべ」
秀じいさんは起き上がり、大きく伸びをした。

「おじいちゃ~ん」
どこからか声がした。
子供が秀じいさんに向かって手を振っている。
「あれえ、孫の裕太と桃香でねえか」
ふたりの子供の後ろから、息子夫婦が汗を拭いながら歩いてきた。
「父さん、田植えの手伝いに来たよ」
「お義父さん、ご無沙汰しています」
「ほお、珍しいこともあるもんだ」
「昨夜お袋が夢枕に出てきてさ、田植えを手伝えって言ったんだ」
「子供たちの食育体験にもなると思ったんです。この子たち、食が細くて」

都会のもやしっ子が、きゃあきゃあ騒ぎながら苗を植え始めた。
賑やかな声が田んぼに響く。
空の上から、女房が笑っているような気がした。
「今夜はたくさんご飯を炊くべ」


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シロクマ婦人 [ファンタジー]

シロクマ婦人は、いつも白い毛皮のコートを着ている。
でっぷりと太り、丸まって歩く。
髪も肌も白く、黒目がちな目をしている。年齢不詳だ。
シロクマ婦人と名づけたのは僕だ。本名なんて知らない。
彼女とは、毎朝バスで乗り合いになるだけの関係だ。

シロクマ婦人は、座席2つ分を占領するが、もちろん二人分の料金を払えなんて思わない。彼女はとても愛すべき存在だ。
「で、そのシロクマ婦人は、毎日どこに行くの?」
咲が、興味深そうに身を乗り出した。
咲は僕の恋人で、2年近く一緒に暮らしている。
「知らないよ。僕の方が先に降りるから」
「気になるわ。白い毛皮のコートを着て、いったいどこへ行くのかしら」
尾行しよう、と好奇心旺盛な咲が探偵まがいのことを言い、僕たちは仕事が休みの日曜日、ふたりでバスに乗った。

5つ先のバス停から、シロクマ婦人が乗ってきた。
「本当にシロクマね。すごい毛皮。さわりたい」
咲が小声で言いながらはしゃいでいる。
『次は、動物園前、動物園前』
アナウンスが流れると、シロクマ婦人がすーっと手をのばし、降車ボタンを押した。
「やだ、動物園前で降りるわよ。シロクマだけに?」
笑いをこらえるように咲が言い、僕たちはシロクマ婦人に続いてバスを降りた。

シロクマ婦人は、迷いなく動物園に入った。
料金を払わずに入ったから、関係者なのだろうか。
「ねえ、ホントに動物園に行くなんてウケるわね」
二人分の料金を払い、シロクマ婦人の後を追った。

シロクマ婦人は、ゾウにもキリンにも猿山にも興味を示さず、まっすぐに向かった先は、シロクマの檻だった。
「やだ!シロクマ婦人がシロクマの前で立ち止まったわ」
咲は本当に嬉しそうだ。子供のように飛び跳ねている。
檻の中には、オスのシロクマが一頭。
金網越しに、シロクマとシロクマ婦人は、じっと見つめ合っている。
何分も何分も動かずに見つめ合っている。

僕たちは、ただ単にシロクマを見に来た客を演じて、シロクマ婦人の隣に立った。
そっとシロクマ婦人を盗み見ると、婦人の目から大粒の涙がいくつも流れている。
僕と咲は、思わず息をのんだ。
白い毛皮のコートが、小刻みに震えている。
興味本位で覗き見したことを、ひどく後悔した。
僕が小さな声で「帰ろうか」と言うと、咲も黙って頷いた。

帰りのバスの中、僕たちは無言だった。
どちらからともなく手を握り合い、寄り添ってバスに揺られた。

翌日から、シロクマ婦人はバスに乗らなくなった。
ぽっかり空いた座席を気にしているのは、僕だけのようだ。
「あの人、どうしたのかな」などと囁き合う人は誰もいない。

「駆け落ちしたんじゃない? あのシロクマと」
咲が、またおかしなことを言いだした。
「だって、すごく愛おしそうに見つめ合っていたじゃない」
「まさか」と言いながら、何となくそんな気もする。

日曜日、僕たちは動物園に行った。
シロクマの檻は空っぽだった。
「やっぱり駆け落ちよ」咲が、優しく金網を撫でた。

「シロクマのタロウは、先週死にました」
後ろから来た飼育員らしき男が、僕たちに声をかけてきた。
「1月に、シロクマのハナコが死んでから、めっきり元気をなくしていましたから」
飼育員は、寂しそうに空っぽの檻を見つめた。
僕がシロクマ婦人を初めて見たのは1月だった。

「夫婦だったのよ。タロウとハナコは」
「愛し合っていたんだね」
僕は、咲の手をぎゅっと握った。
檻の中に、シロクマの夫婦が見えるような気がした。

「あのさ、結婚する?」
春の陽だまりの中で、咲がこくりと頷いた。

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はつこい [ファンタジー]

僕の初恋は、姉のお雛様だった。
大きな屋敷にあるような七段飾りではなく、お雛様とお内裏様だけの一段飾りだ。
姉はお雛様を飾るたびに、「さわらないでよ」と言った。
だから僕は、少し離れたところから、お雛様を眺めるだけだった。

僕は小学生になった。
母と姉が出かけて、僕は子供番組を見ながらひとりで留守番をしていた。
「くすくす」と笑い声がした。
振り返ると、お雛様が笑っている。
見間違いかと思ったけれど、何度も笑う。
「テレビ、面白いの?」
「ええ、面白いわ。だってこの子、何度叱られても同じいたずらをするんだもの」
「そうだね。チャレンジャーだね」
「キミとは大違いね。キミは、お姉さんが私にさわるなと言ったら、本当にさわらないんだもの。良い子すぎてつまらないわ」
「さわって…いいの?」
「もちろんいいわよ」

僕は、お雛様に初めて触れた。近くで見ると、すごくきれいだ。
「きれいだな」
「ありがとう。お内裏様は、そんなこと言ってくれないわ」
「そうなの?」
「もともと愛なんてないのよ。政略結婚だから」
「せいりゃくけっこん?」
「キミにはわからないでしょうけど、昔はね、自分の気持ちなんて関係ないの。家のために結婚するのよ」
「ふうん」
そのとき、母と姉が帰ってきて、僕は慌ててお雛様を戻した。
「ただいま。あんた、お雛様にさわった?」
「さ、さわってないよ」
「そう。ならいいわ」

その後もお雛様は、僕がひとりのときに話しかけてきた。
たいがいはお内裏様の愚痴だった。
「あの人、何を考えているのかわからないの。ちっとも話さないしね。キミとのおしゃべりの方がずっと楽しいわ」
小学生の僕には、重い話だったけど、なぜかとても嬉しかった。
だけど月日が流れるにつれて、お雛様の愚痴はだんだん減っていった。
「あの人、無口だけど意外と優しいところもあるのよ」
「へえ」
「不器用なのよね。簡単に愛を口にする人より信頼できると思うわ」
「へえ」
「キミは、好きな子はいないの?」
「え?あっ、姉ちゃんが帰ってきた」
そんなふうに、僕たちの楽しい時間は過ぎていった。

姉は中学生になると、お雛様を飾らなくなった。
「どうして飾らないの?」
「勉強が忙しいの。お雛様どころじゃないわ。男のくせにお雛様を飾りたいなんて、あんた、もしかしてオカマ?」
姉の言葉に傷つきながらも、いつしかお雛様を飾らないのが当たり前になり、僕の人知れぬ初恋は終わりを告げた。

さらに月日は流れ、姉は結婚して男の子ふたりの母になった。
その後僕も結婚して、秋に女の子が生まれた。
「まあ、初節句ね。お雛様を買わなくちゃね」
母の言葉に僕は、姉のお雛様を思い出した。
「おれ、姉ちゃんのお雛様が欲しいんだけど」
「あんな古いお雛様より、新しいのを買ったら」
母は言ったけれど、僕はどうしても姉のお雛様がいいと言った。
妻もそれでいいと言ってくれた。
姉は「別にいいけど。あんた、小さいころお雛様にさわらせてもらえなかったのが、よほど悔しかったのね」と笑った。

久しぶりに会ったお雛様は、やはりきれいだった。
もうしゃべることはなかったけれど、見るたびに甘酸っぱい想いが甦る。
娘が3歳になった穏やかな春、家族でお雛様を飾った。
「ねえパパ」
お雛様をじっと見ながら娘が言った。
「せいりゃくけっこんって、なに?」

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優しい物々交換 [ファンタジー]

いつも時間に追われていた。
朝ご飯、息子二人と夫の弁当、洗濯、9時から3時までのパート仕事。
買い物と掃除を済ませると、あっという間に夜だ。
自分の時間なんてまるでない。

ハンバーグを作ろうとしたら、卵がないことに気づいた。
慌ててエプロンを外し、財布だけ持って夕暮れの街に出かけた。
途中の古い家に漂う金木犀の香りに足を止めた。
垣根の中から、杖をついたおばあさんが顔を出した。
「いい香りでしょう。よかったらお茶でもいかが?」
「いえ、私とっても忙しいので。買い忘れた卵を買いに行くところなんです」
「まあ、卵なら家にあるわ。差し上げるわよ」
おばあさんはそう言うと家に入って卵を1パック持ってきた。
「私は食べないからどうぞ」
「それじゃあ、お金を払います」
「いいのよ。そうねえ、それじゃあ、その鈴と交換しましょう」
おばあさんは私の財布に付いている古ぼけた鈴を指さした。
「物々交換よ。それならいいでしょう」
おばあさんは、ゴミと言われても仕方ないような鈴を嬉しそうに受け取った。

いくらなんでも、タダ同然で卵をもらう訳にもいかず、翌日スーパーでみかんを買っておばあさんを訪ねた。
「あらまあ、悪いわ。それならまた物々交換しましょう。あなたの欲しいものを言ってちょうだい」
「欲しいものなんてありません。私、もう行かないと。時間がないんです」
「あなたいつも時間がないのね。そうだ、それなら私の時間と交換しましょ」
「時間と交換?」
「私は時間を持て余しているの。だから私の1時間と、そのみかんを交換しましょ」
よく意味が解らなかったが、とりあえずみかんを押し付けて帰った。

家に着いたのは午後4時。急いで掃除をして洗濯物を取り込んでアイロンがけを済ませて時計を見ると4時。
え? どういうこと? 帰って来てから1分も経っていない。
スマホで時間を確かめたがやはり4時で、夕飯の支度を始める5時まで、まるまる1時間残っている。
ああ、そうか。きっとこれが、おばあさんと交換した1時間だ。
なんだかキツネにつままれたような気分だけど、私はその1時間でゆっくりコーヒーを飲んで、読みたかった本を読んだ。

翌日、再びおばあさんを訪ねた。
「ウールのブランケットです。これと、おばあさんの時間を交換してください。出来れば2時間」
「いいわよ。素敵なブランケットね」
こうして2時間を手に入れた私は、ずっと見られずにいた映画のDVDを観た。
なんて自由。なんという充実感。

私はだんだん欲張りになった。いくらでも時間が欲しい。
毎日おばあさんと時間の物々交換をした。
交換する物は、引き出物でもらった食器や着なくなったカーデガン、お菓子や本。
おばあさんは何でも喜んでくれた。
時間はだんだん長くなり、3時間から5時間をもらうことが多かった。
その時間で友人と会ったり、ショッピングをしたり、映画を観たりした。
しかし時間がいくらでもある生活に慣れると、あえて出かけなくてもいいと思うようになった。
だらだら過ごし、いつでも出来ると思うと、家事も自然とおろそかになる。
晩のおかずもデパ地下の惣菜で済ませるようになった。

「お母さん、制服のボタン付けてって言ったよね」
「俺のスーツ、クリーニング出してくれなかったの?」
私の答えはいつも同じだ。「明日やるわ」
そして翌日、いつものようにおばあさんの家に行った。
ボタン付けとクリーニング、今日は余計に時間をもらおう。

おばあさんの家は、いつもと違った。
白と黒の幕が張り、訃報を告げる張り紙があった。
ちょうど家から出てきた、おばあさんに目元が似ている女性に声をかけた。
「どなたか、お亡くなりになったんですか」
女性は泣きはらしたような目で私を見た。
「母が亡くなりました。昨夜急に」
「まあ…」
「母は余命宣告を受けていました。だけどまだ時間があるはずだったんです。だけど時計が止まるように突然、母の時間は止まってしまいました」
女性は「それでは」と深く頭を下げて家の中に入った。
私は立ちすくみ、雷に打たれたように動けない。
体中が震えた。おばあさんの時間を、私が奪った。
だらだらと、意味もなく過ごした時間は、おばあさんの大切な時間だった。
崩れそうになりながら、「ごめんなさい」と心の中でつぶやいた。

以前と同じ日常が戻った。時間に追われる日々。
だけどその時間の大切さが、今ならわかる。
どんなに忙しくても、おばあさんの家の前では立ち止まる。
金木犀も、もう香らない。寂しい空き家になった庭に向かって「ありがとう」と手を合わせる。
にこやかに笑うおばあさんが立っているような気がしたが、そこにはコスモスが優しく揺れるだけだった。


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ネコふんじゃった(2) [ファンタジー]

オレの名前は拓馬。いたって健全な、ごく普通の大学生だ。
訳あって、今はネコだけどな。
どうしてオレがネコになったか教えてやろう。誰にも言うなよ。

数日前のことだ。
オレはテニスサークルの女子更衣室の前にいた。
誤解するなよ。べつに覗いてたわけじゃねえ。
ミスM大が、更衣室に入っていくのを見て、ついつい想像していたんだ。
女子更衣室の中で繰り広げられる、めくるめく魅惑の光景を。
そのとき、一匹の黒猫が更衣室から出てきた。
オレは思った。
「いいなあ~、ネコは女子更衣室に堂々と入れて」
そして空に向かって願った。
「ネコになりて~!」

どこぞの神様がオレの願いをきいてくれたのか、オレはその瞬間にネコになった。
それからは悲惨続きだ。
意気揚々と女子更衣室に入ったら、すでに着替えは終わっていて、それどころかミスM大に首根っこをつかまれて外に出された。
「このノラ猫また来やがった。うすぎたねえヤツ」
生着替えが見られない上に、ミスM大の裏の顔まで見てしまった。
オレより口が悪い。

すぐに人間に戻ると思ったのに、全然戻らない。
その後は、どこに行っても邪魔者扱いだ。
腹が減って学食に行ったら、頭を叩かれて追い出された。
「オレは人間だ。この大学の学生だ」
言っても通じない。やつらにとってオレの声は、ただの鳴き声だ。

ふらふらになりながらトボトボ歩き、日が暮れて夜になってもネコのままだ。
歩道にうずくまって寝ていたら、明け方、思い切り腹を踏まれたんだ。
オレを踏んだのは若い女だ。やけにのんびりしたノー天気な女で「ごめんね」とふわふわした声で言った。苛つく女だ。
「ごめんで済めば警察はいらねーんだよ」
「ネコがしゃべった」
あっ、この女には話が通じる。
この機会を逃したら、オレはぜったい飢え死にする。
「おまえの家に連れていけ。美味いもん食わせろ」

まあ、そんなわけで、このナナコという女の家に厄介になっている。
持ち物すべてに名前を書いている、小学生みたいな女だ。
部屋はきれいに片付いていて、言葉遣いも丁寧だ。
口の悪い両親に育てられたオレとは、育ちが違うな。
ミスM大のように裏表はないし、オレの我儘をブツブツ言いながらもきいてくれる。
「お肉が食べたいって言うけど、高いお肉は買えないのよ。お父様から20歳になるまではアルバイト禁止されているの。心配なのはわかるけど、少し過保護なのよ」
「一人暮らしなんだから、バイトしてもバレねーだろ」
「だめよ。わたし、とっても嘘が下手なんだもの」
「ふーん、どうでもいいけどフォアグラはいつ食わせてくれるんだ」
「無理に決まってるでしょう」

3日も過ぎると、さすがにナナコは困ったように「出て行ってください」と言う。
だけどオレだって、ここを追い出されたら路頭に迷う。
意地でも出て行かねえぞ。

ある朝、ナナコは散歩に行った。いつものことだけど、なぜか嫌な予感がした。
ネコになって1週間、動物の勘ってやつが備わったのか。
オレは窓から抜け出して、ナナコの後をつけた。
相変わらず、とろとろ歩いてるぜ。
ふと、ナナコの後ろを歩く男に気づいた。どう見てもナナコの後をつけている。
さすがのナナコも気づいて走ったけど、恐ろしく足が遅い。
追いつかれて男に捕まっちまった。
オレは塀の上から男に飛びかかり、顔を引っ搔いてやった。
「ナナコ、今のうちに逃げろ!」
ナナコの叫び声に男は逃げたけど、オレは思い切りアスファルトに叩きつけられた。
「いてえ…」

ナナコがオレを抱きしめて、いっしょうけんめい擦ってくれた。
「大丈夫よ。すぐに動物病院に連れて行くからね」
ぽろぽろ泣いている。きれいな涙だ。ナナコ、おまえは本当にいい女だな。
最後の我儘だ。
「ナナコ…オレにキスしろ」
「やっぱり偉そう」
そう言いながら、ナナコはオレに優しくキスした。唇が柔らかい。
夢心地だ。もう死んでもいいや。

気がついたら、女子更衣室の前にいた。人間に戻っている。
体中が痛くて重い。こんなところで寝ていたせいか。
夢だったのか。やけに生々しい夢だった。
ナナコの唇の感触が、まだ残っている。
更衣室から、テニスウエアのミスM大が出てきた。
「おはよう」ってにっこり笑いかけてくれたけど、不思議なくらい何も感じない。
教室に行くと友達に「拓馬、おまえ1週間も休んでどうしたんだよ」と言われた。
1週間? やっぱり夢じゃなかったのか。

しばらくは、たまっていたレポートに追われた。
徹夜した朝、しらじら明ける空を見ていたら、たまらなくナナコに会いたくなった。
「ナナコのやつ、まさか懲りずに散歩行ってねーだろうな」
オレはそのままナナコのアパートに行った。
ほんの数日前のことなのに、やけに懐かしい。
見上げると、ナナコが窓辺で頬杖をついていた。少し寂しそうな顔。
朝日に赤く染まった髪がきれいだ。

「ナナコ、散歩行こうぜ」
「誰?」
キョトンとするあどけない顔に、オレは思わず笑った。
「散歩付き合うから、フォアグラ食わせろ」
「アクマなの?」
だから、オレの名前はタクマだってば。とろいな。とろいけど可愛い。
可愛すぎて、苛めたくなるんだよな。

あっ、そこのおまえ、オレがネコになった理由、ナナコに絶対言うなよ。

ネコふんじゃった(1) [ファンタジー]

とても素敵な朝だったので、散歩に行った。
目覚めたばかりの街は神秘的。鳥のおしゃべりや朝露をまとった花のささやき。
なんて爽やかな朝。
ふと、足元から「フギャー」という、この朝に似つかわしくない声がした。
「何かしら」
見ると、お気に入りのピンクのスニーカーの下に、黒いネコがいた。
「あらネコちゃん、ごめんなさいね」
抱き上げると、ネコは鋭い目で私を睨んだ。
「ごめんで済めば警察はいらねーんだよ」
「はっ? ネコがしゃべった?」
「あー、いてえ。責任とってくれるんだろうな」
「じゃ、じゃあ、動物病院に…」
「病院なんかごめんだよ。お前の家に連れてけ。美味いもん食わせろ」
何だか偉そうなネコ。仕方がないので、アパートに連れて帰った。

「静かにしてね。ここはペット禁止ですから」
私は冷蔵庫からミルクとツナ缶を出して、ネコに差し出した。
「なんだよ。しけてんな。肉はねえのか」
「え? ネコはお魚を食べるんじゃないの?」
「肉だよ。極上のステーキ食わせろ。焼き方はレアだ」
「ないわよ」

その日から、悪魔のようなネコが住み着いてしまった。
本当に悪魔みたいだから、「アクマ」という名前をつけた。
「おい、ナナコ」と、私を呼び捨てにして、偉そうに指図をする。
布団が硬い、マッサージしろ、デザートを出せ、フォアグラ食わせろ。
私はまだ、親から仕送りをいただいている女子大生。フォアグラなんて食べたこともない。

ある日管理人さんに言われた。
「あんたの部屋から男の声が聞こえるって噂になってるけど、まさか男を連れ込んでいないよね」
私のアパートは女子大生専用で、男子禁制だ。
「ネコです」とも言えないし、「アイドルの男の子を育てるゲームをしていま~す」と、笑ってごまかした。

もう限界だ。「出て行ってください」と言えば、わざとらしくお腹を押さえ、
「傷がまだ痛いよ~」と、下手な演技をする。
寝ている間にどこかに捨ててこようと思ったが、アクマは隙を見せない。
同じアパートの友達に相談してみた。
「じゃあ私が追い出してあげる」と、友達が部屋に来た。
すると、今まで横柄だったアクマが、急に可愛いネコになり、「にゃ~」と鳴いて、友達のひざにちょこんと乗った。
「なんだ。可愛いネコちゃんじゃない。すごくいい子だわ」
頭を撫でられて、アクマはすっかり甘えている。
「普段は違うのよ。すごくわがままで横柄で言葉遣いも汚いわ」
「言葉遣いって、ネコでしょう」友達はケラケラ笑った。
そして、「管理人さんには内緒にしてあげる」と、アクマの頭を撫でて帰っていった。

友達が帰ると、アクマは途端に肩ひじをついて寝そべりながら、私が隠していたハーゲンダッツのアイスを食べた。
「今の女、ナナコより胸でかいな。Fカップか?」
「知らないわよ」
もう泣きそうです。蹴とばしてやりたいけど、動物をいじめてはいけないという、お母様の教えに従って我慢した。

そんなある日のこと。
いつものように朝の散歩に出た私は、不審な男に後をつけられた。
怖くなって走って逃げると、男も走ってついてくる。
路地を曲がったところで追いつかれ、羽交い絞めにされた。
口を押えられて声が出ない。誰か助けて。

そのとき、黒いものが私の上を通り過ぎ、男の顔に貼り付いた。
アクマだ。アクマが男の顔をバリバリとひっかいている。
油断して男が手を放した隙に、私は大声で叫んだ。
「助けて!助けて!」
ジョギングの男性が気づいて近づいてきてくれた。
男は「ちくしょう」と、アクマをアスファルトの歩道に叩きつけ、逃げていった。

私はぐったりしたアクマを胸に抱いた。ゼーゼーと息が荒い。
「ありがとう、アクマ。大丈夫だよ。すぐに動物病院に行こうね」
「病院はごめんだぜ。…それよりナナコに最後のお願いだ」
アクマは息も絶え絶えに言った。
「最後に、おれに、キスしろ」
「やっぱり偉そう」
私はポロポロ泣きながら、アクマに優しくキスをした。
アクマは目を閉じると、ふわっと風のように消えてしまった。
手の中にあった重みが、跡形もなく消えた。
いつのまにか集まってきたたくさんの人が私を囲み、「怪我はないか」といたわってくれたけど、私はただ、ぼうっとしながら黒いネコを探していた。

アクマがいなくなった部屋は、元どおり平穏が戻った。
それを望んでいたはずなのに、なんだか寂しい。
朝の散歩も、あれ以来やめた。
「つまらないわ」と、窓辺で頬杖をついていたら、どこからか声がする。
「ナナコ」と呼ぶ声。アクマの声に似ている。
窓を開けると、若い男子が見上げている。
「ナナコ、散歩行こうぜ」
「…誰?」
「散歩付き合うから、フォアグラ食わせろ」
アクマだ。アクマが男の子になって帰ってきた。
私はぐるぐる回る頭の中で考えたけど、何が何だかわからない。
とりあえず、彼と一緒にお散歩しましょう。

*これは2部作です。アクマの正体は、続編でお楽しみください。
2,3日後にアップします。

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