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タイムカプセル [公募]

小学校の校庭は、思っていたより小さく感じた。
校庭が狭くなったのはなく、私が大人になったからだ。
12月の風に、校庭の土が舞う。マフラーを巻き直して時計を見る。
「遅い……」

小学校の卒業後に、四人でタイムカプセルを埋めた。
大切なものを持ち寄って、校庭の隅に埋めた。
美咲と聡とキンジと私は、休み時間も放課後も、飽きるほど一緒にいた。
キンジだけが渾名で、いつも本ばかり読んでいたから二宮金次郎に因んで付けられた。

小学校が廃校になることを知り、急きょタイムカプセルを掘ることになった。
集まるのは、ずいぶん久しぶりだ。
ずっと終わらないと信じていた友情関係は、中学生になった途端にあっさり崩れた。
美咲と聡が付き合い始めたのだ。
四人の間に恋愛というものが存在するということを、受け入れられず戸惑った。

ある日美咲は目を輝かせて言った。
「ねえ、佳織ちゃんとキンジも付き合えばいいのに。そうすればダブルデートできるよ」
何気なく言った言葉は、ひどく不快だった。
「やめてよ、誰がキンジとなんか付き合うか」
すぐ後ろにキンジがいるとは知らずに、私は大声で言った。
キンジは聞こえなかった振りで通り過ぎたが、その日を境に私を避けるようになった。
そして私たちは、そのまま中学を卒業して、それぞれ別の高校へ進んだ。
結局、友情は続かないということだ。

校庭の遊具は、思い出の宝庫だ。ジャングルジム、うんてい、すべり台。
聡は誰より運動が得意だった。美咲はちょっと怖がりだった。
キンジはいつも順番を譲ってくれて、私はいつも笑っていた。
10分後に、ようやくスコップを持った聡と美咲が来た。
ふたりは高校進学を機に別れたが、成人式で再会してまた付き合いだした。
「やっと来たな。腐れ縁カップルが」
「相変わらず口が悪いな。佳織は」
「6年ぶりね。佳織ちゃん、成人式来なかったから」
「ヒマな学生と違って、働いているもんで」
「マジで口悪い。ところで、場所憶えてる?」
鉄棒から西に30歩、そこから南に40歩、せーので右を向いて真正面に見える桜の木の下に埋める。それが、みんなで決めた場所だ。

私たちは、12歳の歩幅を考慮して歩いた。
桜の木が同じ場所に在ったことに感謝して、木の下を掘った。
意外と深く掘っていたことに驚きながら、銀色の缶を掘り出した。
それは、9年分の錆をまといながらも、ちゃんと私たちを待っていた。

「開けるか」
「ねえ、キンジの分はどうする?」
「お家に届けてあげようか」
「エロ写真とかだったらどうする?」
「キンジに限ってそれはない……たぶん」
私たちは、ここにいないキンジのことで笑いあった。
聡が、ゆっくり蓋を開ける。それぞれの名前が書かれた封筒が、4つあった。

何のことはない。当時好きだったアイドルの写真や、百点のテスト、お気に入りのシュシュなどが出てきた。
聡はJリーガーのカード、美咲は自分が書いたポエムに赤面した。
「キンジの開ける?」
「じゃあ、聡が開けてよ。それでもしもエロ写真だったらそのまま埋めよう」
「よし」とキンジの封筒を開けた聡の表情が変わり、一枚の紙を私に差し出した。
「手紙だ。佳織宛の手紙」
「えっ、あたし?」
飾り気のない便箋に「佳織へ」と癖のある文字で書かれた手紙だった。

『佳織へ  僕の性格からして、絶対に言えない言葉をここに残します。僕は佳織が好きです。ずっと好きでした。この先いろんな人と出会うと思うけど、この気持ちを忘れたくないのです。タイムカプセルを開けて君がこれを読んだとき、お願いだから「キモイ」とか言わないで欲しい。もっとも、そういうのも佳織らしくて好きだけどね。 キンジより』

文字が滲んで、泣いていることに気づいた。キンジの気持ちなど、考えたこともなかった。
キンジは、17歳の夏に事故で逝ってしまった。
一緒にタイムカプセルを開けることは出来ない。
何も知らずにキンジを傷つけた中学生の私。
もう謝ることも出来ない。

「雪だ」と美咲が手のひらをかざす。
晴れた空に雪が舞う。遠い昔、小学校の帰り道にも、こんなふうに雪が降った。
「風花だよ。晴れた空から雪が降ることを、風花って言うんだ」
そう教えてくれたのは、キンジだった。
物知りで優しくて照れ屋のキンジを、私たちはずっと忘れない。

3人で空を仰いだ。
「ありがとう。キモイなんて言わないよ。キンジは大切な友達なんだから」
空に向かって手を振ると、いつの間にか雪もやんだ。

*****

公募ガイド「TO-BE小説工房」で、選外佳作でした。
課題は「風花」
こんなきれいな課題が出ると、なんだか身構えてしまいますね。
いい話を書かなきゃ、みたいな。
なかなか書けなくて、ギリギリで出した作品でした。
今月の課題の「鮎」も、なかなかに難しいです。


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夢から覚めた夢 [公募]

夢から覚めたとき、人は二通りの反応をする。
それがいい夢だったときは「何だ、夢か」とがっかりして、悪い夢だったら「夢でよかった」とホッとする。
つまり、見た夢と現実の反応は、真逆である。

なぜそんな話になったのかは忘れたが、目の前の武田君はAランチのコロッケをほおばりながら、「景子さん、哲学者っすか?」と、相変わらず軽い口調で言った。
武田君と私は、事務用品を販売する会社で経理の仕事をしている。
男のくせにおしゃべりで気さくな彼を、私はよくランチに誘う。

「俺、夢ってあんまり見ないんですよね」
「私はね、時々思うの。今生きている世界が、全部夢だったら……ってね」
「景子さん、詩人っすか?」

翌日、武田君が私の顔を見るなり「見ましたよ、夢」と興奮した様子で言ってきた。
「目が覚めたら、この会社に入社したことも、景子さんとランチを食べたことも、全部夢だったと気づくんですよ。うわ~、マジか~って、落ち込んでいたら、そこでまた目が覚めて、全部夢だったのが夢だったという二段落ち。いやあ、焦りましたよ。景子さんが昨日あんな話をするからですよ」
「それで、武田君の反応は?」
「もちろん、夢でよかったと思いましたよ。だってこの会社に入って景子さんと出会って、一緒にランチしたことが全部夢だったなんて、悲しすぎますよ」
武田君は子供みたいに口を尖らせた。素直な反応に、少し後ろめたい気持ちになる。

私は、今生きている世界が夢だったら、どんなにいいだろうと思っている。
彼を亡くした三年前から、何度も何度も想像してきた。
朝目覚めると、そこは私たちが一緒に暮らすはずだったマンションで、となりには寝ぼけ眼の彼がいて、「ああ、そうか。私は長い夢を見ていたんだ。彼がこの世からいなくなるという、悲しい夢を見ていたんだ」と気づく。
ふたりで選んだ水色のカーテンを開けて、私はすべての光に感謝する。
「ああ、夢でよかった」

彼は同じ会社の同期で、営業の仕事をしていた。
恋に落ちて、結婚の約束をして、ひと月後にはチャペルの鐘を鳴らすはずだった。
だけど彼は、仕事中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
私は何度も自分に言い聞かせた。
「夢だ。これは悪い夢だ」
だけど現実は、私を置き去りにして過ぎていく。
会社の同僚たちは、はれ物に触るように私に接した。
社内恋愛の噂や合コンの相談など、私が行くとピタリと話をやめた。
重い空気が流れるフロアに、新入社員の武田君が来た。
何の事情も知らない武田君は、「景子さん、彼氏いないんですか。俺、立候補しようかな」などと言って周りを凍りつかせたが、私はそんな彼に救われた。

その日は月末で忙しく、家に着くなりソファーに倒れ込んだ。
ほんの数分だけと思いながら、私は深い眠りに落ちた。
「景子、景子」と呼ぶ声に目を覚まし、貼り付いた瞼をはがして目を開けると、目の前に彼がいた。
「そんなところで寝たら風邪をひくよ」
私はゆっくり起き上がる。
「夢を見ていたわ。すごく長い夢」
「へえ、どんな夢?」
「あなたが死んじゃう夢。あなたが死んでも、私は変わらずあの会社で働いていて、武田君という後輩が出来て、いっしょにランチをしながら、くだらない話をしているの」
「へえ、どんな話?」
「面接の失敗談とか。武田君、私服OKの面接に、アロハシャツを着て行ったんだって。ハワイでは正装だからって。バカでしょう」
「楽しそうだね。景子、もしかして、職場に復帰したいの?」
「まさか。私はこの部屋であなたの帰りを待っているのが幸せなの」
私は立ちあがり、彼に触れようと手をのばす。だけど何故かその手は宙を抱く。
薄暗い部屋の中、彼はもう、どこにもいない。

真夜中に目が覚めた。やっぱり夢だった。
私はのろのろと立ちあがり、洗面所で顔を洗った。
鏡に映った自分に問いかける。
「何だ、夢か」とがっかりしたか、「夢でよかった」とホッとしたか。

不思議なことに、私はホッとしていた。
そんなはずはないと否定してみても、心の奥が「夢でよかった」と安堵している。
「しょうがないっすよ。景子さんは生きてるんだから」
どこからか、武田君の声が聞こえたような気がした。
相変わらず軽いなあと思いながら、ひとりで笑った。

*****
公募ガイド「TO-BE小説工房」で落選だったものです。
課題は「夢」でした。
最優秀作を読むと、さりげなく「夢」を入れていたので、そういう方がいいのかな~と思ったり。
今月の課題は「運」です。
うーん(ダジャレ?)こういう課題って、却って難しいんですよね。


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最後のドライブ [公募]

75歳になった正吉さんは、運転免許を返納することを決めました。
運転が好きな正吉さんにとって、それは大きな決断でした。
「事故を起こしてからじゃ遅いものね」と、家族はみな大賛成でしたが、私はとても寂しいです。だって私は、正吉さんの車です。
正吉さんは十年間、私を大切に乗ってくれました。私は正吉さんの運転が、とても好きなのです。

うららかな春、桜のつぼみもふくらみました。
正吉さんは、私をていねいに洗ってから、ゆっくり運転席に乗り込みました。
「さて、ドライブに出かけるか」
ひとりごとをつぶやいて、エンジンをかけました。私は思い切って話しかけました。
「最後のドライブですね」
車が話しかけたのに、正吉さんは驚きもせず「そうだね」と言いました。
まるで私が言葉を話せることを、知っているようです。

「君とはいろんなところに行ったね」
「8年前には北海道へ行きましたね」
「あれが最後の遠出だったな」
「カーフェリーに乗ったときは、とても緊張しました」
「車でも緊張するのかね」
「海を渡るのは初めてでしたから」
「そうかい」
正吉さんは笑いながら、ハンドルを右に切りました。
正吉さんの運転はとてもスムーズです。いつだって安全運転です。

「最近はよく、お孫さんの学校のお迎えに行きましたね」
「うん。部活で遅くなると迎えに行ったな」
正吉さんのお孫さんは、私に乗り込むと決まって言いました。
「おじいちゃんの車、演歌ばっかり」
正吉さんはお孫さんのために、よくわからないポップスを無理してかけていましたね。
正吉さんは、ギアを手際よく切り替えながら、急な坂道を上りました。
行き先がわかりました。正吉さんの奥さまのお墓です。
免許を返したら、なかなか行けなくなるから、最後のドライブはここと決めていたのでしょう。

お墓の駐車場で、私は正吉さんを待ちました。
水仙の花が光を集めたようにきれいに咲いています。
正吉さんの奥さまは優しい方でした。
きちんと足をそろえて助手席に座り、ドアを静かに閉めてくれる方でした。
北海道旅行に行ったときはお元気でしたのに、その数年後に亡くなりました。
正吉さんは、奥様とどんなお話をしているのでしょう。

しばらくして、正吉さんが戻ってきました。
「待たせたね」
「いいえ。ぽかぽかして気持ちいいです」
「妻がよろしく言っていたよ。君の静かなエンジン音が好きだったと言っていた」
「嬉しいです。でも、私のエンジン音が静かなのは、あなたのお手入れがいいからです」
正吉さんは、嬉しそうに笑いながら、坂道を下りました。
歩行者がいるときはスピードを緩め、停止線の手前できっちり停まります。

「あの、本当にもう運転しないのですか?」
「ああ、もう決めたんだ」
「もしや、あの日のことがきっかけですか?」
数か月前のことです。正吉さんは、コンクリートの塀に私をぶつけました。
同乗者もなく、本人にも怪我はありませんでしたが、正吉さんはひどく落ち込みました。
正吉さんは、ブレーキとアクセルを踏み間違えてしまったのです。
「やはりね、認めたくないが判断力がにぶっているんだよ。あのときは、君を傷つけてしまってすまなかったね」
「いえ、大したことではありません。きれいに直してくださいましたし」

正吉さんは、交差点をゆっくり左折しました。次の角を曲がれば家に着いてしまいます。
最後のドライブが終わってしまいます。
出来ることならこのままずっと、あなたを乗せて走り続けたい。
そんな私に、正吉さんは優しく言いました。
「孫の春菜が、運転免許をとったんだ。今度から、君は春菜の車になるんだよ」
演歌がきらいなお孫さんは、この春高校を卒業しました。
そうですか。あの子が私を運転するのですね。

家に着きました。正吉さんは慎重に私をガレージに入れました。
私にとって、一番落ち着く場所です。
正吉さんは、エンジンを止めると深く息を吐き、ハンドルを優しく撫でました。
そして私に言ってくれました。
「ありがとう」

最後のドライブが終わりました。そして、正吉さんと私の、最初で最後の会話が終わりました。
桜が満開になるころに、私のお尻に若葉マークが貼られるでしょう。
きっと春菜さんは、ひどく緊張しながらハンドルを握るのでしょうね。
正吉さんにはナイショですが、少しワクワクしています。

********

ある童話賞に応募した落選作です。
わりとタイムリーなものをテーマにしてみたのですが、そういうことではなかったみたい^^;


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蜘蛛の巣 [公募]

溜息が出るほど美しい。

私の家と隣の家を結ぶように張られた大きな蜘蛛の巣は、見事なシンメトリーを描き、繊細な職人が魂を込めて仕上げた芸術品のようだ。
明け方に降った雨の粒が綱渡りのように糸を伝い、真珠のように輝いている。

新聞を取りに来たのも忘れてうっとりと見入っていると、隣の奥さんが大きなゴミ袋を持って出てきた。
「あら、いやだよ。こんな大きな蜘蛛の巣」
奥さんは竹箒を持ってきて、あっという間に蜘蛛の巣を壊した。
忌々しそうに箒に絡みついた糸を地面に叩きつけ、見つめる私に「なによ」という視線を返した。
隣同士でありながら、私たちは壊滅的に仲が悪い。
だから「あなたには、あの美しさがわからないのね」などと余計なことは言わない。
どんな罵声が返ってくるか、容易に想像できるからだ。

私が住んでいる土地は、以前隣の所有物だった。
ひとり息子が作った借金を返すために売却したらしい。
いずれはその息子のために家を建て、まさにスープの冷めない距離で嫁や孫と仲良く暮らしたかったのだろう。
だけど息子は四十にして未だ独身で、手放した土地には都会から来た若夫婦が家を建てた。
気に入らなかったのだろう。引っ越しの挨拶にタオルを持って行くと、「ブランドものしか使わないので」と、その場で突っ返された。
夫は「上手くやってくれよ。田舎のご近所トラブルなんてごめんだからな」と、吐き出すように言った。

それからは、下着をベランダに干すなとか、服装が派手だとか、つまらないことをいろいろ言ってきた。
私がいつも「はいはい」と聞き流していたら苦情は減ったが、「うちの息子に色目を使ってる」などと、ありもしない噂を流された。
どのみち隣人の評判はすこぶる悪く、私に同情する声の方が多かった。

隣の二階から視線を感じるようになったのは、あの美しい蜘蛛の巣を見た後だった。
事業に失敗してから引き籠っている隣の息子だ。奥さんのように恨みや妬みの視線とは違う。彼は、私を見ている。

深夜のコンビニに、彼がいた。昼間は引き籠って夜になると出てくる。
まるで夜光虫だ。彼はレジを済ませた私の後ろにピタリとついて、「最近ダンナ見ないね」と言った。
「出張よ」と答えると「じゃあ、行ってもいい?」などと言い出した。
「バカじゃないの」
無視して歩き出すと後をついてくる。方向が同じとはいえ気味が悪いので足を速めた。

「ねえ、蜘蛛の巣、見てたよね」
背後から彼が言った。思わず立ち止まった。
「きれいだったよね。大きくて、見事なシンメトリーでさ、朝陽にキラキラ輝いて、まるで芸術だったよね」
「そうね」
「同じ時間に同じものを見て、同じように感動していたんだよ。俺たち」
「だから何? 確かにきれいだったわよ。でも、それを壊したのはあなたのお母さんよ」
「そう。何でも壊すんだ、あの人は。俺がきれいだと思うもの、俺が好きなもの、俺が愛するもの、全部壊してしまうんだ」
彼は泣きそうな顔で震えていた。外灯の下で翅を擦り合わせる蛾のように無様だ。
「あんたも、そのうち壊されるよ」
「もう壊れているわ」
私は再び速足で歩き出した。彼はまるで外灯の下が定位置のように蹲っていた。

もう壊れている。私の家は、とっくに壊れている。
夫は出張になど行っていない。会社の近くにアパートを借りている。
もともと田舎の一軒家などに、夫は住みたくなかったのだ。
この家は、私の親が建てた家だ。
狭い団地暮らしだから子供が出来ないのだという父の余計な一言が、夫の自尊心を傷つけた。
それに加えて隣人トラブルに見舞われ、うんざりしてしまったのだ。

家に帰って、二階の窓から向い合せた彼の部屋を見た。電気は消えている。
夜光虫は、今も夜の町を彷徨っているのだろう。

ふと、一本の細い糸が、彼の部屋と私の部屋を結ぶように張っているのに気づいた。
蜘蛛が、糸の上を這うようにこちらに向かってくる。
私は想像した。彼が、あの蜘蛛のように糸の上を這いながら、私のところに来ることを。
異常で醜悪な母親を欺いて、忍者のように息をひそめて逢いに来ることを。
そうすれば私は迷わず彼を受け入れる。毛嫌いしていた男を、簡単に受け入れてしまう。

なぜそんなことを思ったのだろう。
自分勝手な夫への当てつけ? 理不尽な隣人への復讐? いや、きっと、どちらでもない。
私はただ、見たいのだ。
朝焼けに輝く蜘蛛の巣を、何度壊されてもすぐに再生する、強くて美しい蜘蛛の巣を、誰かと並んで見たいのだ。
同じものを見て、同じように感動したい。ただ、それだけだ。

*****
公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
今回は、ちょっと違う雰囲気の作品を出してみたのですが、イマイチでした。
ところで、公募ガイドでポイントのサービスが始まりました。
例えばTO-BEなら、出しただけで10P、佳作が50P、最優秀が100P。
そして9日の発売日に、ご親切にポイント追加のお知らせというメールが来ました。
「今回のポイント10P」
え……それって参加賞だよね。
雑誌見る前に結果がわかるってどうだろう?
私は定期購読だから毎月届きますが、このメール見て買うの止めちゃう人っていないかな?
余計な心配ですが……

ところで、9日発売の公募ガイド、家に届いたのは13日の朝でした。
配送業者の関係かもしれませんが、4日遅れはちょっと……ですよね~


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手紙 [公募]

今日のラッキーカラーは緑だ。
現金書留の緑のラインをなぞりながら、麻美は鋏も使わず封を開けた。
千円札が五枚入っていた。
「サンキュー、お母さん」
麻美はその中から三枚を抜いて財布に入れると、お気に入りのコンバースを履いて外に出た。
実は昨夜から何も食べてない。所持金十二円では、チロルチョコも買えない。

麻美が、女優になるという大きな夢を抱いて上京したのは二年前だ。
地元では「町一番の美人」「超絶可愛い」などと言われてその気になっていたが、ここには麻美程度の容姿はごまんといる。
なかなか女優として芽が出ない上に、劇団の練習を優先していたらアルバイトをクビになった。
日雇いのバイトでも探そうかと思った矢先、母から『お金を送った』とメールが来た。以心伝心とは、まさにこのことだ。
まずは空腹を満たそうと定食屋に行き、むせながらカツ丼を食べた。

「五千円か。もうちょっと欲しかったな」
親の反対を押し切って上京しておきながら、しかも携帯代とアパート代まで親に甘えている身でありながら、麻美はそんなことをつぶやいた。
五百円のカツ丼は、あっという間に麻美の胃の中に収まった。

定食屋を出ると、ドラックストアで安い化粧品と少し高級なシャンプーを買った。
バイト募集の張り紙を見て、とりあえず考える。もっと自由が利くところの方がいい。
あくまでも本業は女優なのだと自分に言い聞かせる。
劇団の先輩の中には、居酒屋の店長になって、そちらを本業にしてしまった人がいる。そうはなりたくないと、麻美は思う。

スーパーでカップ麺と水を買って歩き出すと、里歩から電話が来た。
麻美と同じ劇団の同期で、東京に来て初めてできた友人だ。
「もしもし、里歩だけど、あのね、オーディション受かった。連ドラだよ、連ドラ」
ハイテンションで飛び跳ねるような声だ。
「そのオーディション、私も受けたんだけど」と小さな声で言ってみたけれど、「真っ先に麻美に知らせたかったの。里歩、マジで嬉しくて死にそう」という大声にかき消された。
勝手に死ね。相変わらず空気が読めない上に、自分のことを名前で呼ぶのが気持ち悪い。
麻美は「おめでとう」と抑揚のない声で言って電話を切った。

何が違うのだろう。顔もスタイルも演技力も、何ひとつ負けていない。
里歩は実家暮らしで、親も芸能活動を応援しているから経済的に恵まれている。
オーディションを受けるのもお金がかかる。服を買う、ジムに通う、美容院に行く。
やっぱりそこか。経済力か。
麻美は、左手に食い込むレジ袋の重さに泣きたくなった。

里歩のドヤ顔を見たくなくて、劇団の練習を休んだ。
アパートの窓から安っぽいネオンの看板を眺めていたら母から電話が来た。
「麻美、書留届いた?」
「うん。ありがとう。電話しようと思ってたんだけど忙しくてさ」
「それで、帰ってくる?」
「はあ? 帰らないよ。舞台もあるし、バイトだって休めないもん」
麻美の強がりに、母はまるで気づかない。
「わかったよ。忙しくてもちゃんと食べるんだよ。こっちのことは気にしなくていいから」
離れて暮らすようになってから、母はいつも優しい。

電話を切って無造作に置かれた現金書留の中を見ると、丁寧に折りたたまれた手紙が入っていた。
お金ばかりが気になって気づかなかった。
几帳面な母の文字を、少し照れくさく思いながら読んだ。

『お元気ですか。頑張り屋の麻美のことだから、ちゃんとやっていると思います。お父さんは麻美がいなくなってから、お酒の量が減りました。口では厳しいことを言っているけれど、本当は応援しているのですよ。東京で若い女性が被害に遭うニュースを見るたびに、麻美じゃないかと心配しています。お父さんのためにも、一度帰ってきませんか。余計なこととは思いますが、交通費を同封します。この帰省の切符代にしてください』

胸が何かに掴まれたように痛んだ。
二千円しか残っていない。これでは到底帰れない。
お母さん、ごめん。カツ丼食べちゃった。高いシャンプー買っちゃった。
涙が溢れて止まらない。麻美は現金書留の封筒を握りしめて子供みたいに泣いた。

翌日から麻美は、居酒屋でアルバイトを始めた。
店長をしている劇団の先輩に頼み込んで雇ってもらった。
舞台の練習の合間を縫って、とにかく働いた。

二か月後、麻美は現金書留に一万円札と劇団の公演チケットを二枚入れた。
役名もない小さな役だ。だけど両親に、等身大の今の自分を見てほしい。
『お金は、東京までの切符代にしてください』短いメモを添えて封をした。

************************
公募ガイド「TO-BE小説工房」で佳作をいただいた作品です。
今回は次点だったので、阿刀田先生の選評も少しいただけました。
ありがたいです。
次は最優秀目指して頑張ります^^


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ふたつの指輪 [公募]

仕事を終えてアパートに帰ると、薄汚れた郵便受けに白い封筒が入っていた。
間違えて迷い込んだのかと思うほど不似合な封書は、もう15年も会っていない姪の結婚式を知らせる招待状だった。

『叔父さんの居場所を探すのに手間取って、急な知らせになってしまいました。席は用意してあります。ぜひ出席して下さい。父も母も待っています 彩夏』

結婚式は週末だった。髪を二つに結んだあどけない彩夏の顔が浮かんだ。
あの子が結婚する年齢になったのか。
こうして居場所を探してまで招待状をくれたことは、心の底から嬉しい。
だけどいったいどんな顔をして会えばいいのだ。そんな資格は、俺にはない。

15年前、仕事が上手くいかなくてギャンブルに走った。
そのとき背負った借金は、親父が肩代わりしてくれたが、その代わりに家を追い出された。
行き場をなくて兄のところに転がり込み、少しの間世話になった。
兄夫婦は文句も言わず優しく受け入れてくれたのに、俺は彼らを裏切った。

ギャンブルがやめられなくて、義姉の指輪を勝手に持ち出し、質屋で金を借りた。
倍にして返すつもりだったと言ったところで、そこには何の信憑性もない。
兄は烈火のごとく怒り、義姉は信じられないと泣いた。
「他人にだけは迷惑をかけるな」と、封筒に入った金を押し付けるように渡され、家を追い出された。
何も知らない小さな彩夏に「おじちゃん、行っちゃうの?」と、きれいな目で見つめられ、何ともいたたまれない気持ちになったのを今も鮮明に憶えている。

ため息混じりに招待状を見つめていたら玄関のドアが開いて、「ただいま」と裕美が帰ってきた。
裕美は近所のスナックで知り合った女で、2年前から一緒に暮らしている。
「あれ、今日は仕事休みか?」
「うん、ちょっと病院に」
「大丈夫か? 風邪か?」
「それより何、その手紙。結婚式の招待状?」
「ああ、姪っ子のね。兄貴の娘だ」
裕美が封筒を眺めて、細い指で俺と同じ苗字をたどる。
「行くんでしょう?」
「いや、今更どの面さげて会えばいいんだよ。俺は一生許されないことをしたんだ」

最低だった昔のことは、包み隠さず話してきた。「私もそれほどきれいな人生じゃないから」と、裕美は小さく笑ってくれた。
「可愛かったんでしょう。彩夏ちゃん」
「ああ、不思議と俺に懐いてたな」
「子供はね、どうしようもないダメな大人が好きなものよ。行って祝福してあげなさいよ」
「いいよ。金もないし。祝い金も渡せないんじゃカッコ悪いだろ」
ギャンブルもやめたし借金はないけれど、小さな工場の安月給で余裕などない。
ふたりで働いてもギリギリの生活だ。

裕美が「ちょっと待ってて」とタンスの抽斗から指輪を取り出してきた。
「これを質屋に持って行って、お金を借りたらいいわ」
「いや、おまえこれは母親の形見だろう?」
「そうよ。大切なものよ。だから売るんじゃなくて預けるの。お給料日に返してくれればいいわ。今月は夜勤が多かったから、少し多くもらえるでしょ」
白い封筒の横に置かれた指輪は、俺を責めるように輝いている。
昔の弱い自分を思い出して苦しくなる。
「やっぱりいいよ。彩夏には祝電でも送るよ」
「ダメよ。行きなさい」
10歳も年下の裕美が、母親みたいな顔で俺を見た。

「あなたはもう、昔のあなたじゃないでしょう。質屋でお金を借りても、それをきちんと返せる人でしょう。この指輪を、期日までに私のところに戻してよ。それが出来る人だということを証明してよ。私と、お腹の子供に」
「子供?」
「さっき言ったでしょう。今日病院に行ったの。あなたは、父親になるのよ」
裕美の目から、涙がこぼれた。そうか。こんな俺が、父親になるのか。
「ほら、さっさと行きなさい」
裕美が指輪を、俺の手のひらに乗せた。
15年前、義姉の指輪に手を付けたときはまるで感じなかった重みが、ずっしりと伝わってきた。
「ありがとう。ちょっと借りるよ」
俺は、この重みを一生忘れないと誓って立ち上がった。
帰りに小さな花束でも買って帰ろうかと、柄にもなく思った。

*****

公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「質屋」
難しくて、最初から諦めムードでした。イマイチの出来でした。
今月は「夢」です。簡単なようで難しいテーマですね。

公募ガイド、7日に発売でしたが、届いたのは今日です(11日)
日曜祭日が入ると必ず遅れます。これはたぶん、配送する側の問題かもしれませんね。


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夏の終わり [公募]

浅葱色のカーディガンを羽織った妻の敏子が、ゆっくり庭先に降りてきた。
盆を過ぎて夜風が涼しくなったとはいえ、カーディガンはまだ早い。
体力がなくなり体温の調節が上手くできないのだろう。
「あなた、何をしているの?」
「花火だよ。週末に孫たちが来るからさ、花火をたくさん買ってきたんだ。今夜は予行演習だ」
「予行演習なんて大袈裟ね、十号玉でも上げるつもり?」
敏子がコロコロと笑った。この笑い声が聞けるのは、いったいあとどれくらいだろう。

敏子の病がわかったのは三年前だ。治療は難しく、あと一年の命と宣告された。
しかしこの夏で、三年が過ぎた。
ずいぶん痩せて体力は落ちたが、まだ歩けるし食事も摂れる。
「人生のロスタイム三年目ね」と、もともと陽気な敏子は笑って見せた。

ブロックで囲んだ中央に、円筒の花火を立てて火を点けると、シュッという音と共に、火花が空に向かって吹き上げた。
「まあ、すごい。炎が噴水みたいね。これはあの子たちも喜ぶわね」
小さな手持ち花火を想像していた敏子は、勢いよく上がる炎に手を叩いた。
ようやく音が出るような拍手だが、私は気をよくして、もう一本の花火に火を点けた。

週末、息子家族がやってきた。
三人の孫は、五年生の長男と三年生の次男、幼稚園の三男と、男の子ばかりの兄弟だ。
静かな家の中が一気に賑やかになる。
嫁は気のいい人で、長旅の疲れも見せず、台所に立っててきぱきと動いた。
「母さん、元気そうでよかったよ」
明るいうちからビールを酌み交わし、息子はなかなか帰省できないことを詫びた。
働き盛りだから仕方ない。

夜になって、私は花火を縁側に運んだ。
「さあ、おじいちゃんと花火をやろう」
孫たちに呼びかけたが、「やる!」と走ってきたのは幼稚園の三男だけだ。
長男と次男は、スマホのゲームを夢中でやっている。
「おれ、いいや。これクリアしたいから」
「おれも」
小学生にスマホは早いなどと野暮なことは言いたくないが、彼らは食事の時以外、殆どスマホを離さない。
「すみません、お義父さん。夏休みは塾と宿題でゲーム禁止にしていたものだから、夢中になっちゃって」
無理やり付き合わせても仕方ない。私は小さな孫だけ連れて庭に降りようとした。
そのとき敏子が、スマホに夢中の孫たちに優しく話しかけた。

「おじいちゃんの花火はね、すごいのよ」
「へえ、どうすごいの?」
目線を上げずに長男が言った。
「どうって……あのね、ポケモンが出るわ」
「ポケモン? なんのポケモン?」
次男が身を乗り出した。
ポケモンの種類など、敏子にわかるはずがない。口から出まかせだ。
それでも一生懸命答えようとしている敏子を見て、息子が助け船を出した。

「この庭、レアなポケモンがいそうだな」
勢いよく立ち上がり、スマホをつかんで庭に降りた。
「おれも探す」と次男が続き、諦めたように長男もスマホを置いて庭に出た。
一時期ブームになったポケモンを探すゲームだ。
レアなポケモンがいようがいまいが、孫たちは庭に集まった。

花火に火を点けると、さっきまでの態度は何だったのかと尋ねたくなるほど、孫たちははしゃいだ。
「すげー」と目を輝かせ、「次はこの花火」「おれにも火をつけさせて」と私に纏わりついた。
歓声と、炎が照らす赤い頬。
孫たちの姿を愛おしそうに見つめる敏子が、縁側にちょこんと座っていた。

派手な打ち上げ花火が終わり、最後に線香花火だけが残った。
孫たちは騒いだ後、ポケモンのことなどすっかり忘れ、嫁が切ったスイカを食べていた。
私は敏子と縁側に並んで座り、線香花火に火を点けた。
「線香花火はやっぱりいいわね」
敏子はしみじみ言いながら、ちりちりと風に消えそうな光を見ていた。
小さな玉がぽとりと落ちて消えた。あっけないものだ。
一瞬だが、線香花火と敏子の命が重なり、胸が苦しくなった。

「あなた、早く次の花火に火をつけて。こんなにたくさんあるんだから」
線香花火の束を持って、敏子が笑った。
涼しい風の中に虫の声がかすかに聞こえ、夏の終わりを告げていた。
「来年も、花火をやろうな」
私の問いかけに、敏子は小さく頷いた。

*********

公募ガイド「TO-BE小説工房」で、選外佳作だった作品です。
公募ガイドは8日に発売でしたが、届いたのは11日。
ちょっと遅くない? 
最優秀の作品に、レベルの高さを実感しました。
今月の課題は「虫」です。実はもう書き上がっています。(珍しい)


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傘の花 [公募]

春から夏にかけて、たくさんの花が咲くけれど、私にとって最も愛しいのは「傘の花」だ。
雨上がりの澄んだ光の中、六つの傘の花が軒先に咲く。それは我家の幸せの象徴だ。

夫の黒い傘、私の赤い傘、長女の夕菜はオレンジの傘、長男の海斗は青い傘、次男の草太は緑の傘、末っ子の桃香はピンクの傘。
それぞれのカラーが、右から大きい順に並んでいる。
通りすがりの人が目を細めるほど、それは微笑ましい風景だった。

**
雨が降り続いている。六つの傘が軒下に咲くことは、もうない。
家族で出かけたハイキングの帰り道、突然の集中豪雨に見舞われ、私たちが乗ったバスがスリップして崖から転落した。家族の中で、私だけが生き残ってしまった。

あの日から、ずっと雨が続いている。
色のないこの部屋に、雑音のような雨音が絶え間なく聞こえる。
気が狂いそうな寂しさに耐えながら、楽しかった日々を思い出そうとしても、雨は私の心にまで降り続き、やがて嵐のようにすべてを奪ってしまうのだ。

雨が続いているせいで、昼も夜も暗い。
日にちの感覚がわからないほど、私の心が壊れかけている。そんなときだった。
容赦なく窓ガラスを打ち付ける雨音に混ざって、子供たちの声が聞こえてきた。
「お母さん、算数のテストで百点とったよ」
しっかり者の夕菜の声。優しくて、お手伝いもよくしてくれた。
「お母さん、サッカーの大会で点入れたよ」
元気な海斗の声。負けず嫌いな頑張り屋さん。運動会ではいつも一等だった。
「お母さん、家族の絵を先生に褒められたよ」
おっとりしている草太の声。時々大人みたいことを言って驚かせてくれた。
「お母さん、桃ちゃんひとりで、お買い物に行けたよ」
甘えん坊の桃香の声。おしゃれが大好きで、幼稚園にはいつも違うリボンを付けて行った。

あなたたちはどこにいるの? この雨の中に閉じ込められているの? 
子供たちに逢えるなら、嵐の中でも飛び込んで行く。
本当にそう思っているのに、なぜか私の体は雨を恐れていて、外に飛び出すことができない。

リビングに置かれた茶色のソファーには、いつも誰かが座っていた。
夜になると、三人掛けのソファーを奪い合うように、夫と四人の子供たちが押し合いながら座っていた。
根負けして最初にソファーを下りるのは決まって草太で、子供と一緒になってはしゃぐ夫を、私が何度もたしなめたものだ。

今私は、一日中ソファーにいる。占領する私に、「ずるーい、お母さん」と誰かが言ってくれるまで、ずっとソファーに座っている。
ふと、小さな歌声が聞こえてきた。
雑音のような雨音がいつの間にか消えて、代わりに聞こえてきたのは小鳥のさえずりだ。
長い雨が、ようやく止んだ。

私はソファーから体を起こし、窓辺に近づいた。
どんよりと暗かった空に光がさしていて、その先に大きな虹が出ていた。
「まあ、きれい」
虹が出ているよと、子供たちに声をかけそうになって、いないのだと気づいた。
ため息混じりにうつむいて、窓を閉めようとした私の目に、七色の虹よりもずっと愛しい、五つの色が飛び込んできた。
軒先に五色の傘の花が咲いていた。
夫の黒い傘、夕菜のオレンジの傘、海斗の青い傘、草太の緑の傘、桃香のピンクの傘。
右から大きい順に並んでいる。
「五人でお出かけしたのね。お母さんも連れて行って欲しかったな」
手をのばしたら、五つの傘はふわりと宙に浮いて、空へと昇っていく。
「待って。私も連れて行って」
私は、重い体を思い切り伸ばして、黒い夫の傘の柄を、ようやく掴んだ。
連れて行って。あなたたちの世界に、私を連れて行って。

硬くて冷たいはずの傘の柄が、温かくて柔らかいものに変わり、子供たちの声が近くに聞こえた。
もうすぐ逢える。空の上に行ったら、みんなで虹を見下ろそうね。

**
目が覚めたら、夫が私の手を握っていた。
「よかった。戻ってきてくれたんだね」
夫の後ろで、子供たちが泣いていた。
身体の痛みと、子供たちの腕や足に巻かれた包帯で、私は現実を知った。

あのバスの事故で、私だけが意識不明の重体だった。
土砂降りの世界から、夫と子供たちが私を救ってくれたのだ。
「お母さん、虹が出てるよ」
桃香が小さな手で指さした。
夕菜がカーテンを開けてくれて、海斗があそこだよと教えてくれて、草太が上手に絵を描いてくれた。

明日、我家の軒先に、傘の花が咲く。


******
公募ガイド「TO-BE小説工房」で佳作をいただきました。
課題は「かさ」です。
いろんな「かさ」がありますね。勉強になります。
今月の課題は「切符」です。まだ何も浮かびません。


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ぼたん園 [公募]

パートを終えた午後3時、家に帰りたくない気持ちは百パーセントに達する。
会話のない家は崩壊寸前、いや、もう崩壊しているかもしれない。
車を家と逆方向に走らせる。
民家がまばらな山道で、このまま行方不明になってやろうかと、幾度となく考える。
私がいなくなったら、あの家は間違いなく崩壊する。

古い木の看板が、目に飛び込んできた。黒い字で『ぼたん園』と書いてある。
そういえば、牡丹の季節だ。薄紅色の大きな牡丹が、実家の庭で毎年咲いていた。
花を見る余裕など、最近の私にはなかった。
気分転換に行ってみようと、車を看板の矢印の方へ走らせた。

広い日本庭園のようなものを想像していたが、コンクリートの小さな建物だった。
この建物の奥に、きっと牡丹園が広がっているのだろう。
中に入ると、薄暗い窓口から、顔半分が見えない老婆が「どうぞお入りください」と、しゃがれた声で言った。
個人の家の庭を、この時期だけ開放しているのだろうか。
私は、遠慮なく扉を開けて中へ進んだ。

色鮮やかな牡丹園を想像していた私は、その部屋に面食らった。
中に展示してあるのは、どこにでもある洋服のボタンだった。
確かに『ぼたん園』とひらがなで書いてはあったが、駄洒落? おやじギャグ? 
あまりのお粗末ぶりに笑うしかなかった。
さっさと進んで出ようと思ったとき、受付にいた老婆がいつのまにか、私の後ろにピタリと寄り添っていた。
「これが、あんたのボタンだよ」
老婆はそう言って、クリーム色の小さなボタンを指さした。
「あんたが、掛け違えたボタンだよ」
掛け違えたボタン? 私は、その小さなボタンを手に取った。
すると目の前が急に明るくなり、賑やかな子供の声が聞こえてきた。

「ねえ、ママ、晩ごはんなに?」
私のスカートにまとわりつくのは、娘の実花だ。
今は13歳で、大人を小馬鹿にしたようなことしか言わない実花が、まだあどけない幼稚園児だ。
「ぼく、ハンバーグがいい」と、リビングに駆け込んできたのは、息子の聡だ。
引き籠って誰とも口をきかない十六歳の聡が、ランドセルを背負った小学生で現れた。
「ママのハンバーグ大好き」
口を揃えるふたりの頭を撫でながら、私はおひさまみたいに笑っていた。

次のシーン。現れたのは、六年生の聡だ。
「ねえ、どうしても塾に行かなきゃだめ?」
「当たり前でしょう。私立中学を受験するのよ。学校の授業だけじゃ無理でしょう」
聡が好きだったサッカーを辞めさせて、塾に通わせた頃だ。
夫が帰ってきて、ネクタイをゆるめながら言う。
「中学は公立でいいんじゃないか?」
「あなた何もわかってないわ。公立はいろんな子がいるの。いろんな事件もあるわ」
この地域の中学が荒れているという噂を、いくらか大袈裟に言い、夫を黙らせた。
そこからだ。我が家が崩壊へ向かったのは。

聡は結局、中学受験に失敗した。
サッカーを辞めたことで友達が離れたこともあり、中学へは一日も通わなかった。
引き籠り、時々部屋で暴れることもある。
実花はその3年後に公立中学へ進んだが、噂ほど荒れた様子はなく、いたって平和な中学だ。実花はすっかり兄を馬鹿にするようになり、夫のことも、私のことも下に見ている。
何よりいつも重い空気が漂う家を、心底嫌っている。

あのときだ。私がボタンを掛け違えたのは、聡の中学受験を決めたときだ。
聡のためだと言いながら、果たして本当に聡のためだったのか。
ママ友たちとの会話がよみがえる。
「聡君、有名私立に行くんですって?」
「聡君、成績がいいからね。羨ましいわ」
「そんなことないわ。勉強嫌いで困ってるのよ。でもほら、子供の将来を考えたらね」
ママ友たちの善望のまなざしが、上辺だけのものだと知るのは、聡が受験に失敗した後だ。今では誰ひとり、付き合いはない。

現実に戻った。薄暗い部屋で、私は黄ばんだボタンを握りしめている。
先ほどの老婆が、私の肩に優しく手を乗せた。
「だいじょうぶ。まだ、だいじょうぶだ」
「大丈夫?」
「あんただって、反抗期のときは相当だった」
振り向いて見ると、老婆は私の母だった。
親孝行のひとつも出来ぬまま、逝ってしまった母だった。
「まだ、間に合う?」
「間に合うさ」
 涙を拭いて顔を上げると、もう母はいなかった。ぼたん園もすっかり消えていた。
手のひらに残ったボタンを握りしめ、私は歩き出した。
今夜はとびきりおいしいハンバーグを作ろう。
聡のために、実花のために、夫のために。時間はかかっても、きっと間に合う。
ひとつづつ、ボタンをかけなおそう。

****

公募ガイド『TO-BE小説工房』で、佳作をいただきました。
課題は「ボタン」です。
今回は次点だったので、阿刀田先生の選評もちょっとだけいただきました。
ところで今月の課題は「質屋」
何を書いたらいいのかさっぱりわかりません。まあ、ぼちぼち…。


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記憶研究所 [公募]

「大丈夫、眠っている間に終わります」
初老の医者が祥子の顔を覗き込んだ。
医者の顔に並んだホクロを、祥子は薄れていく意識の中でぼんやり見た。

「人間は間違いを犯します。しかしそこで躓いて、たった一度の人生を棒に振るのはよくありません。いいですか」
初老の医者は、紙に鉛筆で丸を書き、すぐに消しゴムできれいに消した。
「間違った文字を消しゴムで消すようなものだと思ってください。祥子さんの人生の悲しい記憶を、すっかり消してしまうのです」
祥子の母は、祈る想いですがりついた。記憶を操作する研究は、まだ開発途中で合法ではない。
しかし祥子は悲しみの淵に沈み、自殺さえしかねない。
祥子を苦しめる記憶を消して、以前のように楽しく暮らせるだろう。

施術は無事終わり、祥子は眠っている。
「成功しました。ただ、何かのきっかけで思い出してしまうことがないとは言えません。身の回りの物を出来るだけ処分して、新しい環境で暮らすことをお勧めします」
医者はそう言うと、眠っている祥子を一般病棟に移す手続きをした。
「記憶研究所」に来たことも、祥子の記憶から消えているからだ。

目覚めた祥子は、以前のようなあどけない十七歳の少女に戻った。
「どうして私病院にいるの?」
「ただの検査入院よ。ほら、貧血で倒れたでしょう。もう大丈夫よ」
母親は何事もなかったように振る舞い、祥子が入院している短期間で新居を決め、高校の退学届を出し、新しい生活の準備をした。

母親は祥子を連れて、遠く離れた田舎町で暮らすことにした。
元々不登校気味だった祥子は、高校に未練もなく、すぐにこの暮らしを受け入れた。
母親はスーパーで働き、祥子は近くの農園でアルバイトを始めた。
土いじりに向いているようで、学校に行っているときよりもずっと生き生きしている。

祥子は、農園で知り合った青年と親しくなった。今どき珍しい素朴な青年だ。
「祥子は、お母さんと二人暮らしなのか?」
「うん。生まれたときから二人なの。父親は、顔も知らないわ」
「そうか。だからアルバイトで家計を助けているのか。えらいな、祥子は」
青年は大きな手で祥子の頭を撫でた。その仕草が好きで、祥子は頬を染めた。

「土曜日に、星祭りに行かないか」
トマトの収穫をしながら、青年が言った。
夏休みに近所の小学生を集めて、星を見るイベントだ。
過保護すぎるほど祥子の外出を規制する母親だが、最近明るくなった祥子を見て夜の外出を許可した。
信用できる青年だし、祥子のよいパートナーになりそうだ。
この町で平穏に暮らすために彼は必要だと思った。

星祭りの夜、小学生に交じって、祥子は青年と星を見た。
都会ではありえない星空だ。今にも降ってきそうなほど近い。
宇宙に手が届きそうな感覚に、祥子は息をのんだ。
「すてき。こんな星空初めて見た」
「すごいだろう。ほら、あれが北斗七星だ」
七つの星を、青年の指が辿る。
それを目で追いながら、祥子はふと、頭の中で何かが弾けるような気がした。
何かが祥子の記憶の蓋をこじ開けようとしている。
なんだろう。難しい数式を思い出すように、祥子の脳が急激に動き出した。
星座の説明をする青年の声は、もはやまるで聞こえない。
もやもやしたまま、星祭りが終わった。

会場の出口で、スタッフが参加賞を配っていた。
星型の消しゴムだ。それを受け取り、祥子は小さくつぶやいた。「消しゴム……」
不思議な感覚と共に、記憶がじわじわと染み出してくる。『初老の医者』『記憶研究所』。
祥子はあんなに好きだった青年の手を振りほどき、走り出した。
「お父さん」と叫ぶ声が、震えていた。

祥子には父親がいた。酒を飲むと人が変わったように暴力をふるう父親だった。
月も星もない真夜中、祥子は母親と一緒に、マンションのベランダから父親を突き落とした。
泥酔して母親を殴った後だった。

祥子の記憶がすべて戻ってしまったことを知った母親は、ひどく動揺した。
「祥子、落ち着いて。もう済んだことよ。警察も事故で処理したじゃないの」
「私は憶えてる。お父さんを押したときの手の感触も、全部憶えてる」 
この町で穏やかに暮らせると思ったのに、いったいなぜ記憶が戻ってしまったのだろう。力なく座りこむ母親の耳に、テレビニュースの音声が滑り込んだ。

『……無認可の治療を行ったとして、記憶研究所の医者が逮捕されました』

テレビ画面に映し出された初老の医者の顔には、星座のようなほくろが七つあった。

*******

公募ガイドTO-BE小説工房で、落選だったものです。
テーマは「消しゴム」でした。
まったく自信がなくて、アップするのもやめようかな~と思ったのですが、まあいいか。
ちょっとテーマとずれたかな?
みなさまの意見をお聞かせください。


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