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僕は森に帰る

10歳まで、森の奥でおじいちゃんと暮らしていた。
毎日木に登ったり、川で泳いだり、花を摘んだりして過ごしていた。
おじいちゃんは無口だけど優しくて、いろんなことを教えてくれた。
森から一歩も出なかったから、おじいちゃん以外の人間を殆ど知らなかった。

10歳のある日、見知らぬ大人たちが来て、僕とおじいちゃんを引き離した。
「君は達也くんだね」と聞かれて、自分の名前を初めて知った。
おじいちゃんからはいつも「ちび」と呼ばれていたからだ。
後で聞いた話だと、僕は2歳の時に行方不明になり、迷い込んだ森でおじいちゃんと出会って一緒に暮らした。
学校へ行っていない子供がいることを聞きつけた誰かが、役場に通報して僕は保護された。

僕は両親のもとに帰った。
読み書きも出来ず、世間の常識も知らなかった。
家庭教師とカウンセリングを毎日受けて、何とか学校へ通えるようになった。
勉強は全然だめだったけど、運動神経はずば抜けていたから一目置かれたし、学校自体は嫌いじゃなかった。
それでも自分の名前と両親を認識して、生活に慣れるまで3年かかった。
だけど僕は、森が恋しかった。
ここの暮らしが本物だとは、どうしても思えなかった。

行けるレベルの高校へ行き、陸上でいくつかの成績を残した。
何人かの女の子とデートもしたし、友達と遊びにも行った。
母の料理はおいしかったし、父の話を聞くのも好きだった。
それでも僕は、森に帰りたかった。

18歳になったとき、家出をした。ずっと決めていたことだ。
僕は森をめざしたけれど、場所がまるでわからなかった。
家出から3日目に保護されて家に帰された。
母は泣き崩れ、父は激しく叱った。
「森に帰りたいんです」と僕は言った。
父に初めて殴られた。そして父は悲しそうな顔で言った。
「わかった。連れて行ってやる」

日曜日、父の車で森に行った。
母は無理して笑いながら、サンドイッチを作ってくれた。
すごく遠いと思っていた森は、車で1時間ほどのところだった。
途中で車を止めて奥まで歩くと、懐かしい森の匂いがした。
いつも泳いだ川があり、鳥のさえずりが絶え間なく聞こえた。
「もうすぐじいちゃんの家だ」
僕は走った。おじいちゃんと暮らした丸太小屋が見えた。
だけどそこに、おじいちゃんはいなかった。
家の中は荒れていて、だれも住んでいないことは歴然だ。
父が、汗をぬぐいながらぽつりぽつりと話し始めた。

「おまえは2歳の時にキャンプの途中でいなくなった。どうやってこんな深い森に迷い込んだのかわからないが、おまえはあの老人に保護された。10歳まで育ててくれた老人には感謝している。あの人がいなかったら、死んでいたかもしれないからな」
「うん」
「感謝はしたが、どうしても許せなかった。すぐに警察や、誰かに相談してくれたら私たちは8年間も離れずに済んだ。だからおまえには、二度と会わせたくなかった」
「おじいちゃんをどこかに連れて行ったの?」
「施設に入れたんだ。いくらか精神を病んでいたし、ずいぶんな年寄りだったから、彼のためにもそのほうがいいと思ったんだ。だけど、新しい暮らしに慣れずに、病気になって亡くなってしまった」
父の背中が震えていた。静けさを破るように蝉が鳴いた。

「おじいちゃんは、この森でしか生きられなかったんだ」
僕は、父の目をまっすぐに見て言った。
「そして、たぶん僕もそうだよ」

心地よい風が木々を揺らした。鳥がいっせいに空へ飛び立った。
父はうなだれながらひとりで帰った。最後に振り向いて
「達也、お前の家は森じゃない。お前が帰るのは、お父さんとお母さんの家だからな」
と、念を押すように言った。

父が帰った後、母が作ったサンドイッチを食べた。美味しくて涙が出た。
丸太小屋を片付けて、火を熾した。父の悲しそうな顔が、いつまでも消えない。
木と木のあいだから見える星が、やけに滲んで見えた。
「ちび」
ふと、おじいちゃんの声がした。
「ちび、お前の家はここじゃないだろう」
優しくて、穏やかな声だった。

僕は丸太小屋で一晩過ごし、翌朝森に別れを告げた。
さようなら、おじいちゃん。僕は自分の意志で、両親のもとへ帰るよ。

家に帰った僕は、10歳の時に言えなかった言葉を両親に言った。
「ただいま」
くしゃくしゃの笑顔で迎えられ、僕たちはこの日、本当の家族になった。

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海野久実

細かく描いて行けば長編童話、一冊分ぐらいにはなりそうなお話ですね。
ストーリーだけを簡潔に書いているのでこの長さなんでしょうけれど、それでもけっこう最後の方ではうるうるしてしまいました。

by 海野久実 (2015-07-30 17:03) 

みかん

森へ帰っちゃうのかな 家には戻らないのかな
お父さんお母さん 悲しいだろうなって思ったけれど
うんうん 良かった(#^.^#)
by みかん (2015-07-30 23:04) 

リンさん

<海野久美さん>
ありがとうございます。
そうですね。ショートにするには勿体ない題材だったかも。
長編、書ければいいんですけど…^^
by リンさん (2015-08-01 17:35) 

リンさん

<みかんさん>
ありがとうございます。
タイトルは「森に帰る」ですが、あえて両親のもとに帰る結末にしました。
きっとこのほうが自然のように思います。
by リンさん (2015-08-01 17:38) 

はる

朗読のお願いです。素敵なりんさんの世界を上手く表現できるように
頑張りますので、よろしくお願いします。
なんて、思っているのですが、ここの所失敗続きです。
もう少しぎっくり腰が良くなったら、是非おねがいします。m(__)m
by はる (2015-08-01 21:24) 

リンさん

<はるさん>
ありがとうございます。
朗読よろしくお願いします。
楽しみにしています。
でも、無理しないでね。
by リンさん (2015-08-02 15:05) 

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