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ひまわり [公募]

夫の背中に、穴を見つけた。

最初はホクロだと思った。
だけど黒い小さな点は、日を増すごとに少しずつ大きくなっていく。
はっきり穴だと気づいたのは、直径が3ミリほどになったときだ。
くぼんでいる黒い空洞に、シャワーの水滴が吸い込まれて行くのを見たとき、思わず手を止めて覗き込んだ。何も見えず、ただの闇だった。

夫は半年前に事故に遭い、右手を失った。
それから私は、毎晩風呂場で夫の髪と背中を洗っている。生活はがらりと変わった。
夫はやり手の営業マンだったが、片手でも業務をこなせる部署に異動になった。
私はフルタイムの職場を辞めて、融通が利くパートで働き、左手しか使えない夫を支えた。

身体に穴があってもおかしくはない。鼻の穴、耳の穴、みんな意味があって、身体の内部と繋がっている。夫の背中の穴は、何処に繋がっているのだろう。

穴の直径が1センチになった。私は思い切って夫に言った。
「あなたの背中に穴が空いているんだけど」
「えっ? 何それ?」
私は、夫に手鏡を持たせ、合わせ鏡で背中を映した。
「何もないけど。変なこと言わないでよ」
夫が笑いながら手鏡を置いた。こんな大きな穴が、あなたには見えないの?

数日後、私は弟を家に呼んだ。自分の代わりに風呂で夫の髪と背中を洗って欲しいと頼んだ。
弟に、穴を確認してもらうためだ。
「背中に穴なんてなかったよ。……っていうかさ、あるわけないじゃん、穴なんか」
弟が、タオルで手をふきながら、揚げたての唐揚げをつまみ食いした。
「おかしいな。私は確かに見たのよ」
「姉さん、疲れてるんじゃない? だいたいさ、髪や背中、左手だけでも洗えるでしょ。食事だってさ、フォークやスプーンで食べられるものばっかり作ってさ、もっと自立させた方がいいんじゃない?」
弟が、唐揚げをもうひとつつまもうとしたところをピシャリと叩いた。
「あの人はね、新しい部署で慣れない仕事をしているの。家に帰ってきてまで無理してほしくないのよ」
弟は「ふうん」と、納得していない様子でキッチンを離れた。利き手を失くした人の気持ちなど、弟にわかるはずがない。

夫の背中の穴は、5センチに達した。肩甲骨を隠すほどの大きさだ。
中は相変わらず黒い闇で、何も見えない。
いつものように風呂場で背中を洗っていると、ヒューっという風のような音が聞こえた。
それは確かに穴の奥から聞こえる。私はそっと指を入れてみた。
力を入れたわけでもないのに、指がどんどん穴の中に入っていく。
まるで吸い込まれるように、指が、手が、そして私の体が、穴の中に入っていく。
ねっとりとした粘膜のような壁を滑り落ち、たどり着いたのはやはり闇だった。

何も見えないけれど、ここには悲しみが充満している。
ヒューっという音は、風ではなく誰かの泣き声で、呻くような嘆きの声と、やり場のない怒りに叫ぶ声。
「つらい」「せつない」「こんなはずじゃない」「死にたい」
絶望に満ちた世界。ああ、ここは、夫の心の中ではないか。
そう思ったら苦しくなって、私は声を上げてわんわん泣いた。
何もできない。髪と背中を洗うこと、食べやすい食事を作ること、それしかできない。
私は闇の中で泣き続け、いつの間にか眠っていた。

気がついたら、布団の上だった。夫が心配そうに私を見ている。
「私、どうしたの?」
「風呂場で倒れたんだ。ビックリしたよ」
「あなたが布団に運んでくれたの? 左手だけで?」
「うん。結構重かったから引きずった」
夫が笑った。この人は、いつも笑っている。
夫は思い出したように鞄から、紙を出して私に見せた。それは、ひまわりの絵だった。
「パソコンで描いたんだ。あんまり上手くないけど、味があるって評判なんだ」
「へえ、すごい。いい絵だね」
「おれ、社内広報のデザイン担当になったんだ。意外とセンスがいいらしい。給料は減ったけどさ、今の部署、嫌いじゃないよ」

確かに上手くはない。花びらも歪だし、葉っぱの形もちぐはぐだ。
だけど私は、このひまわりが、世界で一番好きだ。

夫の背中の穴は、その日を境になくなった。きっと最初からなかったのだ。
私が落ちたあの闇は、夫の心の中ではない。夫を憐れむ私の心だった。
私が思うよりずっと、夫は強くて明るい人だ。

「髪と背中を洗うの、今日で最後にするね」
まずは、ここから始めよう。夫は「了解」と、ひまわりみたいに笑った。

******

公募ガイドTO-BE小説工房の落選作です。
課題は「穴」でした。割と気に入っていたので、ちょっとがっかり。
SFや奇妙な話が多いと思いましたが、最優秀作は淡々とした日常を切り取ったような話でした。
そうか~そうきたか~(笑)
優しいお話だな~と思いました。
今月の課題は「彼岸」です。この前「お盆」を書いたばかりなので、似たような話にならないように気を付けよう^^


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解禁 [公募]

鮎釣りが解禁になり、新しい竿を抱えていそいそ出掛けた夫は、そのまま帰って来なかった。
夫は、慣れたはずの川で命を落とした。
川岸に残されたのは、空っぽのクーラーバッグと、ひとりの見知らぬ女だった。

女は、体中の全ての汁を出し切るような勢いで泣いていた。
「すみません。私のせいで芦田さんが……」
女は泣きながら、慣れない岩場で足を滑らせた女を庇って、夫が川に落ちたと話した。
「家庭を壊すつもりなんてありませんでした。たまにふたりで食事をするだけで幸せでした。だから週末の釣りに誘ってくれたときは嬉しくて……。それがこんなことに……」
ぼんやりした頭で、ぐちゃぐちゃになった女の顔を見ていた。
誰? この人? 冷たくなった夫に尋ねても、答えるはずがない。

夫には愛人がいた。そんな素振りは微塵も見せず、平然と女と釣りに行っていた。
梅雨のねっとりする風の中、骨になった夫を抱く。涙ひとつこぼれてこない。
泣こうとしても、あの女のぐちゃぐちゃの顔が浮かんで泣けなかった。

四十九日が過ぎたころ、安岡が訪ねてきた。夫の昔からの釣り仲間だ。
「芦田君の弔いをかねて、鮎釣りに行って来たよ。あいつが死んだ川で、あいつも分も釣ってやろうと思ってね。そうしたら、これが木の枝に引っかかっていたんだ」
安岡は、黒い携帯電話を差し出した。
夫のものだ。一緒に流されたのだと思っていた。
「誰かが拾って木に掛けたのかもしれない。ストラップに見覚えがあったから、芦田君のものだと気づいたんだ」

防水機能が付いた携帯は、思ったよりも傷がなく、きれいな状態だった。
「持ち帰って、家で充電してみたんだ。そうしたら未送信のメールがあってね。それもあの事故の日に、奥さんに宛てたメールだ。なんだか気になってね。」
女と出掛けた釣りで、どんなメールを送ろうとしていたのだろう。
震える指でボタンを押すと、何とも呑気な言葉が踊っていた。

『今から帰る。大漁だ。今夜は鮎祭りだ』

「芦田君らしいな。笑顔が目に浮かぶよ」
安岡が微笑んだ。拍子抜けするとともに、ふと、ひとつの疑問が沸いた。
「何が大漁よ。クーラーバッグは空だったわ」
「待てよ。変だな。この文面からすると、釣りが終わって帰り支度をしているようだ。じゃあ、あいつはなぜ川に落ちたんだ?」
私は少しためらった後、夫が愛人と釣りに行き、女を庇って川に落ちたことを話した。
安岡は何度も「信じられない」と言った。
「まさか芦田君が女を、しかも初心者を釣りに誘うなんて。いや、ありえないな。釣りはあいつにとってとても神聖なものなんだ」
言われてみればそうだ。長年連れ添った私でさえ、一度も誘われたことがない。
女の話は本当だろうか。
「ちょっと調べてみようか。釣り仲間に、何か事情を知っている奴がいるかもしれない」
安岡はそう言って帰って行った。
モヤモヤしながら季節はすっかり秋になり、鮎釣りの季節も終わりを告げた。

安岡が訪ねてきたのは、秋桜がだらしなく倒れた晩秋のことだ。
「奥さん、芦田君はやはり不倫なんかしてなかったよ。どうやらその女は、芦田君がたまに行くスナックの女だ」
安岡はそう言って写真を見せた。泣き顔しか見ていない女の、厚化粧の顔が写っていた。
「不幸な生い立ちの女で、芦田君は相談に乗ったり、酔って絡んでくる客から、彼女を助けたりしていたらしい。まあつまり、女がそれを愛だと、勝手に勘違いしたんだな」
それから女は、夫の会社を執拗に訪ねたり、帰り道を待ち伏せするようになった
あの釣りの日も、女が夫を尾行したのではないかと安岡は言った。
女が夫を突き落とし、釣った鮎を川に放ったのだとしたら……。
証拠はない。夫はもう骨になってしまった。
安岡が帰った後、夫の写真の前で初めて泣いた。

夏が来て、再び鮎釣りが解禁になった。
今日は夫の命日で、私は、あの川に来ている。
恐らく今日、女が花を手向けに来ると思ったからだ。
待ち伏せて、女が岩場に花束を置いたとき、思い切り背中を押してやる。
あの日から私は、そんなことばかり想像してきた。

やはり女はやってきた。大きな百合の花束を抱えている。
女はそれを岩場に置くと、私が近づくまでもなく、あっという間に川に身を投げた。
女は、夫の後を追ったのだ。

許せない。
夫の後を追って死ぬのが、あの女であってはならない。
私は大声で叫んだ。
「助けて。誰か助けて!」
後追い自殺など、させるものか。
「人が溺れています。誰か助けて!」
山間に響く大声で、私は助けを呼び続けた。

***********

公募ガイドTO-BE小説工房の落選作です。
課題は「鮎」です。難しい課題ですよね。
鮎の塩焼きは美味しいけれど、食べるの専門で釣りなんて行ったことないし。
やはり無理があったかもしれません。


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五年目の悲劇 [公募]

最初の結婚は、二十三歳のときだったわ。背が高くて素敵な人よ。
だけどその五年後に夫が亡くなって、若い身空で未亡人になってしまったの。
死ぬほど辛かったけど、周りの人たちに支えられて、どうにか笑顔を取り戻すことが出来たのよ。まだ若かったし、子供もいなかったから、いろんなところから再婚話が来てね、
三十二歳のときに二度目の結婚をしたの。

再婚相手は真面目な公務員で、穏やかで優しい人だったわ。
子供は出来なかったけど、夫婦二人で充分幸せだったわ。
だけどその五年後に、やはり夫は亡くなったの。
さすがに生きていく気力を失って、死んでしまおうと思ったこともあった。
でもね、そのときの私には仕事があったの。
地方の小さな情報誌の編集をしていたの。
ちょうど私の企画が通ったばかりだったから、バリバリ働いて辛い気持ちを忘れようと必死だったわ。

もう結婚はしないと決めて、編集長にまで上り詰めた私だったけれど、四十歳のときに運命的な出会いをしたの。
取材に行った大学教授に年甲斐もなくときめいてしまったの。
不謹慎だけど、これまでの二人の夫は、彼に出逢うために死んでくれたんじゃないかって思ったほどよ。ひどい女でしょ、私。
彼の気持ちも同じだと知って、一年後に私たちは結婚したの。
再婚同士だったから、何だかとても楽だった。
すごく自然でいられたのよ。
彼とだったらこのまま死ぬまで添い遂げられると信じていたの。
 
ところが、その五年後に、夫は亡くなったわ。これで三人目よ。
さすがに親族や友人たちも、陰でうわさ話をするようになったわ。
「呪われているんじゃないの?」
「愛した男を死なせてしまう運命なのよ」
「恐ろしいな。魔性の女だ」
最愛の夫を亡くした上に、口さがない陰口に疲れ果てた私は、仕事をやめて家も捨てて町を出たの。

新しい町で暮らし始めて、今までと全然違う仕事を始めたの。
洋服やバッグを売る仕事よ。私は優秀なショップ店員だったわ。
そこに買い物に来たのが、あなたよ。
丁寧な言葉づかいで、感じのいい方だと思ったわ。
商品を手に取ってじっくり選ぶ姿に、私ちょっと嫉妬した。
だってね、てっきり奥様へのプレゼントを選んでいるのかと思ったんですもの。
でも、違ったのよね。
あなたは独身で、成人式を迎える姪御さんへのプレゼントを選んでいたの。
あのお店は、若いお嬢さん向きのショップじゃないから、私は無難なファーのマフラーをお勧めしたわね。
それからあなたは何度も店に来てくれた。
年下だけどまっすぐで強引なあなたに、私は徐々に惹かれていった。
一緒に食事をするようになってまもなく、結婚を申し込んでくれたわね。
私はとても迷ったわ。だって四度目ですもの。
しかも三人の夫を亡くした女よ。
だけどあなたは気にしないと言ってくれたわね。
私、迷ったけれどお受けすることにしたの。
ひとりで年を取るのが怖かったからよ。
いつの間にか、そんな年齢になってしまったのね。

あなたは優しい人で、結婚記念日には必ずプレゼントをくれた。
素敵なディナーや、コンサートに連れて行ってくれたわね。
そして結婚五年目のプレゼントは、温泉旅行だった。楽しかったわ。
まさかその帰りに、バスが崖から転落するなんて、思ってもいなかった。

あなたは、その事故で亡くなってしまった。
結婚して五年後に、やはり私は夫を亡くしたの。自分の運命を恨むしかない。
神様っているのかしら。もう涙も枯れたわ。

私の怪我は軽かった。
警察や取材の人がやってきて、しばらくは何が何だか分からなかったわ。
だけどみんなに言われたの。
「奥さん、あの事故で助かったのはあなただけですよ。本当に運がいいですね」

運がいい? 私は、運がいいの?
ハッとしたの。今まで私は運が悪いと思い続けてきた。
だって結婚するたびに夫を亡くす人生なのよ。
だけどね、よくよく考えてみたら、私ほど強運の持ち主はいないんじゃないかって思えてきたの。

一人目の夫は車の事故、二人目の夫は電車の事故、三人目の夫は飛行機事故、そして四人目のあなたはバスの事故。
私はすべて、隣の席に同乗していたのよ。
そうなの。私だけが助かったの。
私は四人の夫を亡くした可哀想な女じゃなくて、まれに見る強運の持ち主だったのよ。
そう思ったら私、まだまだ生きて行けそうな気がするの。
だからあなた、そしてその前の夫たち、空の上から私を見守っていてね。

あら、お客さまだわ。きっと生命保険会社の方よ。
あなたからの最後のプレゼントね。
あなた、本当にありがとう。

******
公募ガイド「TO-BE小説工房」に出した、もうひとつの作品です。
こちらは落選でした。
最初はこれ一本にしようと思っていたのですが、2作目を出して結果的によかったです。
これは、ラスト3行がない方がよかったのではないかと、読み返して思いました。


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最優秀いただきました [公募]

公募ガイド「TO-BE小説工房」で、最優秀をいただきました。
ありがたいことに、4度目の最優秀です。

テーマは、「運」でした。
実は今回、2つ作品を出したんです。
全く違うタイプの話を2つ。後から出した方が最優秀でした。
2つ出してよかった^^
もう一つは、近々アップします。

最優秀をいただいた作品「幸運」は、公募ガイド5月号に載っています。
よかったら読んでみてください。

***
最近、パソコンの調子が悪くて困ります。
持ち運びに便利なタブレットパソコンを使っているのですが、キーボードがダメみたいで、突然暴走して同じ文字を連打。
kkkkkkkkkkk みたいな感じで、止まらなくなります。
おまけに今日は、「お気に入り」に入れたものが全部消えていました。
えええ~、入れ直し?
こういうことってあるんでしょうか。

今は父から譲り受けたパソコンを使っています。
持ち歩けないとちょっと不便だけど、画面が大きくて使いやすいから、壊れる前にデータを全部移そうかと思っています。


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夜空にこんぺいとう [公募]

「むかしむかし、食いしん坊の神様が、両手にこぼれる程のこんぺいとうを持っていたんだ。そしたらすてーんと転んで、夜の空にばらまいちゃった。それが、星になったんだ」
「ふうん。じゃあ、星って甘いの?」
「ああ、脳みそがおかしくなるほど甘いよ。食うんじゃねえぞ。虫歯になるからな」

相変わらず、いい加減な話をしている。
私は煎餅を齧りながら、アツシと亮太の会話を聞いていた。
時計の針が九時を指した。

「亮太、もう寝なさい」
襖の向こうに声をかけると、ふたり同時に「はあい」と返事をした。
「兄弟か」と、思わずツッコんだ。

アツシは年下の恋人で、息子の亮太をとても可愛がってくれる。
明るくて優しい人だ。一緒になろうと言ってくれた。
だけど私は今ひとつ、結婚に踏み切れない。

前の夫はひどい男で、家に金を入れるどころか持ち出す専門。
暴力こそ振るわなかったが、子供に対する愛情など、まるで感じられない人だった。
アツシは優しい。だけどずっと変わらないとは限らない。
前の夫だって、最初はそこそこ優しかった。

「亮太、寝たよ」
アツシが襖を閉めて居間に来た。
「今日泊まって行っていい?」
「だめ。アツシ、明日仕事でしょ」
「ねえ有紀さん、いっしょに住もうよ。もっと広い部屋借りてさ。亮太だってもうすぐ小学校だろ。ねえ、籍入れようよ」
「あのね、アツシ、結婚は簡単に決められないのよ。ご両親は知っているの? 私が年上でバツイチで子持ちで美人だってこと。反対の要素しかないわ」
「すげえ。自分で美人とか言うんだ」
「とにかく、結婚はまだいいわ」

私は渋るアツシを帰らせ、亮太の隣にごろんと横になった。
あどけない寝顔。アツシなら、この子を大切にしてくれるだろう。
それなのにどうして、こんなに不安なのだろう。

「有紀さーん」
窓の外から声がする。開けてみると、アツシが手を振っている。
「ちょっとおいでよ。星がすごいよ」
仕方なく上着を羽織って、亮太を起こさないようにそうっと外へ出た。
暦の上では春だけど、夜は真冬のような寒さだ。

「早く帰りなさいよ。明日起きられないわよ」
「そうなんだけどさ、星があまりにきれいで」
見上げると、満天の星空だった。宇宙の果てまで続くような星空に、一瞬寒さを忘れた。
「ねえ有紀さん、この無数の星の中で、二つの星が出逢う確率ってすごく低いよね」
「どういうこと?」
「だから、星の数ほどいる人の中で、俺と有紀さんが出逢ったのは奇跡だってこと」
「何それ。歌謡曲か」
「ほら、ずっとひとつの星を見ていると、周りの星がかすんでこない?」
「だから何が言いたいの?」
「俺は、有紀さんと亮太に出逢ってから、周りが全部かすんで見える。有紀さんと亮太しか見えないんだ」
「だから、歌謡曲か」

ふいにアツシが私を抱きしめた。細いくせに大きな手で、頼りないくせに力強い。
冷え切った体を包むように、アツシの手は優しくて温かい。
この人に出逢えたことは、確かに奇跡だ。

風船みたいにふくらんでいた不安が、少しずつしぼんでいく。
ずるいなあと思いつつ、星空の魔法にかかってしまった。
「結婚しよう」
イエスの代わりに、私は言った。
「今夜、泊まっていく?」

結婚話は順調に進んだ。
アツシの両親は、年上でバツイチで子持ちで美人の私に、少し戸惑っていた。
だけど息子がいいならと、最後は賛成してくれた。

亮太は、アツシの母親からもらった土産のこんぺいとうを、嬉しそうに両手で包んだ。
「わあい、星だ、星だ」
家に帰ると、亮太はこんぺいとうをテーブルに並べだした。
「何してるの?」
「あのね、ピンクの星がママ、青い星がアツシ兄ちゃん、緑の星が亮くんなの」
真ん中に三つの星を置いて、まわりに白い星をちりばめている。
「わあ、本当に周りがかすんで見えるわ」

引っ越し準備に亮太の入学準備、これからますます忙しくなる。
だけど新しい暮らしはきっと楽しい。
こんぺいとうほど甘くはないけれど、いつも笑って過ごせる予感はある。
暖かい日差しが、積み重ねたダンボールを照らす。春はそこまで来ている。


*****
公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「星」です。話がちょっとありきたりだったかな…と、反省。
最優秀、佳作共に、レベルの高い作品が多かったです。
ひねりが足りなかったな。
今月の課題は「穴」です。なんかSFっぽい作品が多くなりそう。
もう書き終わっているんだけど、どうかな?


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タイムカプセル [公募]

小学校の校庭は、思っていたより小さく感じた。
校庭が狭くなったのはなく、私が大人になったからだ。
12月の風に、校庭の土が舞う。マフラーを巻き直して時計を見る。
「遅い……」

小学校の卒業後に、四人でタイムカプセルを埋めた。
大切なものを持ち寄って、校庭の隅に埋めた。
美咲と聡とキンジと私は、休み時間も放課後も、飽きるほど一緒にいた。
キンジだけが渾名で、いつも本ばかり読んでいたから二宮金次郎に因んで付けられた。

小学校が廃校になることを知り、急きょタイムカプセルを掘ることになった。
集まるのは、ずいぶん久しぶりだ。
ずっと終わらないと信じていた友情関係は、中学生になった途端にあっさり崩れた。
美咲と聡が付き合い始めたのだ。
四人の間に恋愛というものが存在するということを、受け入れられず戸惑った。

ある日美咲は目を輝かせて言った。
「ねえ、佳織ちゃんとキンジも付き合えばいいのに。そうすればダブルデートできるよ」
何気なく言った言葉は、ひどく不快だった。
「やめてよ、誰がキンジとなんか付き合うか」
すぐ後ろにキンジがいるとは知らずに、私は大声で言った。
キンジは聞こえなかった振りで通り過ぎたが、その日を境に私を避けるようになった。
そして私たちは、そのまま中学を卒業して、それぞれ別の高校へ進んだ。
結局、友情は続かないということだ。

校庭の遊具は、思い出の宝庫だ。ジャングルジム、うんてい、すべり台。
聡は誰より運動が得意だった。美咲はちょっと怖がりだった。
キンジはいつも順番を譲ってくれて、私はいつも笑っていた。
10分後に、ようやくスコップを持った聡と美咲が来た。
ふたりは高校進学を機に別れたが、成人式で再会してまた付き合いだした。
「やっと来たな。腐れ縁カップルが」
「相変わらず口が悪いな。佳織は」
「6年ぶりね。佳織ちゃん、成人式来なかったから」
「ヒマな学生と違って、働いているもんで」
「マジで口悪い。ところで、場所憶えてる?」
鉄棒から西に30歩、そこから南に40歩、せーので右を向いて真正面に見える桜の木の下に埋める。それが、みんなで決めた場所だ。

私たちは、12歳の歩幅を考慮して歩いた。
桜の木が同じ場所に在ったことに感謝して、木の下を掘った。
意外と深く掘っていたことに驚きながら、銀色の缶を掘り出した。
それは、9年分の錆をまといながらも、ちゃんと私たちを待っていた。

「開けるか」
「ねえ、キンジの分はどうする?」
「お家に届けてあげようか」
「エロ写真とかだったらどうする?」
「キンジに限ってそれはない……たぶん」
私たちは、ここにいないキンジのことで笑いあった。
聡が、ゆっくり蓋を開ける。それぞれの名前が書かれた封筒が、4つあった。

何のことはない。当時好きだったアイドルの写真や、百点のテスト、お気に入りのシュシュなどが出てきた。
聡はJリーガーのカード、美咲は自分が書いたポエムに赤面した。
「キンジの開ける?」
「じゃあ、聡が開けてよ。それでもしもエロ写真だったらそのまま埋めよう」
「よし」とキンジの封筒を開けた聡の表情が変わり、一枚の紙を私に差し出した。
「手紙だ。佳織宛の手紙」
「えっ、あたし?」
飾り気のない便箋に「佳織へ」と癖のある文字で書かれた手紙だった。

『佳織へ  僕の性格からして、絶対に言えない言葉をここに残します。僕は佳織が好きです。ずっと好きでした。この先いろんな人と出会うと思うけど、この気持ちを忘れたくないのです。タイムカプセルを開けて君がこれを読んだとき、お願いだから「キモイ」とか言わないで欲しい。もっとも、そういうのも佳織らしくて好きだけどね。 キンジより』

文字が滲んで、泣いていることに気づいた。キンジの気持ちなど、考えたこともなかった。
キンジは、17歳の夏に事故で逝ってしまった。
一緒にタイムカプセルを開けることは出来ない。
何も知らずにキンジを傷つけた中学生の私。
もう謝ることも出来ない。

「雪だ」と美咲が手のひらをかざす。
晴れた空に雪が舞う。遠い昔、小学校の帰り道にも、こんなふうに雪が降った。
「風花だよ。晴れた空から雪が降ることを、風花って言うんだ」
そう教えてくれたのは、キンジだった。
物知りで優しくて照れ屋のキンジを、私たちはずっと忘れない。

3人で空を仰いだ。
「ありがとう。キモイなんて言わないよ。キンジは大切な友達なんだから」
空に向かって手を振ると、いつの間にか雪もやんだ。

*****

公募ガイド「TO-BE小説工房」で、選外佳作でした。
課題は「風花」
こんなきれいな課題が出ると、なんだか身構えてしまいますね。
いい話を書かなきゃ、みたいな。
なかなか書けなくて、ギリギリで出した作品でした。
今月の課題の「鮎」も、なかなかに難しいです。


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夢から覚めた夢 [公募]

夢から覚めたとき、人は二通りの反応をする。
それがいい夢だったときは「何だ、夢か」とがっかりして、悪い夢だったら「夢でよかった」とホッとする。
つまり、見た夢と現実の反応は、真逆である。

なぜそんな話になったのかは忘れたが、目の前の武田君はAランチのコロッケをほおばりながら、「景子さん、哲学者っすか?」と、相変わらず軽い口調で言った。
武田君と私は、事務用品を販売する会社で経理の仕事をしている。
男のくせにおしゃべりで気さくな彼を、私はよくランチに誘う。

「俺、夢ってあんまり見ないんですよね」
「私はね、時々思うの。今生きている世界が、全部夢だったら……ってね」
「景子さん、詩人っすか?」

翌日、武田君が私の顔を見るなり「見ましたよ、夢」と興奮した様子で言ってきた。
「目が覚めたら、この会社に入社したことも、景子さんとランチを食べたことも、全部夢だったと気づくんですよ。うわ~、マジか~って、落ち込んでいたら、そこでまた目が覚めて、全部夢だったのが夢だったという二段落ち。いやあ、焦りましたよ。景子さんが昨日あんな話をするからですよ」
「それで、武田君の反応は?」
「もちろん、夢でよかったと思いましたよ。だってこの会社に入って景子さんと出会って、一緒にランチしたことが全部夢だったなんて、悲しすぎますよ」
武田君は子供みたいに口を尖らせた。素直な反応に、少し後ろめたい気持ちになる。

私は、今生きている世界が夢だったら、どんなにいいだろうと思っている。
彼を亡くした三年前から、何度も何度も想像してきた。
朝目覚めると、そこは私たちが一緒に暮らすはずだったマンションで、となりには寝ぼけ眼の彼がいて、「ああ、そうか。私は長い夢を見ていたんだ。彼がこの世からいなくなるという、悲しい夢を見ていたんだ」と気づく。
ふたりで選んだ水色のカーテンを開けて、私はすべての光に感謝する。
「ああ、夢でよかった」

彼は同じ会社の同期で、営業の仕事をしていた。
恋に落ちて、結婚の約束をして、ひと月後にはチャペルの鐘を鳴らすはずだった。
だけど彼は、仕事中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
私は何度も自分に言い聞かせた。
「夢だ。これは悪い夢だ」
だけど現実は、私を置き去りにして過ぎていく。
会社の同僚たちは、はれ物に触るように私に接した。
社内恋愛の噂や合コンの相談など、私が行くとピタリと話をやめた。
重い空気が流れるフロアに、新入社員の武田君が来た。
何の事情も知らない武田君は、「景子さん、彼氏いないんですか。俺、立候補しようかな」などと言って周りを凍りつかせたが、私はそんな彼に救われた。

その日は月末で忙しく、家に着くなりソファーに倒れ込んだ。
ほんの数分だけと思いながら、私は深い眠りに落ちた。
「景子、景子」と呼ぶ声に目を覚まし、貼り付いた瞼をはがして目を開けると、目の前に彼がいた。
「そんなところで寝たら風邪をひくよ」
私はゆっくり起き上がる。
「夢を見ていたわ。すごく長い夢」
「へえ、どんな夢?」
「あなたが死んじゃう夢。あなたが死んでも、私は変わらずあの会社で働いていて、武田君という後輩が出来て、いっしょにランチをしながら、くだらない話をしているの」
「へえ、どんな話?」
「面接の失敗談とか。武田君、私服OKの面接に、アロハシャツを着て行ったんだって。ハワイでは正装だからって。バカでしょう」
「楽しそうだね。景子、もしかして、職場に復帰したいの?」
「まさか。私はこの部屋であなたの帰りを待っているのが幸せなの」
私は立ちあがり、彼に触れようと手をのばす。だけど何故かその手は宙を抱く。
薄暗い部屋の中、彼はもう、どこにもいない。

真夜中に目が覚めた。やっぱり夢だった。
私はのろのろと立ちあがり、洗面所で顔を洗った。
鏡に映った自分に問いかける。
「何だ、夢か」とがっかりしたか、「夢でよかった」とホッとしたか。

不思議なことに、私はホッとしていた。
そんなはずはないと否定してみても、心の奥が「夢でよかった」と安堵している。
「しょうがないっすよ。景子さんは生きてるんだから」
どこからか、武田君の声が聞こえたような気がした。
相変わらず軽いなあと思いながら、ひとりで笑った。

*****
公募ガイド「TO-BE小説工房」で落選だったものです。
課題は「夢」でした。
最優秀作を読むと、さりげなく「夢」を入れていたので、そういう方がいいのかな~と思ったり。
今月の課題は「運」です。
うーん(ダジャレ?)こういう課題って、却って難しいんですよね。


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最後のドライブ [公募]

75歳になった正吉さんは、運転免許を返納することを決めました。
運転が好きな正吉さんにとって、それは大きな決断でした。
「事故を起こしてからじゃ遅いものね」と、家族はみな大賛成でしたが、私はとても寂しいです。だって私は、正吉さんの車です。
正吉さんは十年間、私を大切に乗ってくれました。私は正吉さんの運転が、とても好きなのです。

うららかな春、桜のつぼみもふくらみました。
正吉さんは、私をていねいに洗ってから、ゆっくり運転席に乗り込みました。
「さて、ドライブに出かけるか」
ひとりごとをつぶやいて、エンジンをかけました。私は思い切って話しかけました。
「最後のドライブですね」
車が話しかけたのに、正吉さんは驚きもせず「そうだね」と言いました。
まるで私が言葉を話せることを、知っているようです。

「君とはいろんなところに行ったね」
「8年前には北海道へ行きましたね」
「あれが最後の遠出だったな」
「カーフェリーに乗ったときは、とても緊張しました」
「車でも緊張するのかね」
「海を渡るのは初めてでしたから」
「そうかい」
正吉さんは笑いながら、ハンドルを右に切りました。
正吉さんの運転はとてもスムーズです。いつだって安全運転です。

「最近はよく、お孫さんの学校のお迎えに行きましたね」
「うん。部活で遅くなると迎えに行ったな」
正吉さんのお孫さんは、私に乗り込むと決まって言いました。
「おじいちゃんの車、演歌ばっかり」
正吉さんはお孫さんのために、よくわからないポップスを無理してかけていましたね。
正吉さんは、ギアを手際よく切り替えながら、急な坂道を上りました。
行き先がわかりました。正吉さんの奥さまのお墓です。
免許を返したら、なかなか行けなくなるから、最後のドライブはここと決めていたのでしょう。

お墓の駐車場で、私は正吉さんを待ちました。
水仙の花が光を集めたようにきれいに咲いています。
正吉さんの奥さまは優しい方でした。
きちんと足をそろえて助手席に座り、ドアを静かに閉めてくれる方でした。
北海道旅行に行ったときはお元気でしたのに、その数年後に亡くなりました。
正吉さんは、奥様とどんなお話をしているのでしょう。

しばらくして、正吉さんが戻ってきました。
「待たせたね」
「いいえ。ぽかぽかして気持ちいいです」
「妻がよろしく言っていたよ。君の静かなエンジン音が好きだったと言っていた」
「嬉しいです。でも、私のエンジン音が静かなのは、あなたのお手入れがいいからです」
正吉さんは、嬉しそうに笑いながら、坂道を下りました。
歩行者がいるときはスピードを緩め、停止線の手前できっちり停まります。

「あの、本当にもう運転しないのですか?」
「ああ、もう決めたんだ」
「もしや、あの日のことがきっかけですか?」
数か月前のことです。正吉さんは、コンクリートの塀に私をぶつけました。
同乗者もなく、本人にも怪我はありませんでしたが、正吉さんはひどく落ち込みました。
正吉さんは、ブレーキとアクセルを踏み間違えてしまったのです。
「やはりね、認めたくないが判断力がにぶっているんだよ。あのときは、君を傷つけてしまってすまなかったね」
「いえ、大したことではありません。きれいに直してくださいましたし」

正吉さんは、交差点をゆっくり左折しました。次の角を曲がれば家に着いてしまいます。
最後のドライブが終わってしまいます。
出来ることならこのままずっと、あなたを乗せて走り続けたい。
そんな私に、正吉さんは優しく言いました。
「孫の春菜が、運転免許をとったんだ。今度から、君は春菜の車になるんだよ」
演歌がきらいなお孫さんは、この春高校を卒業しました。
そうですか。あの子が私を運転するのですね。

家に着きました。正吉さんは慎重に私をガレージに入れました。
私にとって、一番落ち着く場所です。
正吉さんは、エンジンを止めると深く息を吐き、ハンドルを優しく撫でました。
そして私に言ってくれました。
「ありがとう」

最後のドライブが終わりました。そして、正吉さんと私の、最初で最後の会話が終わりました。
桜が満開になるころに、私のお尻に若葉マークが貼られるでしょう。
きっと春菜さんは、ひどく緊張しながらハンドルを握るのでしょうね。
正吉さんにはナイショですが、少しワクワクしています。

********

ある童話賞に応募した落選作です。
わりとタイムリーなものをテーマにしてみたのですが、そういうことではなかったみたい^^;


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蜘蛛の巣 [公募]

溜息が出るほど美しい。

私の家と隣の家を結ぶように張られた大きな蜘蛛の巣は、見事なシンメトリーを描き、繊細な職人が魂を込めて仕上げた芸術品のようだ。
明け方に降った雨の粒が綱渡りのように糸を伝い、真珠のように輝いている。

新聞を取りに来たのも忘れてうっとりと見入っていると、隣の奥さんが大きなゴミ袋を持って出てきた。
「あら、いやだよ。こんな大きな蜘蛛の巣」
奥さんは竹箒を持ってきて、あっという間に蜘蛛の巣を壊した。
忌々しそうに箒に絡みついた糸を地面に叩きつけ、見つめる私に「なによ」という視線を返した。
隣同士でありながら、私たちは壊滅的に仲が悪い。
だから「あなたには、あの美しさがわからないのね」などと余計なことは言わない。
どんな罵声が返ってくるか、容易に想像できるからだ。

私が住んでいる土地は、以前隣の所有物だった。
ひとり息子が作った借金を返すために売却したらしい。
いずれはその息子のために家を建て、まさにスープの冷めない距離で嫁や孫と仲良く暮らしたかったのだろう。
だけど息子は四十にして未だ独身で、手放した土地には都会から来た若夫婦が家を建てた。
気に入らなかったのだろう。引っ越しの挨拶にタオルを持って行くと、「ブランドものしか使わないので」と、その場で突っ返された。
夫は「上手くやってくれよ。田舎のご近所トラブルなんてごめんだからな」と、吐き出すように言った。

それからは、下着をベランダに干すなとか、服装が派手だとか、つまらないことをいろいろ言ってきた。
私がいつも「はいはい」と聞き流していたら苦情は減ったが、「うちの息子に色目を使ってる」などと、ありもしない噂を流された。
どのみち隣人の評判はすこぶる悪く、私に同情する声の方が多かった。

隣の二階から視線を感じるようになったのは、あの美しい蜘蛛の巣を見た後だった。
事業に失敗してから引き籠っている隣の息子だ。奥さんのように恨みや妬みの視線とは違う。彼は、私を見ている。

深夜のコンビニに、彼がいた。昼間は引き籠って夜になると出てくる。
まるで夜光虫だ。彼はレジを済ませた私の後ろにピタリとついて、「最近ダンナ見ないね」と言った。
「出張よ」と答えると「じゃあ、行ってもいい?」などと言い出した。
「バカじゃないの」
無視して歩き出すと後をついてくる。方向が同じとはいえ気味が悪いので足を速めた。

「ねえ、蜘蛛の巣、見てたよね」
背後から彼が言った。思わず立ち止まった。
「きれいだったよね。大きくて、見事なシンメトリーでさ、朝陽にキラキラ輝いて、まるで芸術だったよね」
「そうね」
「同じ時間に同じものを見て、同じように感動していたんだよ。俺たち」
「だから何? 確かにきれいだったわよ。でも、それを壊したのはあなたのお母さんよ」
「そう。何でも壊すんだ、あの人は。俺がきれいだと思うもの、俺が好きなもの、俺が愛するもの、全部壊してしまうんだ」
彼は泣きそうな顔で震えていた。外灯の下で翅を擦り合わせる蛾のように無様だ。
「あんたも、そのうち壊されるよ」
「もう壊れているわ」
私は再び速足で歩き出した。彼はまるで外灯の下が定位置のように蹲っていた。

もう壊れている。私の家は、とっくに壊れている。
夫は出張になど行っていない。会社の近くにアパートを借りている。
もともと田舎の一軒家などに、夫は住みたくなかったのだ。
この家は、私の親が建てた家だ。
狭い団地暮らしだから子供が出来ないのだという父の余計な一言が、夫の自尊心を傷つけた。
それに加えて隣人トラブルに見舞われ、うんざりしてしまったのだ。

家に帰って、二階の窓から向い合せた彼の部屋を見た。電気は消えている。
夜光虫は、今も夜の町を彷徨っているのだろう。

ふと、一本の細い糸が、彼の部屋と私の部屋を結ぶように張っているのに気づいた。
蜘蛛が、糸の上を這うようにこちらに向かってくる。
私は想像した。彼が、あの蜘蛛のように糸の上を這いながら、私のところに来ることを。
異常で醜悪な母親を欺いて、忍者のように息をひそめて逢いに来ることを。
そうすれば私は迷わず彼を受け入れる。毛嫌いしていた男を、簡単に受け入れてしまう。

なぜそんなことを思ったのだろう。
自分勝手な夫への当てつけ? 理不尽な隣人への復讐? いや、きっと、どちらでもない。
私はただ、見たいのだ。
朝焼けに輝く蜘蛛の巣を、何度壊されてもすぐに再生する、強くて美しい蜘蛛の巣を、誰かと並んで見たいのだ。
同じものを見て、同じように感動したい。ただ、それだけだ。

*****
公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
今回は、ちょっと違う雰囲気の作品を出してみたのですが、イマイチでした。
ところで、公募ガイドでポイントのサービスが始まりました。
例えばTO-BEなら、出しただけで10P、佳作が50P、最優秀が100P。
そして9日の発売日に、ご親切にポイント追加のお知らせというメールが来ました。
「今回のポイント10P」
え……それって参加賞だよね。
雑誌見る前に結果がわかるってどうだろう?
私は定期購読だから毎月届きますが、このメール見て買うの止めちゃう人っていないかな?
余計な心配ですが……

ところで、9日発売の公募ガイド、家に届いたのは13日の朝でした。
配送業者の関係かもしれませんが、4日遅れはちょっと……ですよね~


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手紙 [公募]

今日のラッキーカラーは緑だ。
現金書留の緑のラインをなぞりながら、麻美は鋏も使わず封を開けた。
千円札が五枚入っていた。
「サンキュー、お母さん」
麻美はその中から三枚を抜いて財布に入れると、お気に入りのコンバースを履いて外に出た。
実は昨夜から何も食べてない。所持金十二円では、チロルチョコも買えない。

麻美が、女優になるという大きな夢を抱いて上京したのは二年前だ。
地元では「町一番の美人」「超絶可愛い」などと言われてその気になっていたが、ここには麻美程度の容姿はごまんといる。
なかなか女優として芽が出ない上に、劇団の練習を優先していたらアルバイトをクビになった。
日雇いのバイトでも探そうかと思った矢先、母から『お金を送った』とメールが来た。以心伝心とは、まさにこのことだ。
まずは空腹を満たそうと定食屋に行き、むせながらカツ丼を食べた。

「五千円か。もうちょっと欲しかったな」
親の反対を押し切って上京しておきながら、しかも携帯代とアパート代まで親に甘えている身でありながら、麻美はそんなことをつぶやいた。
五百円のカツ丼は、あっという間に麻美の胃の中に収まった。

定食屋を出ると、ドラックストアで安い化粧品と少し高級なシャンプーを買った。
バイト募集の張り紙を見て、とりあえず考える。もっと自由が利くところの方がいい。
あくまでも本業は女優なのだと自分に言い聞かせる。
劇団の先輩の中には、居酒屋の店長になって、そちらを本業にしてしまった人がいる。そうはなりたくないと、麻美は思う。

スーパーでカップ麺と水を買って歩き出すと、里歩から電話が来た。
麻美と同じ劇団の同期で、東京に来て初めてできた友人だ。
「もしもし、里歩だけど、あのね、オーディション受かった。連ドラだよ、連ドラ」
ハイテンションで飛び跳ねるような声だ。
「そのオーディション、私も受けたんだけど」と小さな声で言ってみたけれど、「真っ先に麻美に知らせたかったの。里歩、マジで嬉しくて死にそう」という大声にかき消された。
勝手に死ね。相変わらず空気が読めない上に、自分のことを名前で呼ぶのが気持ち悪い。
麻美は「おめでとう」と抑揚のない声で言って電話を切った。

何が違うのだろう。顔もスタイルも演技力も、何ひとつ負けていない。
里歩は実家暮らしで、親も芸能活動を応援しているから経済的に恵まれている。
オーディションを受けるのもお金がかかる。服を買う、ジムに通う、美容院に行く。
やっぱりそこか。経済力か。
麻美は、左手に食い込むレジ袋の重さに泣きたくなった。

里歩のドヤ顔を見たくなくて、劇団の練習を休んだ。
アパートの窓から安っぽいネオンの看板を眺めていたら母から電話が来た。
「麻美、書留届いた?」
「うん。ありがとう。電話しようと思ってたんだけど忙しくてさ」
「それで、帰ってくる?」
「はあ? 帰らないよ。舞台もあるし、バイトだって休めないもん」
麻美の強がりに、母はまるで気づかない。
「わかったよ。忙しくてもちゃんと食べるんだよ。こっちのことは気にしなくていいから」
離れて暮らすようになってから、母はいつも優しい。

電話を切って無造作に置かれた現金書留の中を見ると、丁寧に折りたたまれた手紙が入っていた。
お金ばかりが気になって気づかなかった。
几帳面な母の文字を、少し照れくさく思いながら読んだ。

『お元気ですか。頑張り屋の麻美のことだから、ちゃんとやっていると思います。お父さんは麻美がいなくなってから、お酒の量が減りました。口では厳しいことを言っているけれど、本当は応援しているのですよ。東京で若い女性が被害に遭うニュースを見るたびに、麻美じゃないかと心配しています。お父さんのためにも、一度帰ってきませんか。余計なこととは思いますが、交通費を同封します。この帰省の切符代にしてください』

胸が何かに掴まれたように痛んだ。
二千円しか残っていない。これでは到底帰れない。
お母さん、ごめん。カツ丼食べちゃった。高いシャンプー買っちゃった。
涙が溢れて止まらない。麻美は現金書留の封筒を握りしめて子供みたいに泣いた。

翌日から麻美は、居酒屋でアルバイトを始めた。
店長をしている劇団の先輩に頼み込んで雇ってもらった。
舞台の練習の合間を縫って、とにかく働いた。

二か月後、麻美は現金書留に一万円札と劇団の公演チケットを二枚入れた。
役名もない小さな役だ。だけど両親に、等身大の今の自分を見てほしい。
『お金は、東京までの切符代にしてください』短いメモを添えて封をした。

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公募ガイド「TO-BE小説工房」で佳作をいただいた作品です。
今回は次点だったので、阿刀田先生の選評も少しいただけました。
ありがたいです。
次は最優秀目指して頑張ります^^


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