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氷の世界 [ミステリー?]

体中が凍えるほどの寒さよ。
いったいここはどこかしら?
そこはかとない冷気が、体中を包んで身動きもできないわ。
地球が氷河期になってしまったのかしら。

そうだ。これは夢なんだ。
だって私は、つい最近まで自由に動けたはずだもの。
急に氷河期が訪れたりしないわよね。

突然光が見えた。
私は、光の方向に歩いていく。
自分で歩いたのか、誰かに連れていかれたのか、頭がぼんやりしてよくわからない。
そこは温かかった。楽しそうな音楽も聞こえてくる。
湯気が立ち上り、全身がほぐれるような温かさ。
温泉だわ。温泉に入って、凍えた体をゆっくり温めたら、きっとまた動けるようになるはずよ。

私は服を脱いだ。
自分で脱いだのか、誰かに脱がされたのか、そんなことはどうでもいい。
冷え切った体を早く温めたい。
扉の向こうは温泉よ。芯まで温まるステキな温泉よ。

そのとき、目覚まし時計のような音がした。
うそでしょう。ここで目覚めるなんて。
私はどうにか温泉に入ろうと、扉を開けて転がるように外に出た。
寒い……。

温泉はなかった。そこはさっきよりもずっと寒い世界。
真っ白で、みんな凍って、もう生きることもままならない。
ああ、早く目が覚めて、温かい場所に行きたいわ。

***
彼女は、ウキウキしながらキッチンに立った。
今日は彼が来る日だから、張り切って料理を作ろう。
彼女は冷蔵庫からエビを取り出した。
彼の好物の「エビサラダ」を作るのだ。
彼女は鼻歌を歌いながら、鍋に湯を沸かし、取り出したエビの殻を丁寧に剥いた。
今は黒いけれど、湯に入れたらたちまちきれいなピンクになる。
そんな姿を想像しながら、彼女はエビを湯に入れようとつまみ上げた。

そのとき、電話が鳴った。
彼からの電話で、急な仕事で行けなくなったと告げた。
彼女は不機嫌になり、剥いたエビを放り投げ、パックに戻して冷凍庫に入れた。
次に彼が来る日まで、エビは冷凍保存となった。

***
ああ、そうだった。私、エビだった。
早く夢から覚めて、温かいインド洋で泳ぎたいわ。


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通り雨 [ミステリー?]

突然雨が降り出したので、夫の傘を持って家を出た。
駅から家までは5分ほどの距離だが、濡れたら可哀想だ。

夕暮れの駅は、たくさんの人であふれていた。
夫は背が高いので、すぐに見つけた。
声をかけようと近づくと、となりに髪の長い女がいることに気づいた。
誰だろう。偶然会った会社の同僚という雰囲気ではない。
女が赤い傘を開き、夫は当然のようにその傘の柄を持って、家と逆方向に歩いていく。
濡れないように互いに寄り添い、それはまるで恋人同士のようだった。

信じられない出来事に声も出せず、モヤモヤした気持ちで家に帰った。
雨は、いつの間にか止んでいた。
玄関を開けるとそこには、タオルで頭をゴシゴシ拭いている夫がいた。
「急に雨が降るからさ、濡れちゃったよ。あれ?もしかして迎えに来てくれたの?行き違いだったのかな」

さっき別の女性と歩いて行ったはずなのに、どういうことだろう。
きっと私の見間違いだ。同じような背格好で、同じようなスーツを着ていた人を、夫と間違えてしまったのだ。
「すぐにご飯にするね」
私は自分の勘違いが可笑しくて、ひとりで笑った。

その日から、得体のしれない違和感が私を襲った。
夫は確かに今まで通りの夫なのに、なぜだか妙な違和感がある。
ちょっとした仕草や言い回しが、別人のように思えるときがある。
「あれ、この人、こんな笑い方したかな?」といった、些細なことではあるが。

数週間後、再び雨が降った。
私は夫の傘を持ち、駅まで迎えに行った。
改札から出てくる夫を見つけて近づくと、そこにはやはり髪の長い女がいた。
楽しそうに笑いながら、私の前を通り過ぎた。
「憲一さん!」
思わず、夫の名前を呼ぶと、ふたり同時に振り向いた。
夫は、怪訝な顔で私を見た。
「ケンちゃん、知り合い?」女が言う。
「いや、知らないけど」
ふたりは、首をかしげて去っていく。
夫だ。似ている人などではない。夫だ。
表情も、髪の分け目もホクロの位置も、何もかも同じだ。
追いかけようとしたとき、後ろから肩を叩かれた。
「迎えに来てくれたんだ。助かったよ」
笑顔の夫が立っていた。

目の前にいるのは確かに夫なのに、なぜだろう。なぜだろう。
「この人誰?」と思ってしまう。

駅を出ると、雨はすっかり止んでいた。
「久々に、相合傘とかしたかったな」
夫が子供みたいな顔で言った。
「そうだね」と答えながら、微かに漂う違和感を振り払うように夫の手を握った。


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サトコの湖 [ミステリー?]

子供の頃の話をします。
私には、2歳下の妹がいました。サトコという名前です。
サトコは5歳の夏、家族で出かけた湖に落ちて溺れてしまいました。
父が飛び込んでサトコを岸にあげましたが、もう心臓が止まっていました。
「サトコ、死なないで」
私たちは必死で蘇生を試みましたが、息を吹き返すことはありません。
携帯電話などない時代でしたから、救急車を呼ぶこともできず、とりあえず車に戻って病院に連れて行こうと思ったときです。
どこからか、ひとりの僧侶が現れました。
「その子を助けてあげましょう」
僧侶はお経のような、呪文のような言葉をつぶやき、サトコの胸を強く押しました。
サトコは「ブハッ」と水を吐き出して、目を覚ましたのです。
「ああ…お坊様、なんてお礼を言ったらいいか」
両親が振り向くと、そこにはもう誰もいませんでした。
不思議な話です。

サトコは、そのときのことを憶えていません。
私たち家族は、湖に行くのをやめたこと以外は、何も変わらずに暮らしました。
いっしょに学校へ行き、眠りにつくまでおしゃべりをして、私たちは、とても仲のよい姉妹でした。
10年が過ぎました。サトコは15歳になりました。
ある夜のことです。
サトコが夜中に突然起き上がりました。
同じ部屋で寝ていた私は驚いて、「どうしたの?」と聞きました。
サトコは扉を開けながら、「湖に行く」と言いました。
何も覚えていないはずのサトコが、「私が死んだ湖に行かなきゃ」と言うのです。
「何言ってるの? だいたい、歩いていける距離じゃないよ」
私はサトコの腕をつかみましたが、するりとかわして部屋を出ました。
両親を起こしに行きましたが、ふたりとも催眠術にかかったように起きません。
サトコを追って外に出ると、10年前にサトコを救ってくれた僧侶が立っていました。
サトコは何の躊躇もなく、僧侶に寄り添いました。

「お坊様、サトコをどこに連れて行くのです?」
「運命に従っていただくのみです」
「運命? だって、お坊様がサトコを救ってくださったのでしょう」
「はい。わたしはあの日、運命に逆らいました。あなた方があまりにお気の毒に見えたからです。おかげで、わたしは罰を受けました。10年間、闇の中で辛い修行をしました」
サトコは、いつのまにか小さな子供に戻っていました。
「さあ、行きましょう。あの湖へ」
「ダメだよ」私はサトコの腕をつかみました。
サトコは、あどけない笑顔を見せて私の手をほどきました。
そして、闇に消えてしまいました。

私の泣き声を聞きつけた両親が、慌てて出てきました。
さっきまであんなにぐっすり眠っていたのが嘘のようです。
「どうしたの?」
「サトコが、サトコが行っちゃった」
「サトコの夢を見たのか。もう10年も経っているのに」
「何年たっても、忘れることなんかできないわよ」
これは夢だと思いました。朝が来たらいつものようにサトコがいると思いました。
だけど翌朝私が見たのは、仏壇の中で笑うサトコの写真でした。
それは10年前の、5歳のサトコでした。

私は今、湖にいます。
あれからどれだけの年月が流れたでしょう。
孫がサトコの年を追い越すほどに年を取りました。
湖は、サトコの事故がきっかけで柵が作られ、すっかり整備されています。
私は思うのです。サトコはどこかで生きているのではないかと。
あの僧侶とふたりで、この湖の周りで遊んでいるのではないかと。
「おばあちゃん、はい、これ」
孫が、リンドウの花を摘んできてくれました。
「まあ、きれい。ありがとう」
「あのね、サトコちゃんっていう子にもらったの」
孫がにっこり笑いました。幼い日のサトコに、よく似た笑顔です。

ほらね、サトコはやっぱりここにいます。


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公園の女 [ミステリー?]

初夏の公園は、家族連れで賑わっている。
真ん中に人工の池があり、子供たちは容赦なく服を濡らして水しぶきを上げる。
木陰のベンチは子供たちを見つめる父親と母親に占領され、居場所をなくした私はひとり、ブランコに座って時間をつぶす。
「おばちゃん、どいて」
子供に追われて立ち上がった。
「おばちゃんじゃないのよ」と小さい声で言ったみたけれど、勢いよくブランコを漕ぎ始めた子供に聞こえるはずがない。

仕方ないので公園を出て、街をぶらつくことにした。
だけど買うものなんて何もない。
あったとしても今日は買いたくない。
荷物はひとつだって少ない方がいい。
だって私は、今から不倫相手と駆け落ちするんだから。

公園に13時と言ったのに、彼はいつまでたっても来ない。
時計の針は14時を過ぎた。
電話もつながらないし、ラインも一向に既読にならない。
奥さんにバレちゃったのかな。あの人、詰めが甘いから。

もう一度公園に戻ってみた。
人がますます増えている。私の居場所はどこにもない。
荷物を駅のロッカーに預けてしまったことを、死ぬほど後悔した。
タオルも日傘も何もかも、きっとあの中に入っている。

15時を過ぎた。彼は来ない。
人工の池ではしゃいでいた子供たちは、木陰ですやすや眠っている。
家に帰って寝ればいいのに。
16時を過ぎると、ようやく家族連れが帰り始めた。
私はようやく木陰に移動して、ペットボトルの水を狂ったように飲んだ。

17時、カップルたちが増え始める。
悪いけど、木陰のベンチは譲らない。
18時、日差しが緩んだ夕暮れ、犬の散歩も増えてくる。
暗くなるとホームレスらしき人がうろつき始める。
もうここにはいられない。
そもそも私は、どうしてここにいるんだっけ。

すっかり日が落ちた街を歩いて帰った。
公園で一日過ごすって、なかなか難しい。
駅のロッカーに荷物を預けたままだけどいいや。
明日彼に電話しよう。今日のことは許すって言おう。
彼にはきっと、家を出られない事情があったのだ。

部屋を解約しなくてよかった。
ソファーもテレビもそのまま残してある。
洋服も、タオルも日傘も、何もかもそのまま。
あれ? じゃあ私、駅のロッカーに何を預けたんだっけ。
まあいいや。テレビをつけよう。

『……〇〇駅のロッカーから、男性の遺体が発見されました……』

ああ、そうだった。この部屋で彼を殺したんだっけ。
遠くに行ってふたりで暮らそうって約束を、彼が破ったから。
今日はお風呂に入れないな。一日中外にいて汗だくなのに、困ったな。
明日公園で、子供に混ざって水浴びしよう。
きっと気持ちがいいわ。


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黒い服の男 [ミステリー?]

「ねえ、さっきから後ろの車がついてくるんだけど」
バックミラーをちらちら見ながら妻が言う。
夫は助手席でスマホをいじりながら「方向が一緒なんだろ」と、ぶっきらぼうに答えた。

妻がファザードをつけて路肩に止まると、後ろの車も止まった。
「やっぱり私たちを尾行してるわ」
「刑事ドラマじゃあるまいし。いいから急いでくれよ」
夫は今から、2泊3日の出張に行く。電車の時間が迫っていた。

駅のロータリーに着くと、後ろの車もピタリと止まった。
せわしなく後部座席から旅行カバンを取り出す夫を、じっと見ている。
妻は、気味が悪くなって車を降りると、後ろの白いセダンに向かって歩き出した。
「ちょっと、どういうつもり?」
運転席の窓を叩き話しかけたが、運転席には誰もいない。
「うそ。いつ降りたの?」

「おい、何やってるんだよ。俺はもう行くぞ」
妻が振り向くと、カバンを抱えた夫の後ろに、黒い服を着た男が寄り添っている。
「あ、あなた、うしろ!」
妻が怯えながら指さしたが、夫は首をかしげるだけだ。
「後ろが何?」
夫には、男が見えていないのだ。

黒い服を着た男は、薄ら笑いを浮かべて夫の後ろに張り付いている。
嫌な予感がした妻は、「あなた、行かないで」と叫んだ。
「なんだよ。ただの出張じゃないか。おまえ、おかしいぞ」
妻は夫のカバンを掴んで、ロータリーの植木の中に放り投げた。
「おい、何するんだよ。おまえ本当におかしいぞ」
慌ててカバンを拾いに行く夫だったが、無残にも定刻を過ぎ、乗るはずだった電車は発車してしまった。
それと同時に、夫の後ろに寄り添っていた黒い服の男も煙のように消えてしまった。

結局夫は、出張を取りやめた。
夫が乗るはずだった電車の、乗るはずだった車両で爆発事故があり、多くの犠牲者が出た。
あのまま乗っていたら、夫も命を落としていたはずだ。

あの男は死神だったのではないかと、妻は思った。
「私が、夫の命を救ったんだわ」
妻は、夫とふたりで夕食後のお茶を飲みながら、しみじみ言った。
「よかった。あなたが生きていて」
「そうだな。おまえのおかげだ」
「出張は、大丈夫だったの?」
「ああ、部下に変わってもらった。あの後電車が動かなかったから仕方ない」
夫は、「さて」と立ち上がり、風呂場に向かった。

夫のスマホが鳴った。メールの着信だ。
「部下の方かしら。急ぎの連絡だったら大変」
妻は、いつもは絶対に夫のスマホを見たりしないのだが、そのときはなぜか気になって見てしまった。

『今度はいつあえる?』
「え…?」
妻は震える手で、他のメールを開く。
夫の送信メール、8:20『妻が何か感づいたようだ。今回の旅行は中止にしよう』

妻の手から、ぽろりとスマホが落ちた。
出張と言いながら、本当は女との不倫旅行だったのだ。
そういえば、思い当たることが他にもある。
許せない。ずっと騙されていたなんて。
妻の中に殺意が芽生えた。

鼻歌を歌いながら風呂から出てきた夫の後ろに、再び黒い服の男が寄り添っているのだが、今度ばかりは妻にも、その姿は見えないのであった。


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心の記憶 [ミステリー?]

僕たちは草原に来ている。
雨が上がったばかりで草が濡れている。
彼女はサンダルを脱いでスカートの裾をたくし上げた。
踊るように草の間を歩く彼女の髪に太陽の光が降り注ぐ。
ふと立ち止まった彼女が指さす先に、大きな虹が出ていた。

そこでいつも目が覚める。同じ夢を何度も見ている。
あそこがどこで、彼女が誰なのか、僕は知らない。
だけど心当たりはある。
僕は中学生のときに心臓の移植手術をしている。
きっと、僕に心臓をくれた人の心の記憶だと思う。
それは日を増すごとに鮮明になり、ぼんやりだった彼女の顔も、今でははっきりわかる。

「ねえ、あなたもスニーカーを脱いで裸足になりなよ。気持ちいいよ」
そう言って笑う彼女の顔が、どんどん僕に近くなる。
いつも笑っているような優しい目をしている。

「ちょっと、早く起きて」
体を揺すられて目を覚ました。
目の前に、たった今まで見ていた夢の中の女性がいる。
夢と同じ顔で笑っている。
「だ、誰?」思わず飛び起きた。
「やだ、冗談言わないで。愛する妻の顔を忘れたの?」
「妻?」
「もう、怒るわよ。寝ぼけてないで、顔洗ってきて」

そうか、これはまだ夢の中だ。
どうりで、まるで知らない家だ。
知らない家なのに、僕はすんなり洗面所へ行き顔を洗う。
鏡に映った顔を見て、思わず息を止める。
別人だ。鏡の中の男は僕じゃない。
夢だ。これは夢なんだ。

「アキ」と、僕は彼女を呼んだ。
夢の中の僕は、当然のように彼女の名前を知っている。
「ユウちゃん」とアキは僕を呼んだ。もちろん僕の名前じゃない。
「ユウちゃん、ドライブ行こう。素敵な草原を見つけたの」
草原? ああ、夢の中に何度も出てきた草原か。

僕は車を運転する。
17歳の僕は運転免許を持っていないのに、何の躊躇もなくエンジンをかける。
夢の中で僕は、実に悠長に車を運転する。
突然、大粒の雨がフロントガラスを打ち付けた。
「やだ、天気予報外れだわ」
アキが顔を曇らせる。それでもなぜか楽しそうだ。
「すぐ止みそうだよ」
そう、雨がすぐに止むことを、僕は知っている。

雨が止んだ草原に、大きな虹が出た。
僕とアキは裸足になって、いつまでも虹を眺めた。
「生きているって素晴らしい」と、強く思った。

目が覚めた。
長い夢だった。
ベッドで眠る夫が、目覚める可能性はゼロに近い。
「ねえ、ユウちゃん、不思議な夢を見たわ。あなたから心臓をもらった少年の夢よ。夢の中で、少年はあなたの夢を見ていた。ね、変でしょう」

迷っていたけれど、夫の意志を尊重しよう。
きっと誰かが、あなたの命を引き継いでくれる。
夢の中の少年かもしれないと、私は思う。
だって病室の窓から見える虹が、夢の中の虹と同じくらい大きい。

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ひとつの説 [ミステリー?]

1972年:日本
男は、閉店間際に現れた。客はもうひとりもいない。
ニット帽に大きなサングラスをかけている。
男は懐から黒いものを取り出した。
それが銃だとわかったのは、彼が上に向けて一発放ったからだ。

男は窓口の女性行員に大きな旅行カバンを渡し
「このカバンに入るだけの金を詰めろ」と言った。
ひとりの男性行員が、非常ベルを鳴らそうとした。
男は、容赦なく男性行員を撃ち殺した。
「ひい」と女性行員は札束をカバンに詰めた。
男はそのカバンを手にすると、なぜか忽然と姿を消した。
逃げたのではない。煙のように消えてしまったのだ。
そして男が消えたと同時に、撃ち殺された男性行員が、何事もなかったように起き上がった。天井に放った弾痕もない。
すべてはもとどおり。ただ、金だけが消えていた。

「これが、20世紀最大の謎と言われている銀行強盗事件だ。男はどこから現れて、どこへ消えたのか。君たちの説を聞きたい」
「先生、その男は、異次元もしくは科学技術の発達した未来から来たんじゃないですか。瞬間移動で時空を超えたんですよ」
「そういう説が最も多いのは事実だ。だが疑問がひとつ。撃たれた行員が傷もなく生き返ったのはどう説明する?」
「時間を戻したんじゃないかな。犯行の前に」
「それはおかしい。時間が戻ったら金も戻っているはずだ」
「そうそう。男の存在も行員たちの記憶から消えているはずだ」
「じゃあ、撃たれた行員は男の仲間だったんですよ。先に来ていて、銀行に紛れ込んでいたんです。男の凶暴さを印象つけるために、わざと撃たれて見せたんですよ。もちろん実際に弾は当たっていない」
「じゃあ天井の弾痕はなぜ消えたんだ?」
「うーん」
「あ、先生、CGとか使ったんですよ。プロジェクションマッピング的な」
「そうだ。銃も本物じゃない。撃ったときのシミュレーションが出来る訓練用だ」
「実際の銃の怖さを知るためのものか。あるかもしれないな」
「なるほどね。どれも興味深いな。おっと時間だ。続きはまたどこかで話そう」

この手の話は学生にウケる。
実際には何もわかっていないのだから、いろんな説が飛び交う。
教授は大学のカフェテラスで昼食をとった。

「先生、さっきの授業面白かったです」
ひとりの女生徒が前に座った。
「でも先生、あの事件は、そんなSFチックなものじゃないんですよ」
「君の説を聞こう」
「あれは、行員たちの狂言です」
「ほう」
「行員のひとりが銀行の金を横領しました。その人は親の借金を抱えて大変で、仕方なく銀行のお金に手を付けました。それはとても悪いことだけど、同僚たちはひどく同情しました。そして、仲間を助けるために、みんなで強盗に金を奪われるという狂言を考えたのです」
「しかし無理だろう。上司だっているし」
「ちょうどいなかったのです。本店で会議があって、上司は全員いませんでした」
「だけどひとりくらい反対者がいただろう」
「いいえ。なぜなら盗んだお金は、みんなで山分けしたからです」
「うまくいくとは限らない」
「実際うまくいきました。何かの効果音で作った銃声音を通行人に聞かせたのもいい作戦です。ただ、それで通報を受けた警察が、思いのほか早く来てしまったのが計算外でした。犯人が突然消えてしまったと、オカルトめいたことを言ってしまったのはそのせいです」
「男性行員が撃たれのは?」
「さあ、それはおそらく、20世紀最大の謎などと言われ、話が肥大していくうちに生まれた作り話でしょう。都市伝説的なものですよ」
「うーん。やけにリアルな説だな」
「それから先生、これもひとつの説ですが」
「なんだね」

女生徒は、急に声をひそめた。
「そのときの行員のひとりは、私のおばあちゃんです。もう半分ぼけてるけど、昔のことはよく覚えているんですよね」
「まさか本当に?」
「床下の壺の中に、おばあちゃんのへそくりがあるんですよ。聖徳太子の一万円札がたくさん。怖くて使えなかったんじゃないでしょうか」

「あくまでも、ひとつの説ですが」と付け加えて、女生徒はふふっと笑った。

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暗殺者の恋 [ミステリー?]

― あたしはスナイパー。
狙撃命令が出たら、どこへでも行くの。
今回のターゲットは、愛しい彼。
何度も彼の狙撃を依頼されたけど、そのたびにうまく逃げるのよ。
悪い男なの。だけどとてもタフなやつ。いつのまにか、愛してしまった。
一生結ばれない恋だとわかっている。

あたしはスナイパーだから、愛する男でも容赦なく殺す。
それがあたしの使命なの。
殺したいほど愛してる。
出来ることなら、逃げて生き延びてほしい。
だけどあなたは、きっとあたしを待っているでしょう。
あたしたち、あの場所でしか交わることが出来ないのだから。
さあ、時間だわ。行きましょう。―


― もうすぐ彼女がやってくる。
わかっている。彼女はおれを殺しに来る。
彼女になら、殺されたってかまわない。
いっそ殺してほしい。
おれの愛は命がけだ。
決して交わることのないおれたちだけど、この愛は永遠だ。

彼女が来た。
やはり凄腕のスナイパーだ。
仲間を次々に撃っていく。
さあ、おれの番だぜ。
そのまっすぐな瞳、ゾクゾクするぜ。―


「あ~、すっかり風邪が治ったわ」
「薬が効いたんだな」

彼はウイルス、そして彼女は特効薬。

「はっくしょん」
「あらやだ。私の風邪がうつった?」
「そうみたい。はっくしょん」

― おれは生きている。ああ、また死に損なったか。― 
― うまく逃げたようね。さすが私の愛した男だわ。―

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コインランドリーの女王 [ミステリー?]

彼女は赤いポルシェでやってくる。
胸元で揺れるきれいな長い髪、体型がそのまま出るようなミニのワンピース。
もちろんプロポーションは抜群だ。
右手にピンクの大きなバッグ。
左手に車のキーをじゃらりと鳴らし、ヒールの音を響かせる。

ここは、町はずれのコインランドリー。客は一人暮らしの男ばかり。
彼女が入ってくると誰もが道を開ける。
「こちらにどうぞ」
と、僕(しもべ)のように空いている機械を案内する者もいる。
「ありがとう」
彼女がサングラスを外して微笑むと、ハートの矢が刺さったようにメロメロになる。

コインランドリーに投げ込まれる色とりどりの下着たち。
それを見ただけで鼻血をだす学生は数知れず、コインを入れる仕草にさえも誰もがときめく。
「どうぞ」
彼女のために椅子を空けると、優雅に微笑み足を組む。
ヘッドフォンで音楽を聴き、時にリズムに合わせて体をくねらせる。
ああ、なんてセクシー。

彼女のランドリーが終わるまで、帰る男はひとりもいない。
とっくに終わっているやつも、スマホゲームに夢中のふりをしながら彼女をチラ見する。
そして彼女がすべてを終えて、魅力的なヒップラインを揺らしながらポルシェに乗り込むのを見届け、僕らは無言でそれぞれのアパートに帰る。
安アパートの電気をつけて、僕らはようやく現実に戻る。

僕らは彼女を、クイーンと呼んだ。
クイーンが来るのは月・水・金の午後8時。いつも時間ピッタリだ。
そしてそれは、金曜の夜だった。
いつものようにクイーンが来て、僕らを翻弄させて出て行った。
僕はその日、原付バイクで来ていたから、興味本位でポルシェを追った。
追いつくはずもないと思ったが、ポルシェは意外とゆっくり走った。
そして古いアパートも前で停まった。
ここがクイーンの家?まさか、こんなボロアパートに住んでいるはずがない。
そう思ったとき、ポルシェのドアが開いて女が出てきた。

「え?」
それは、まったくの別人だった。
よれよれのスエット上下に、無造作に束ねたぼさぼさの髪。サンダル履き。
ポルシェ違いか?いや、たしかにクイーンのポルシェだ。ナンバーも同じだ。
じゃあ、クイーンはどこに行ったんだ。
ぼさぼさの女は、クイーンが持っていたのと同じピンクのバッグを持って、アパートの階段を上がっていく。何が何だかわからない。
次の瞬間、まっ赤なポルシェが突然消えて、古ぼけた軽自動車に変わった。
まるでかぼちゃの馬車みたいだ。魔法が解けたシンデレラ?
僕は、キツネにつままれたように首をひねりながら帰った。

月曜日、クイーンはいつものようにコインランドリーにやってきた。
相変わらず美しくセクシーだ。
僕は、金曜日のことを確かめたくて、ポルシェの鍵を隠した。
クイーンが音楽を聴いているときに、こっそり自分のポケットに入れた。
帰ろうとしたクイーンは、焦って鍵を探した。
「ここに置いた鍵、誰か知らない?」
みんなクイーンのために鍵を探している。時間がどんどん過ぎていく。

5分後、彼女の魔法が解けた。
ぼさぼさの髪、毛玉だらけのスエット。ノーメイクの平凡な顔。
「え?あんた誰?」
取り巻きだった男たちは、見てはいけないものを見てしまったようにうろたえた。
僕がポケットから鍵を出すと、彼女は泣きそうな顔で僕をにらみ、奪うようにつかんで出て行った。
ポルシェは、もちろん軽自動車に変わっていた。
もうここには、おそらく来ないだろう。
「何だアレ?」「普通の女じゃん」「夢でも見てたのか?」
男たちは、事態が飲み込めないまま帰って行った。
僕は、罪悪感と、何とも言えない喪失感を拭いきれなかった。

水曜日の夜、僕の原付バイクが、突然まっ赤なポルシェに変わった。
上質なスーツと整ったさわやかなルックス。
憧れていた男になっている。
今度は僕の番なのか?
おそらく魔法は1時間余りで切れるのだろう。
さてどうしよう。
僕はとりあえずコインランドリーに向かった。
いつもは男ばかりのコインランドリーが、女子大生のたまり場になっていた。
彼女たちは、目をハートにして僕を迎えた。

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明日香の庭 [ミステリー?]

私は、この庭から出られない。

いつもの朝だった。いつものように学校へ行こうとして門を出た。
しかしどういうわけか、強い力に押し戻されてしまう。
抵抗できない大きな力が、私の行く手を阻んでいる。
「明日香、何してるの?早く行きなさい」
ママに背中を押されたけれど、私のからだはびくとも動かない。
「そんなに行くのがいやなの?何かあったの?」
ママは、顔をしかめながら、「今日は休みなさい」と言った。

翌日も同じだった。
どうしても、門から外へ出られない。
パパとママは、具合でも悪いのか、学校でいじめがあるのかなどと心配したけれど、私はいたって健康だし、いじめなんてなかった。
「庭から出られないんだよ」
私がいくら訴えても、両親は困った顔をするだけだ。

先生が来た。友達も来た。
「明日香ちゃん、一緒に学校へ行こう」
誰かと一緒なら出られるかもしれないと思ったが、やはりだめだった。
私だけが取り残される。
「病院に行ってみましょう」
ママが車の助手席に私を乗せた。
車だったら出られるかもしれないと思ったが、やはりだめだ。
巨大な力で、車は門から外に出られない。
「おかしいわね。故障かしら」
「だから、庭から出られないんだよ」
「もう、明日香がおかしなことを言うから、車まで変になったわ」
ママはうんざりしたようにガレージに引き返した。
「病院は明日行きましょう。仕事を早く切り上げて帰ってくるわ」

ところが翌日、ママは帰ってこなかった。
ママだけじゃない。パパも帰ってこない。
夜になっても、私はひとりきりだった。
私が変な子だから、ふたりともどこかへ行っちゃったの?
月もない暗い庭先で、私は両親を待ち続けた。

朝が来た。ぼんやりと薄暗い朝だ。
両親は、とうとう帰ってこなかった。
寂しくて、泣きつかれて、とにかくここではないどこかに行きたいと思った。

門のところに立って、外に向かって思い切りジャンプした。
私のからだはふわりと宙に舞い上がった。
真っ暗だ。何もない。宇宙の果てに放り出されたみたいだ。
もしかして、私だけを残して世界は滅亡してしまったのか。
「パパ、ママ」
誰でもいい。私を、ここから連れ出してほしい。
新しい世界でもいい。死んだ後の世界でもいい。

急に天から大きな手が現れた。神様?この手を握れば、パパとママのところへ行けるの?
私は必死で手をつかんだ。
ぐいっと強い力で引き上げられ、私のからだはぐんぐん上に上がった。
視界が開け、まぶしい光に中に、たくさんの人がいた。
「生きてるぞ!」
誰かが叫んだ。
「生存者1名!」
激しく呼吸をくり返した。まるで今まで息をするのを忘れていたようだ。

***
「臨時ニュースです。
巨大な隕石の落下により壊滅した町の、瓦礫の中から少女が無事救出されました。
救出されたのは〇〇明日香ちゃん10歳です。
72時間ぶりに救出された明日香ちゃんは、命に別状はなく……」

たくさんの大人たちに抱えられて、明日香は庭を振り返った。
明日香を守ってくれたはずの庭は、もうどこにもなかった。
彼女が、町も友達も、そして両親をも失った悲しみを知るのは、もう少し後になるだろう。

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楽しい話を書きたかったのに、こんな話になっちゃいました。
すみません^^
今年最後のお話は、明るくしたいと思います~
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