So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の10件 | -

本を読む人

窓辺で、女性が本を読んでいる。
年齢は、30代後半から40代前半といったところだろうか。
美しい人だ。本を読む姿勢がきれいだ。

僕は二つ離れた席でコーヒーを飲みながら、彼女をチラ見した。
夕暮れのカフェは、静かで空いていた。

本のタイトルはわからない。
布製のブックカバーを掛けているからだ。
ブックカバーには紅葉の刺繍が施されている。
きっと季節ごとに変えているのだろう。好感が持てる。

彼女は、ときどき辛そうな顔をしながら読む。
きっと切ない話なのだ。恋愛小説と思われる。
時おり目頭をおさえて、泣いているようだ。
自分の人生と重ね合わせているのだろうか。
彼女を悲しませることは、いったい何だろう。
薬指には指輪がある。
夫か。ろくでもない男と結婚して、悲しい想いをしているのだろうか。
彼女は、読むのが辛くなったのか、とうとう本を閉じてしまった。

そこへ勢いよくドアが開き、男が入ってきた。
白髪まじりの痩せた男だ。
年齢は50代半ばといったところだろうか。
男は彼女に向かってまっすぐ歩いてきた。
年が離れている。不倫だろうか。

男はドカリと彼女の前に座り、「これからどうする?」と、ぶっきらぼうに言った。
「どうするって、あなたが決めてよ」
「あれ、機嫌悪い? っていうか、泣いてる?」

どうやら不倫男は、ずいぶんと無神経なようだ。
不倫の清算を、女性任せにしようとしている。
おまえのせいで、彼女が泣いているというのに。

「本が読めないのよ。読みたいのに、辛くて読めないの」
「じゃあ、読まなきゃいいだろ」
なんて男だ。彼女は悲しい不倫小説に、自分を重ねているんだぞ。
僕は、テーブルの下で拳を震わせた。

「読みたいのよ。もうちょっとで犯人が解るのよ」
……あれ、ミステリーだった?

「なのに、どうしても読めないのよ」
「老眼だろ。無理しないで老眼鏡作れよ。おまえ、若く見えても48だろ」
「いやよ。私まだ、老眼じゃないわ。眼鏡を掛けたら負けよ」
「ふうん。どうでもいいけど、どうする? 今から」
「いつもの焼き鳥屋でいいわよ。こじゃれた店は疲れるわ」
男は運ばれたコーヒーを一気に飲んで席を立った。

女は文庫本を無造作にバッグに押し込みながら、男の後に続いた。
チラリと、本のタイトルが見えた。人気作家の軽いミステリーだった。
彼女はもう、流行り物好きな48歳のおばさんにしか見えない。
「その本の犯人は、夫ですよ~」
と、教えたいのを必死でこらえた。


にほんブログ村
nice!(9)  コメント(5) 

哀愁のハーモニカ

ススキが揺れる土手に座り、おばあさんがハーモニカを吹いている。
ススキみたいな白い髪の、痩せた小さなおばあさんだ。
あまり上手ではなかったけれど、そのメロディは聞き覚えがあった。
夫がたまに口ずさむ歌だ。タイトルは確か「故郷の空」。

「夕空晴れて秋風吹く……」
気が付いたら、おばあさんのハーモニカにつられて歌っていた。
今の風景に、この歌がピッタリだったからだ。
「あらあら、お上手ね」
「すみません、つい」
私は、顔を赤くしながらおばあさんの隣に座った。
見ると古いハーモニカには、ひらがなで名前が書いてある。
『1ねん2くみ すずきよしお』
すずきよしお? 夫と同じ名前だ。
もちろん偶然だ。ありふれた名前だし、この人は夫の母親ではない。

「息子さんのハーモニカですか?」
「ええ、そうなの。小学校のころ、息子が使っていたの。今はもう50歳のおじさんよ」
あら、年まで夫と一緒だ。
「息子はね、ハーモニカのテストの度に泣いて帰って来たわ。音楽のセンスがゼロなのね」
偶然だ。夫も信じられないくらいの音痴だ。
「でもね、絵は上手だったのよ。県の絵画コンクールで賞をもらったわ」
あ、また偶然。夫も絵がうまくて、美術教師をしている。
「やんちゃな子でね、すべり台から落ちて、額を7針も縫う怪我をしたのよ」
ええ~、また偶然。夫の額にも傷跡がある。確かすべり台から落ちたって言っていたような。
「親バカかもしれないけど、器量のいい子でね、幼稚園の時、3人の女の子から同時に告白されたのよ」
うそ! 夫もそんな自慢話していた。今はメタボだけど、確かに昔はイケメンだった。
ここまで偶然が重なるって、おかしくない?

「あの、つかぬことを伺いますが、息子さんの血液型は?」
「O型よ」
「星座は?」
「5月30日生まれだから、ふたご座かしら」
背中がゾクッとした。血液型と誕生日まで一緒だ。
でも、夫の母親はずいぶん前に亡くなっている。
いや待て、もしかしたら生きている? そういえば私、お墓に行ったことがない。
何かの事情で生き別れたお母さんじゃないかしら。何となく、横顔が夫に似ている。
この人はハーモニカを吹きながら、幼いころに別れた息子を想っているのだ。

「あの、私の夫も鈴木義男(すずきよしお)っていうんです。50歳です」
おばあさんが、「え?」と驚いた顔をした。
「血液型も誕生日も一緒です。絵が上手で、美術教師をしています。額には傷があります」
「あらまあ」
「うちに来て、夫に会ってもらえませんか」
おばあさんは、困ったようにうつむいた。
「それは無理よ」
「なぜですか。こんな偶然滅多にないわ。きっと神様が巡り合わせてくれたんですよ」
おばあさんは、いよいよ困った顔で、申し訳なさそうに言った。
「今から息子のよしおが孫を連れて遊びに来るのよ」
「え? そのハーモニカの、よしおさん?」
「そうよ。それにしても、偶然ってあるものね」
おばあさんは笑いながら立ち上がった。

「ああ、それからね、息子の名前は、すずきよしおじゃなくて、すすきよしおよ」
「すすき?」
「そう、薄良夫(すすきよしお)。点がないのよ。よく間違えられるけどね」
夕陽に染まるススキの土手を、おばあさんはいそいそと帰った。

呆然と見送る私を慰めるように、ススキがさわさわと揺れていた。


にほんブログ村
nice!(9)  コメント(10) 

結婚記念日 [男と女ストーリー]

「結婚記念日?」
「うん。いや、俺も忘れてたんだけどね、カレンダーに○がついてて、しかも小さくハートマークも書かれていてさ、それでハッ思い出したんだ」
「ふうん、何年目?」
「10年目、ヤバいだろ。忘れたら大変な目に遭う。一生言われる」
「へえ、それで、何かするの?」
「うーん、食事か温泉。ママならどっちがいい?」
「そりゃあ温泉よ」
「温泉か。でもさ、結婚10年だし、大した会話もないし、飯食って風呂入ってゴロゴロして、家にいても変わらないんじゃないかな」
「わかってないわね。上げ膳据え膳って、女にとって最高の贅沢よ」
「そうか。じゃあ、温泉にするか」
「奥さん、可愛いじゃないの。カレンダーに○なんて」
「うん。あとさ、引き出しにプレゼントも隠してあった。あれはたぶんブランドの時計だな。おれも何か用意しなくちゃな。やっぱり指輪かな」
「はいはい、指輪でも竹輪でも何でもいいわ。それ飲んだら帰りなさい」

男は、行きつけの小料理屋を出て、9時過ぎに帰宅した。
ほぼ毎日、そこで食事をしてから帰る。
家に帰っても、何もないからだ。
「上げ膳据え膳っていうけど、うちのカミさん料理しないけどな」
互いに仕事を持ち、子どもはいない。束縛しないことが円満の秘訣だ。
夫婦というより、ルームシェアをしているパートナーみたいだが、男はその暮らしを割と気に入っていた。
「ただいま」
「おかえり。お風呂沸いてるよ」
「サンキュ。あのさ、来月温泉行こうよ」
「なに? 急にどうしたの?」
「いや、ほら、結婚記念日だからさ」
「え? マジ? そうだっけ?」
「とぼけんなよ。カレンダーに○つけてあるだろ」
「あ、そ、そうだった」
「ちょうど土曜日だし、一泊で行こうよ。俺、近場の宿探してみる」
「あのさ、悪いんだけど、別の日にしない。私、その日接待が入りそうなの。嫌だけど、もちろん温泉の方がいいけど、仕事だからね、仕方ないよ」
「そうか。翌週は俺がダメだし、有給でも取るかなあ」
「いいよ、無理しないで。何なら私、ファミレスのランチでいいよ。こういうのはさ、気持ちが大事だから、特別なことしなくてもいいんじゃない」
「そうか。君がいいなら」
男は風呂に入り、女は、ふうっとため息をついた。

「結婚記念日?」
「そうなのよ。すっかり忘れててさ、ダンナに温泉行こうって言われてビックリしたわ」
「いいじゃん、温泉。ますますきれいになっちゃうね」
「もう、やめてよ~。ボトル追加ね」
「ありがとうございま~す。でもさ、たまにはダンナにサービスしたほうがいいんじゃない?」
「わかってるわよ。でも、その日だけは絶対にダメ。だって、私の結婚記念日は、コージ君の誕生日なんだもん」
「憶えててくれたんだ。うれしいな」
「楽しみにしてて。プレゼントも買ってあるの」

女は、夜な夜な通い続けるホストクラブを後にして、深夜の月を見る。
「結婚記念日か。育毛剤でも買ってやるか」


にほんブログ村
nice!(11)  コメント(8) 

ハムレター [コメディー]

天国へ行ったハムスターから、手紙が来た。
秋の空をふわふわ舞いながら、わが家の庭に落ちてきた。

拝啓
スズキ家の皆様、お元気でお過ごしであろうか。
生前はずいぶんと世話になった。
部屋の適度な温度調節、バランスの良い食事、こまめなトイレ掃除など、感謝の念に堪えない。
ところで、風の噂で聞いたのだが、ネコを飼い始めたそうではないか。
いや、まさか、私が死んでひと月も経たないうちにネコを飼うなんて、スズキ家の面々がそのような薄情なことをするわけがないと耳を疑ったが、ふと思い出したのだ。
母親が電話で
「えー、ネコ? あー、飼いたいけど、うちにはハムスターがいるからな~」
と、残念そうに言っておったのを。
そういうことか、私が死んだから、これ幸いとネコを飼ったのか。
末娘など、あんなに泣いておったのに、今ではネコに首ったけだそうだな。
しかも、私には「ゴンタ」などという古めかしい名前をつけたくせに、ネコの名前は「ショコラ」だと?
まあよい。死人に口なし。死んだハムスターにも口なしだ。

ところで、私は生前の行いが大変良かったということで、かねてより願い出ていた人間への生まれ変わりを許可された。
私は切に願った。スズキ家の家族になりたいと。
じきに長女が身ごもるであろう。去年親の反対を押し切って、ミュージシャンと結婚した長女だ。
恐らく自分たちだけでは養えず、実家に転がり込むであろう。
私は、その長女の子供として生まれ変わるのだ。
もちろん、前世でハムスターだったことなどすっかり忘れている。
しかし本能というのは厄介なものである。
砂遊びが好きだったり、水を怖がったりするであろう。
そして何よりネコとは相性が悪い。
これから生まれる長女の子供に、ネコは近づけちゃいかん。出来ればネコは、どこかよその家に引き取ってもらうことも視野に入れてはもらえぬだろうか。
可愛い孫のため、いや、私のために。
以上、私からの切実なる願いである。
敬具


ふうん。ハムスターからの手紙か。
なるほど、ハムスターの生まれ変わりの赤ん坊がやってくるのね。
おもしろくなりそうだわ。

「ショコラ、お庭で何してるの? あら、なに? その紙、ビリビリに破っちゃって読めないじゃないの。もう、いたずらっ子ね」

ニャ~(たっぷり可愛がってあげる)

KIMG0633 (1).JPG

うちのハムちゃんは元気です。



にほんブログ村

nice!(7)  コメント(6) 

患者が愛した男 [公募]

あの人に会えると思ったんですよ。
現世では結ばれなかったあの人と、あの世で一緒になりたかった。
だけどあの人は、迎えに来てはくれませんでした。
お花畑が見えたんです。きれいな川が流れていて、あれが恐らく、三途の川だったのでしょう。
向こう岸で手招きしたのは、あの人ではありませんでした。
白い着物を着た女の人でした。
よく見たらその人は、あの人の奥様じゃありませんか。
物凄く怖い顔で、手招きをするのです。
「早く渡っていらっしゃいな。閻魔様とかけ合って地獄に落としてもらうから」
まるで鬼のような形相なのです。私、すっかり怖くなって引き返してしまいました。
それで気がついたらこの病院のベッドの上だったというわけです。

一命をとりとめた患者は、白髪の老婆だが、仕草や話し方がどこか艶めかしい。
若いころはさぞかし美人だっただろう。点滴を替えながら、私は患者に話しかけた。
「あの人って、誰のことですか?」
「私が生涯で、唯一愛した男ですよ。もう三十年も前の話ですけどね」
「奥様がいる方だったんですね」
「そう。今でいう不倫です。でもね、看護師さん、絶対に私の方が愛されていましたよ。ええ、それは間違いないわ」
患者は、自信たっぷりに言い切った。

その患者が運ばれてきたのは、三日前のことだった。
信号待ちの交差点で心臓麻痺を起こして倒れた。
幸い人通りが多く、処置が早かったために一命を取り留めることが出来た。
物腰が柔らかく、丁寧な言葉遣いの患者に好印象を持った。
あの不倫の話を聞くまでは。

私の父は不倫をしていた。母は随分と泣いていたし、そのせいで、ひどく辛い最期を迎えた。
母は死んでも父と不倫相手を許さないだろうし、それは私も同じだ。
あの患者が、昔の不倫を美しい究極の愛だと語るたびに、吐き気が込み上げるほどの嫌悪を感じたが、ベテランナースとして普通に接した。
患者に対しては、分け隔てなく誠心誠意尽くすのが私たちの仕事だ。

患者には、身内はいなかった。誰も見舞いに来ない寂しい女だった。
「ご両親は健在なの?」
朝の血圧を測っているときに、不意に聞かれた。細い腕が微かに動いた。
「母はとっくに亡くなりました。私が十八のときです。父は三年前に、この病院で看取りました」
「ご結婚は?」
「していません。たぶん、もうしません。両親の幸せな姿を見て育たなかったから、結婚に対する夢も希望も持ったことはありません」
「そうね。愛の形って結婚だけじゃないもの。結婚にとらわれることなんてないのよ」
患者は、また三十年前の不倫のことでも思い出したのか、うっとりしたような顔つきになった。
私はさっさと血圧計を片づけて病室を後にした。これ以上話すと、爆発しそうだった。

患者の退院が決まった。
薬や、通院の予定表を持って病室に行くと、夕焼けを見ながら患者が泣いていた。
「死にたかった。どうして私、助かってしまったのでしょう」
「そんなこと言っちゃだめですよ。生きたくても生きられない人だっているんだから」
私の母のように、という言葉は呑み込んだ。

「看護師さん、私を殺してくれませんか。点滴に何かの薬を混ぜれば、きっと誰も気づかない。ねえ看護師さん、あなただって、私を殺したいでしょう?」
患者は拝むように手を合わせ、私のネームプレートに視線を移した。

ああ、やはりそうかと、私は思った。三十年前に父と不倫したあげく、私の母を刺殺した女だ。
ありふれた名前だったから確証はなかったけれど、話すうちに芽生える黒い感情の理由がやっとわかった。
この女はきっと、最初から知っていたのだ。私が、愛した男の娘であることを。

「バカじゃないの。死んでも父のところへなんか行けないわ。あなたは地獄に落ちるのよ。父が母よりあなたを愛していたなんて、本気で思ってる? ただの遊びだった、許してくれって、墓の前で泣いていたわ。私はあなたを殺さない。あなたとは違うもの」

きれいな夕陽を隠すように、カーテンをピシャリと閉めて、私は速足で病室を出た。
もう会うことはないだろう。

彼岸花が、急斜面を赤く染めている。高台の墓には、父と母が仲良く眠っている。
父が本当に愛していたのが誰だったかなんて、そんなことはどうでもいい。
私は手を合わせ、あの女が天国に行かないことだけを祈った。

*****

公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。課題は「彼岸」です。
最近は佳作にも選ばれなくなりました。
最優秀作品、面白かった。こういうのを私も書きたかったな。


にほんブログ村
nice!(10)  コメント(10) 

ひとりの夕食

父の様子がおかしいと、姉から電話があった。
3か月前に母が亡くなり、父は独り暮らしになった。
近所に住む姉が、毎日食事を作りに行っていたが、夕飯を全く食べていないという。
「お昼は残さず食べるのよ。だけどね、夕飯用に作った料理には手を付けてないの。レンジでチンするだけなのに、それも面倒なのかしら。お願い、一度様子を見に行って。私はついキツイこと言っちゃうから」
そんなわけで、次の休日、父の家に向かった。

父は少し痩せていたが、思ったよりも元気だった。
台所に行くと、シンクの横に洗った皿や小鉢が伏せてあった。
「なんだ。ちゃんと夕飯食べてるじゃない」
と思ったが、冷蔵庫には姉が作った料理がそのまま入っていた。
「お父さん、お姉さんの料理、不味いの?」
「いや、なかなか美味いよ」
「じゃあどうして食べないの? 何か買ってきて食べてるんでしょう」
「いや、実はな……」
父は、ふたりしかいないのに、急に声を潜めた。
「お母さんが、料理を作りに来るんだ」
「はあ?」

父は言う。
日が暮れると、勝手口のドアがすうっと開き、母が入ってくるのだと。
母は台所に立ち、父が好きな煮物や玉子焼きやタコの酢の物を作って、すうっと出て行くのだと。

「しっかりして。お母さんは死んだのよ」
「そんなことわかってる。最初は俺も驚いた。だけど本当だ」
「お姉さんには言ったの?」
「言ってない。あいつはどうせ信じない。下手すると病院に連れていかれる」
「確かにそうかも」

半信半疑だが、私はその日、実家に泊まることにした。
幽霊でもいい。母に逢ってみたいという気持ちもあった。

そして日暮れ、私は、息をひそめて母を待った。
母の料理は本当に美味しい。
家を離れて都会で暮らして10年。いつも懐かしく思っていた。
父は、一升瓶を横に置き、チビチビと飲み始めた。
「お母さん、遅いね」と言っても、返事はない。

やがて父は立ち上がり、ふらふらと台所に行き、食器棚から皿と小鉢を盆にのせた。
そしてそれらをテーブルに並べて、箸を動かし始めた。
空の皿をつつき、空の小鉢から何かを掬い、まるでままごとみたいに食べる真似をした。
「お父さん、お皿空っぽだよ」
私の声はまるで届いていない。父は黙々と食べる真似を続け、満足そうに腹をさすり、皿を台所に持って行った。
鼻歌まじりに皿を洗う父を見て、私は無性に泣きたくなった。
父は寂しいのだ。ひとりの夜が、たまらなく寂しいのだ。

しばらくして、私は仕事を辞めて実家に戻った。
父は、ちゃんと夕飯を食べるようになった。
「お父さん、美味しい?」
「ああ、だけどお母さんの味には、まだ遠いな」
「そうかなあ。割と近いと思うけど」
「いや、まだまだだ」
父は、台所に向かって目配せをした。
まるでそこに、母がいるように。


にほんブログ村
nice!(9)  コメント(10) 

未来の兄嫁 [コメディー]

今年大学生になったお兄ちゃんは、お盆休みが終わるとさっさと東京に帰った。
もっとゆっくりすればと、お母さんは言ったけれど、「バイトが」とか、「サークルが」とか言いながらそそくさと帰った。

わたしは知っている。
お兄ちゃんには、彼女がいる。
「お母さんに言うなよ」と、わたしにだけこっそり、写真を見せてくれた。
おしゃれで笑顔がステキな可愛い人だった。

会ってみたいと、わたしは思った。
うちに遊びに来ないかな。こんな田舎に来るわけないか。
結婚したら、あの人がお義姉さんになるのか。お化粧とか教えてもらおう。
…なんて、気の早い想像までした。

夏休みも終わりに近づいた。
わたしは、どうしてもお兄ちゃんの彼女に会ってみたかった。
「お母さん、東京に行きたいんだけど」
「東京? 何しに?」
「東京見物。せっかくお兄ちゃんが東京にいるんだから」
「あんたは本当にお兄ちゃんっ子だね。でもひとりで電車に乗れるの?」
「乗れるよ。もう12歳だよ。お兄ちゃんに駅まで迎えに来てもらうし大丈夫だよ」
お母さんは「可愛い子には旅をさせろ」の精神で許してくれた。

東京までは電車で3時間。
田舎の景色から、住宅がひしめき合う都会へと進み、大きなビルやスカイツリーが見えてくる。
お兄ちゃんには連絡してあったから、駅まで迎えに来てくれた。
「電車、迷わなかったか?」
「スマホがあるから大丈夫」
「いいなあ。俺が中一のときは、携帯も買ってもらえなかったぞ」
お兄ちゃんが、わたしの頭をくしゃっと撫でた。

お兄ちゃん、家にいるときとちょっと違う。
カッコいいな。彼女とどんなところに遊びに行くのかな。
おしゃれなカフェとか、夜景が見えるレストランかな。
「ねえ、お兄ちゃん。わたし、お兄ちゃんの彼女に会ってみたい」
お兄ちゃんは、ちょっと照れながら、「じゃあ、会いに行くか」と言った。
「いいの?」
「もちろん。メグちゃん、きっと喜ぶよ」
彼女、メグちゃんっていうんだ。可愛いな。

わたしたちは再び電車に乗って、秋葉原に向かった。
「そうか、そうか。おまえもメグちゃんのファンになったか」
「…ファン?」
「運がいいな。俺、チェキ券持ってる」
「…チェキ券?」
お兄ちゃんは、鼻歌まじりにビルの地下に下りていく。

すごい熱気だ。
せまい舞台で、アニメ声で歌う女の子たち。
サイリウムを振りながら、変な踊りをする観客。
これって、もしかして……地下アイドルってやつ?

「お兄ちゃん、メグちゃんって彼女じゃないの?」
「彼女だよ。メグちゃんを推してるファンすべての彼女だ」

お兄ちゃんはそのあと、チェキ券とやらで、メグちゃんと並んで写真を撮っていた。
わたしに見せてくれたのは、この写真だったのか。
メグちゃんはとびきりの笑顔で写真を撮る。
お兄ちゃんとも、その次の人とも、そのまた次の人とも。

彼女じゃないじゃん。
うちに遊びに来るわけないじゃん。
お義姉さんになるわけないじゃん。

がっかりしたような、ほっとしたような。
とっとと帰って宿題やろう。

**********
10日ぶりの更新になってしまいました。
ちょっとね、私ではなく家族に心配なことがあって、なかなか書けなかったりパソコンにも触れない日があったりしました。
まあ、悩んでも仕方ないし。少しいい方向に向かいそうだし。
いろいろあるけど、前を向いていきましょう!
あんまり更新できないかもしれませんが、よろしくお願いします。



にほんブログ村
nice!(8)  コメント(8) 

隣のおばさん [公募]

隣の住人が出かけたのを見て、萌はこっそり家を出た。
おばさんから預かった鍵を握りしめ、誰にも見られていないことを確かめながら鍵を開け、隣の家に入った。
おばさんが書いたメモを見ながら奥の部屋に行き、タンスの扉を開けた。
宝石箱には赤や緑の宝石がついた指輪やネックレスがたくさん入っている。
それらを全部袋に入れて、萌は素早く家を出た。
悪いことをしている感覚は全くなかった。
だって萌は、大好きなおばさんに頼まれて、忘れ物を取りに来ただけなのだ。

萌の家のお隣さんは、子供がいない夫婦だった。
萌が生まれてからずっと、家族みたいに可愛がってくれた。
おばさんは優しくて、母に叱られた萌を、いつも庇ってくれた。

萌が九歳になった夏、おばさんが家を出て行った。
両親の話で、隣の夫婦が離婚したことを知った。ショックだった。
しかもおばさんが出て行ったあと、おじさんはすぐに別の女性と暮らし始めた。
ひどく不愛想な女で、「隣のご主人を見損なったわ。奥さんが可哀想よ」と、母が憤慨していた。

夏休みに入り、萌は毎日プールに行った。
お盆が過ぎて、夏休みもあと少しになった帰り道、名前を呼ばれて振り向くと、おばさんが立っていた。
萌が大好きな隣のおばさんだ。

「萌ちゃん、パフェ食べに行かない? 寄り道したら、叱られちゃう?」
「ママはパートで夕方まで帰って来ないよ」
「じゃあ、行こうか」

近くのカフェで、イチゴのパフェを二人で食べた。おばさんは、優しい顔で笑っている。
「萌ちゃん、おじさん、どうしてる?」
「女の人と住んでる。感じの悪い人。萌はあの人好きじゃない。おばさんの方が好き」
「ありがとう、萌ちゃん」
おばさんは、少し泣きそうな顔をした。

「ねえ萌ちゃん、おばさんね、あの家に忘れ物をしちゃったの。取りに行きたいけど、女の人がいたら行けないわね」
「大切なもの?」
「うん。萌ちゃん、取って来てくれる?」
おばさんは、鞄から鍵を出して萌に渡した。
「おじさんに見つからないように、こっそり持ってきてほしいの。ママにも内緒で」
自分の忘れ物も取りに行けないなんて。
萌はおばさんが気の毒で、「わかった」と鍵を受け取った。

うまく持ち出した宝石を渡すと、おばさんは喜んで何度も礼を言った。
萌は、いい事をしたと思っていた。翌日、隣の家に警察が来るまでは。

「宝石を盗まれたらしいわよ」
母の言葉に、萌は凍りついた。盗んだつもりなど、まるでなかった。
おばさんに頼まれたとはいえ、留守に入り込んでどろぼうをしてしまった。
逮捕されて、刑務所に入れられる。萌は本気で怯えた。
夕方には警察が来て、何か物音を聞かなかったかと萌に尋ねた。
萌は、震えながら知らないと答えたが、押しつぶされそうな罪悪感が体中に広がって、泣きながら両親に真実を話した。
すごく叱られると思ったけれど両親は優しく萌を抱きしめて、「よく話してくれたね」と言った。

隣のおじさんは、真実を知って愕然とした。
「驚いたな。あいつ、そこまでするとは」
「だけどおばさんの忘れ物でしょう。だからおばさん、萌に頼んだんだよね」
萌は泣きながら訴えた。
「違うの。あれは私たちの母の物よ」
不愛想な女が言った。女は萌の両親に向かって軽く頭を下げた。
「ご挨拶が遅れましたが、私達兄妹なんです」
「まあ、妹さんだったの」
「母が認知症になりまして、義姉が時おり介護に来てくれていたんです。だけどあの人、母の貯金を自分の口座に移していたんです。認知症の母を騙して銀行に連れて行って、巧く貯金を引き出させていたんです」

おばさんは、そのお金で都心のマンションを借り、贅沢な二重生活をしていた。
おまけに姑の宝石まで現金に換えようとしていたという。
それを知ったおじさんは、おばさんを追い出し、母親を安全な施設に入れた。
そして母の残った財産を、この家で妹と守っていこうと決めたのだ。

不愛想な女が、屈んで萌と視線を合わせた。
「嫌な思いをさせてごめんね。萌ちゃんは何も悪くないから」
萌は、ポロポロ泣いた。女は、萌の頭を優しく撫でた。
おばさんみたいだと萌は思った。

おばさんは、まもなく警察に捕まった。萌に対する謝罪は、とうとうなかった。
萌は思った。九歳の萌にはわからない何かが、優しいおばさんを変えてしまったのだと。
いくらか涼しい風が吹いて、少しだけ大人になった萌の夏が、終わりを告げる。


*****
公募ガイドTO-BE小説工房の落選作です。
課題は「隣人」でした。
最近の課題のは、どうもイメージが湧かなくて。
先月の「商売」は、とうとう出せませんでした。暑かったり仕事が忙しかったりで書けませんでした。
今月は「ピン」? 難しい。。。。


にほんブログ村
nice!(9)  コメント(6) 

森の神隠し [ミステリー?]

夏休み、ママの故郷に行った。
家の裏には深い森があって、ママと一緒に森林浴に行った。
美しい森だ。
木立の間から差し込む光は、まるでスポットライトのように輝いている。

「ママは昔、この森で迷子になったことがあるのよ。毎日のように遊んで、慣れているはずの森で迷子になったの。一週間後、この木の下で発見されたの。髪も服もボロボロで、抜け殻みたいにしゃがみ込んでいたそうよ」

ママは不思議なことに、その一週間のことをまるで憶えていなかったという。
神隠しにあったのだと、ママは言った。

私は翌日、ひとりで森に行った。
風がさわさわと吹き抜け、見上げた空から柔らかい光が射しこむ。
「気持ちいい」
降りそそぐ蝉の声も心地よく、私は木にもたれて目を閉じた。

次の瞬間、蝉の声がやけに大きく聞こえると思ったら、私は木の上にいた。
木の幹にしがみつき、大声で鳴いていた。
私は、蝉になっていた。
下を見ると、人間の私が笑いながら見上げている。
「ごめんね。7日間だけ体を貸して」
私になった蝉が言った。
「あなたはこの先何十年も生きるでしょう。私はたった7日の命なの。だから、あなたの7日間をわたしにちょうだい。7日後に返すから」
私になった蝉は、スカートの裾を翻し、森の中を駆けて行った。

ママが探しに来た。私の名前を呼びながら、森の中を走り回った。
おじいちゃんとおばあちゃんも来た。
近所の人や捜索隊、知らせを受けた東京のパパもやってきた。
みんなで私の名前を呼びながら、懸命に探している。
「ここにいるわ」
木の上から叫んでみても、私の声はジージーと鳴く蝉の声だ。
誰も気づかない。
2日、3日、4日…私になった蝉は、森の中を見つからないように走り回っているのだろう。
私はただ、木の汁を吸いながら、鳴き続けるしかなかった。

「アオイちゃん、アオイちゃん」
ママに肩を揺すられて、私は目覚めた。
森で迷子になって7日後、大きな木の下でグッタリしているところを発見された。
「ああ、よかった」
ママとパパが泣きながら私を抱きしめた。
となりで、蝉が死んでいた。

「何があったの?」
ママに聞かれて、私は「憶えていない」と答えた。
「ああ、ママと同じね。アオイちゃんも神隠しにあったのね」
ママはそう言って、再び私を抱きしめた。

ママ、同じじゃないよ。
だって私、本当は7日間のことをよく憶えている。
楽しくて楽しくて、アオイに体を返すのが嫌になったの。

ごめんね、アオイ。
私は、死んだ蝉にそっと土をかぶせた。


にほんブログ村
nice!(8)  コメント(4) 

熱帯夜に誘われて [ファンタジー]

暑い暑い、夏の夜でした。
あまりに続く熱帯夜に、眠れぬ日々が続いておりました。
夜中に目が覚めて、あまりに暑いものだからベランダに出ました。
ねっとりとした空気と、両隣で響くエアコンの室外機。
そのせいで、風は生温かく、ちっとも涼しくないのです。

ふと見ると、小さな光が揺れています。
線香花火が消える間際のような、静かな儚い光です。
ゆらゆらと揺れながら、こちらに向かってくるのです。

「眠れないのかい?」
低いのに甘い、やけに心地よい声が下から聞こえてきました。
手摺に手をかけて覗くと、さっきの小さな光の下に、男の人が立っていました。
「どなた?」
「誘いに来たよ。さあ、涼しくて居心地の良い世界に行こう」
「まあ、ご冗談を。私のようなおばあさんを、からかうものじゃないわ」
男は微笑みながら、両手を差し出すのです。
さあ、おいでと。

危ないとわかっているのに、私はきっと、暑さでどうかしていたのでしょう。
身を乗り出して、手摺に足をかけました。
私は、「えいや!」と、ベランダから飛んだのです。
こんなお転婆、子供の頃にもしたことがありません。

私の体は、男の腕の中にすっぽりとおさまりました。
何とも逞しい腕で、彼は私を受け止めたのです。
よく見ると、私の好きなハリウッドスターのような顔をしています。
アクション映画によく出てくる人です。ああ、年のせいで名前が出てこない。
「大丈夫かい?」彼が微笑みました。
戦火の中で救い出されたヒロインみたいです。

これは夢? ああ、何だか胸が苦しい。私このまま天国へ行くのかしら。
こんなイケメンと一緒に行ったら、夫が嫉妬するわ。 
ごめんなさいね。だけど、先に逝ったあなたが悪いのよ。
そんなことを思いながら、小さく揺れる光を見ていました。

そのときです。ふいに息子の声が聞こえたのです。
「今、息子の声が聞こえたわ」
「気のせいだよ。こんな真夜中に、息子が来るはずがない」
「それもそうね。近くに住んでいてもちっとも会いに来ないのに、夜中に訪ねて来るはずがないわね」
私は、居心地の良い彼の腕の中で目を閉じました。
だけどやっぱり、聞こえるのです「母さん、母さん」という声が。

「ねえ、やっぱり聞こえるわ。一度戻るわ。ねえ、降ろしてくださらない」
私は男の腕の中で、バタバタと暴れました。
男は、急に冷酷な顔になり、私を放り投げました。
荷物みたいに乱暴に、4階のベランダめがけて放り投げたのです。

私は目を覚ましました。ベッドの上でした。
「熱中症だよ」
息子が、私の体を冷やしてくれていました。
「だからエアコン付けて寝ろって言っただろ。もうすぐ救急車が来るから」
ぼーっとする頭の中に、さっきの男の声が聞こえました。
「もう少しだったのに」

あとで聞いた話です。
亡き夫が、息子の枕もとに立ったそうです。
「お母さんが危ない。彫の深い逞しい死神が、お母さんを狙っている。お母さんの好みのタイプだ。きっとついて行ってしまう」
息子はまさかと思いながらも私のマンションを訪ね、異変に気づいてくれたのです。

やきもちやきのあなたのおかげで、私、死なずに済みました。
今夜はエアコンが効いたお部屋で、ぐっすり眠りましょう。
まだまだ天国には行きたくないわ。
いつかそのときが来たならば、あなたが来てね。
全然タイプじゃないけれど、お迎えはやっぱりあなたがいいわ。


にほんブログ村
nice!(10)  コメント(10) 
前の10件 | -