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葡萄 [公募]

時々思う。どうして嫌と言えないのだろう。
隣で喋り続ける良枝さんは、鞄から溶けかかったチョコレートを出して、私の手のひらに載せた。ほらまた、要らないと言えなかった。

良枝さんは近所に住む独居老人で、二年前にご主人を亡くした。
暫くは気の毒なほどに泣き暮らしていたが、元号が変わるとともに元気を取り戻し「夫の分まで令和を楽しむわ」と、別人のように活動的になった。
買い物、体験教室、スポーツジム。一人で行けばいいものを、彼女は決まって私を誘う。

車を持たない良枝さんを、駅まで送ったことがきっかけだった。
「困ったときはいつでも声をかけてくださいね」などと言ったばかりに、良枝さんは毎日のように家に来た。
専業主婦で夫は単身赴任中。息子は高校生で手がかからない。
私には、誘いやすい条件が揃い過ぎていた。

しかし今日のバスツアーは、さすがに気が進まなかった。
ツアー客の殆どが年配者であることも理由の一つだが、そもそもバスツアーが苦手だった。
だけど「お願いよ。一人で参加したら寂しい老人みたいじゃないの」と懇願されて仕方なく参加した。
バスは山梨に向かっている。ツアーの目玉は、葡萄狩りだ。

「やっぱりお昼はほうとうかしらね。そういえば、主人が初めてほうとうを食べたとき、なんだこの包帯みたいな麺は、って言ったの。ほうとうとほうたいを掛けたのよ」
良枝さんは、いつもご主人の話をする。
近所でも、ろくに話したことがない人の話をされても、相槌を打つくらいしか出来ない。
「あら見て、富士山よ。ずいぶん近くに見えるのね。主人が一度登ってみたいと言ってたわ。主人の位牌をリュックにいれて登ってみようかしら。ねえ、今度行きましょうよ」
「いや、登山はちょっと」とさすがにもごもごと拒否反応を示したけれど、強引に来られたら断り切れる自信はない。

バスは葡萄園に着いた。昼食は良枝さんの予想通り、ほうとうだった。
「葡萄狩りって言っても、そうは食べられないわよね」良枝さんはそう言いながらも食べる気満々で、奥の方へ進んでいった。
見上げると、いろんな種類の葡萄が見事に実っていた。
薄く光が射す果樹園に、ツアー客たちの笑い声が響く。
私は、急に目眩を憶えてしゃがみ込んだ。
人生二度目の葡萄狩りだった。そして最初の葡萄狩りが最悪だったことを、今更ながらに思い出してしまった。

あれは小学校の遠足だった。昔から引っ込み思案の私は、どのグループにも入れなかった。
一緒にいようと約束をした友達は、熱を出して遠足を休んだ。
バスの座席もひとり、葡萄狩りもひとり、手持無沙汰にもぐもぐと葡萄を食べ続け、帰りのバスでお腹をこわした。
「気持ち悪い」の一言が言えずに、バスの中で吐いてしまった私を、クラスメート達は容赦ない言葉で傷つけた。
「汚い」「臭い」。
切り取ってくしゃくしゃに丸めてトイレに流してしまいたいような、人生最悪の記憶だ。
三十年以上前のことなのに、今でも体中が熱くなるほどに恥ずかしい。

「どうしたの? 具合でも悪い?」
良枝さんが戻ってきて、私の肩に手を置いた。
「大丈夫です」と青い顔で告げる私に、彼女は小さくため息をついた。
「具合が悪いなら、言ってくれたらいいのに」
私は、自分でも驚くほどの力で良枝さんの手を払いのけた。

「言えないんです。嫌と言えないんです、私。昔からそう。遠足なんて行きたくなかったし、学校も行きたくなかった。PTAの役員も、町内会のお祭り委員も、会社の宴会の幹事も、嫌なのに断れないんです」
お腹の中のものを、全て吐き出すように言葉が出てきた。良枝さんは戸惑っている。
「夫の単身赴任も嫌だったし、月に一度の儀父母との会食だって嫌。嫌だけど嫌だと言えないんです。今日のバスツアーだって……」
そこまで言って、我に返った。良枝さんが、泣きそうな顔で私を見ていた。
「ごめんなさいね。嫌と言えなかったのね」
良枝さんは、とぼとぼと葡萄園の奥に消えた。彼女はこれっきり、私を誘わなくなるだろう。
後味の悪さが、葡萄園を暗く染めた。

帰りのバスで、良枝さんは一言も話さなかった。
押し潰されそうな雰囲気の中、「言わなきゃよかった」という後悔ばかりが残った。
突然目の前に、緑色の葡萄が差し出された。
「すごく甘いわよ。こういうのも、嫌?」
私は首を横に振って、葡萄を食べた。今まで食べた葡萄の中で、一番甘かった。
私たちは景色も見ずに、無言で葡萄を食べ続けた。
「お腹をこわしたら、あなたのせいよ」
「大丈夫ですよ。良枝さん、頑丈だから」
「あら、けっこう言うわね」
バスが着くまでに、ちゃんと謝ろう。そう決めて、また一粒、葡萄を食べた。


*****
公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「ブドウ」でした。
葡萄と武道、どっちで書くか迷って、結局ギリギリになってしまいました。
最優秀も佳作もすべて「葡萄」の方だった。「武道」で書いたら目立ってたかも^^
最優秀、面白かったです。
こんな男、私もヤダ~って思わず言っちゃった(笑)


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母の秘密 [公募]

終戦の年に生まれた私は、父の顔を知りません。
南の島で戦死したと、母が話してくれました。遺骨はありませんでした。
そのせいでしょうか、幼少期から同じ夢を何度も見ました。
ジャングルで彷徨っている兵士の夢です。
ジャングルになど行ったことがないのに、やけにリアルな夢でした。
兵士は、彷徨いながら私の名前を叫ぶのです。
「弓子、弓子、必ず帰るから」

空襲で家が焼けたそうで、父の写真は一枚もありませんでした。
だけど私には、その兵士が父だとはっきり分かったのです。
「お母さん、お父さんは南の島で生きているのよ。そのことを私に伝えたくて、夢に出てくるんじゃないかしら」
母は静かに笑いながら、まったく相手にしてくれませんでした。
「弓ちゃん、夢はただの夢よ。お父さんは戦死したのよ」
母はいつも気丈でした。戦前から結核療養所で働き、閉鎖された後は市民病院で看護婦をしながら私を育ててくれました。

あるとき、衝撃的なニュースがありました。
南の島で日本兵が発見されたのです。
終戦を知らずに、二十八年間もジャングルを彷徨っていたのです。
やっぱり、と私は思いました。
「お母さん、きっとお父さんも生きているわ。この兵士のように、今もジャングルを彷徨っているのよ。ねえ、お母さん、何とか捜しに行けないものかしら」
しつこく訴えた私の頬を、母がピシャリと叩きました。
母が手を上げたのは、後にも先にもこのときだけでした。
「いい加減にしなさい。お父さんは死んだのよ。何度も言わせないでちょうだい」
疲れているときに纏わりついたのが、癇に障ったのでしょうか。
それにしても母がどうしてこんなに怒るのか、さっぱり分かりませんでした。
それ以来、父が夢に出てくることはありませんでした。

その翌年私は、ご縁があって結婚をしました。
七歳年上の夫は真面目で優しく、二人の子どもにも恵まれました。
時代はすっかり豊かになり、小さいながらも家を建て、母と一緒に暮らす計画を立てました。
しかしその矢先、母は脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまいました。
「ようやく親孝行が出来ると思ったのに」
苦労続きだった母の手をさすりながら、私はしばらく泣き続けました。

葬儀を終え、夫とふたりで母の遺品を片付けました。
質素な暮らしを続けた母の部屋は、使い込まれた家具や必要最低限の食器など、まるで無駄のない小さな城でした。
抽斗を片付けていたときに、一枚の写真を見つけました。
親子三人が写った写真です。裏には『弓子0歳』と書かれていました。
私を抱いた男性は、幼いころ何度も夢に出てきた兵隊さんでした。やはり父だったのです。
だけどその隣にいる女性は、母ではありませんでした。
幾つかの疑問が私の中で渦を巻きました。
この女性は誰なのか、そもそも父は、私が生まれる前に戦死したのではなかったか。

手を止めて呆然とする私の背後から、夫が写真を覗き込みました。
「あれ、トミエさんじゃないか」
驚いて振り向くと、夫は懐かしそうに写真の女性を指さしました。
「この人、遠い親戚でね、僕が子供のころ、よく家に遊びに来ていたんだよ。赤ん坊を生んで間もなく、亡くなってしまったんだ」
「男性の方は?」
声が震えているのが、自分でも分かりました。
「ご主人は、トミエさんが亡くなった後、結核を患って、暫く療養所にいたけれど治らなかったようだ。せっかく戦争で生き残ったのに、可哀想だってお袋が泣いていたよ」
夫が背を向けて作業に戻った後、私は写真を元の抽斗に戻しました。
母が死ぬまで隠し続けた秘密を、そっと封印したのです。

その夜、久しぶりに父の夢を見ました。
痩せ細った父が、病室の窓から四角い空を見ています。
「弓子を、どうか弓子をお願いします」
傍らに佇む白衣の女性が、「はい」と頷きました。
それは若い日の母でした。
母は、ただ単に情の深い看護婦だったのか、それとも父を深く愛していたのか、今となっては知るすべもありません。
だけど母は、紛れもなく私の母でした。血の繋がりはなくても、私たちは真の親子でした。

元号が新しくなりました。母が生きた年齢を、とうに過ぎました。
可愛い孫もいます。戦争のない平和な日々を、私はこれからも生きていくのです。

**********

公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
テーマは「戦争」
こういうテーマは苦手ですが、私の周りにはお年寄りが多くて、お父様を戦争で亡くした方や戦争経験者がいるので、その方たちから聞いた話を参考に書きました。
なかなか難しいですね。

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小さな恋の話 [公募]

恵さんの想い人はキリンさん。キリンと言っても、首の長いあの動物じゃない。
カフェで働く店員さんだ。背が高くて穏やかで、おまけにベジタリアン。
黄色のエプロンがやけに似合うから、キリンさんと呼ばれている。

私は、このカフェのオーナーの娘で、名前は香帆。
女子高に通いながら、時々店を手伝っている。
キリンさんは、私が小学生のときから、ここで働いている。
大学を卒業しても、就職もせずにアルバイトをしている。今年で六年目だ。
それってどうなのって思うけど、キリンさん目当ての女性客が多いから「ずっといていいよ」とパパは言っている。

常連客の一人、恵さんの想い人はキリンさんだ。態度を見ていればすぐにわかる。
気づかないのは鈍いキリンさんだけだ。
恵さんは、清楚で優しいOLさん。キリンさんの取り巻きの中では一番の美人だ。
私は、ふたりの恋のキューピットをしてあげることにした。
お似合いだし、高校生の私にも、ちゃんと敬語で話してくれる恵さんに好感を抱いていた。
ある日恵さんは、私にそっと囁いた。
「キリンさんって、彼女いるんですか?」
「いないと思うよ。無骨な奴だからね」
敬語を使わない女子高生にも、恵さんは嫌な顔をしない。
頬を赤く染めて、嬉しそうにうつむくのだ。なんて可愛い人だろう。
女の私でも、思わず抱きしめたくなる。

少ない小遣いの中から、映画のチケットを三枚買った。
土曜日の昼下がり、カフェの客は恵さんしかしない。いよいよ恋の大作戦だ。
「ねえ、キリンさん。映画のチケットもらったんだけど行かない?」
わざと大声で言う。チケットを見せたら、キリンさんはすぐに飛びついた。
「あっ、これ観たかったやつ。いいの?」
キリンさんは、大きな手でチケットを受け取った。
嬉しそうな笑顔が目の前にあった。
膝を折って屈んで、いつでも目線を合わせてくれるキリンさんは、そのせいか少し姿勢が悪い。
私は、フロアでこちらをチラ見する恵さんに、もう一枚のチケットを渡した。
「三枚あるから、一緒に行かない?」
「えっ、いいんですか? 悪いわ」
私は彼女に目配せをする。「あたし途中で消えるから」と耳元で囁く。
恵さんは、頬を赤く染めながら「ありがとう」と言った。

さて当日、映画館の前で待ち合わせ。
頭一つ抜けているキリンさんは、どこにいたってすぐに見つけられる。
いシャツにジーンズ姿。エプロンがないと別人みたいだ。

恵さんが来た。淡いピンクのワンピース。どこまでも清楚な人だ。
三人揃ったところで、私はわざとらしくスマホを耳に当てる。
「えー、今から。マジで。わかったー」
小芝居をして二人を振り返る。
「ごめん。彼氏から呼び出し。あたし抜けるね。映画はお二人でどうぞ」
「えっ、香帆ちゃん、彼氏いたの?」
キリンさんが私の顔を覗き込む。
嘘がばれないように背を向けて「彼氏くらいいるよ。女子高生なめんなよ」と言いながら、一気に走った。
人ごみを抜けて振り返ると、遠くにぼうっと佇むキリンさんが見えた。
「うまくいったら、何か奢れよ。お二人さん」
絶対聞こえない距離でつぶやいた。

家に帰っても、何もやることはない。何だか虚しくなってきたけど、これでいい。
私の想い人はキリンさん。小学生の時からずっと同じ。
だけどまるで子ども扱いだし、もういい加減片想いにも疲れたし、いっそキリンさんに素敵な彼女が出来ればいいと思った。
恵さんとだったらお似合いだ。これで私もきれいさっぱり次に進める。

夜になって、恵さんから電話が来た。
「香帆ちゃん、今日は本当にありがとう」
「夕飯奢ってもらった?」
「ええ、お好み焼きを二人で食べたわ」
お好み焼きかよ。もっといい店なかったのかよ。まあ、キリンさんらしいけど。
「最後に、いい思い出ができたわ」
 恵さんがポツンと言った。
「最後って?」
「私、もうすぐ実家に帰るの。母の具合が悪くてね。たぶんもう、カフェに行くこともないと思うわ」
「えっ? でもいいの? キリンさんのこと」
「ええ、もういいの。キリンさんが好きな人は、私じゃないもの。本当はとっくにわかっていたのよ」
「えっ、だれ?」
恵さんは、ふふっと笑った。
「いつも近くにいる、口の悪い女の子よ」
えっ? それって私? いやいやまさか。

「キリンさんはね、彼女が大人になるのを待っているのよ。きっと首を長~くしてね」
キリンだけに、と恵さんはコロコロと笑った。
そんな冗談言う人だっけ? 私は耳まで真っ赤になった。
明日から、どうすりゃいいのさ。

*********
公募ガイド「TO-BE小説工房」で佳作をいただい作品です。
課題は「キリン」
難しい課題ですよね。本物のキリンを登場させる話は全く思いつかなかったです。
それで、こんな可愛らしい話になりました。

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セイシツさん [公募]

仕方ないだろう。一夫多妻制は国の方針なんだから。
僕だって大変なんだ。四軒の家を行ったり来たり。
君をないがしろにしているわけじゃないんだ。
そもそも君は「セイシツ」なんだから、どーんと構えていればいいのさ。

夫はそう言って出て行った。三週間ぶりの我が家での滞在時間は、僅か35分だった。
結婚しない男女が増え、少子化がどうしようもなく深刻化した。
そこで国は、子どもの数を増やすために一部の富裕層に、一夫多妻制度を導入した。
古き日本の風習であった「側室」を持つことが認められた上に、側室に子どもが出来れば社会的地位が上がる。
当初は女性蔑視との批判も出たが、実際に子どもの数は増えたし、恋愛よりも側室という若い女も増えた。
やがて「セイシツ」「ソクシツ」などと、如何にも軽い呼び方をされ、その制度は社会に広まっていった。

「カンナの子どもが生まれた。祝いの品を持って行ってくれ」
夫からの短い連絡。
カンナというのは三人目のソクシツで、水商売上がりの若い女だ。
祝いの品など持って行きたくないが、それが習わしとなっている。
セイシツ、ソクシツ間の確執を和らげるために考えられたものだ。

セイシツご用達の店に行き、ベビー服に夫の苗字を刺繍してもらう。
それが祝いの品である。子どもを夫の子として認めた印だ。
そのまま病院に向かうと、カンナは「ヤッホー、セイシツさん」と、大きな胸を更に揺らして手を振った。
「女の子だそうで、おめでとうございます」
「ねえ、セイシツさん、赤ちゃん見た? あっくんにそっくりなんだよ」
あっくんというのは、夫の篤宏のことらしい。私より20歳も若いカンナに、鼻の下を伸ばす夫の顔が浮かぶ。
「ねえ、うちの子何人目?」
「5人目です。第1ソクシツと第2ソクシツとの間に、子どもが2人ずついますから」
「えっ、セイシツさんには子どもいないの?」
「ええ、結婚当初に婦人科系の病気を患って、子どもは諦めました」
「うわあ、かわいそう」
カンナは、憐れむような眼で私を見た。

子どもを諦めた夜、夫は君がいればそれでいいと、優しく抱きしめてくれた。
私は決して可哀想なんかじゃなかった。ふたりの暮らしは、充分に幸せだった。
忌々しいあの制度が出来るまでは。

木枯らしに背中を押されながら帰った。
私に子どもがいたら、夫はソクシツを持たなかっただろうか。
いや、それはない。夫の経済力なら、ソクシツを持たない方が非難される。
そういう世の中なのだ。

カンナが退院してまもなく、我が家にソクシツたちが集まることになった。
子ども同士の交流が目的だ。年に数回行われている。
異母兄弟である子どもたちは、別室で仲良く遊んでいるが、ソクシツたちは険悪だ。

「カンナさん、あなた出来ちゃったソクシツなんですって?」
「正式な契約もせずに妊娠するなんて、どうかと思うわ」
「別にいいじゃん。契約するつもりだったもん。順番が違っただけでしょ」
「ソクシツが増えたせいで、私たちのところに来る回数が減ったじゃないの」
「そうよ。うちの子はまだ幼稚園よ」
「私のところだって反抗期真っただ中よ。父親がいないと困るわ」
カンナがふっと肩をすくめた。
「回数が減ったのは、おばさんたちに飽きたからじゃないの? ねえ、あっくん」
「なんですって!」
怒鳴りあう女たちの間で、夫がオロオロしている。
赤ん坊が寝ているそばで、よくもくだらない痴話げんかが出来るものだ。

私はそんな騒動を尻目に、子どもたちのところへ行く。
「さあ、焼き立てのクッキーよ」
「わあ、おいしそう。セイシツのおばちゃん、ありがとう」
「好きなだけ食べなさいね」
「セイシツのおばちゃん、優しいから好き」
「ボクも好き」
私は、子どもたちを手名付ける。年老いたら面倒を看てもらうためだ。
夫なんて当てにならないし、欲深いソクシツたちなど、端から当てにしていない。
頼れるのは、未来を担う子どもたちだ。

「ボク、セイシツのおばちゃんがママならよかったな。全然怒らないしお小遣いくれるし」
「ボクも」「わたしも」
「じゃあ、おばさんが年を取ったら一緒に暮らしてね」
「うん、いいよ」
こういう特典がなかったら、やってられないわ。

*****
公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「修羅場」でした。最近本当にレベルが高くて。
難しいな~


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ソラシド [公募]

日曜日の昼下がり、君がピアノを弾いている。
その横で、五歳の春香が歌を歌っている。
僕たちの可愛い娘は、少し舌足らずのあどけない声で歌う。

「ドはドーナッツのド、レはレモンのレ」
ドレミの歌だ。まるでサウンドオブミュージックみたいだ。
そういえば君の笑顔は、あの女優に少し似ている。
幸せとは、きっとこういうひと時のことをいうのだろう。
君がプロポーズを受けてくれたときが人生の最高潮だと思っていたのに、それ以上の幸せがたくさんあることを、娘の春香が教えてくれた。

「ソ」のところで、春香が急に歌をやめた。
「ねえママ、ソだけが他と違うのはなぜ?」
「えっ?」
君は怪訝な顔で春香を見た。
「ドはドーナッツ、レはレモン、ミはみんな、ファはファイト、全部音符と同じ文字から始まるのに、ソだけが違うよ」
春香は、「ソはあおいそら~」と歌った。
「ねっ、ソだけが違う言葉で始まるよ。どうしてかなあ。あとね、空は青いだけじゃないよ。赤いときも黒いときも灰色のときもあるよ。ねえ、おかしいよね」

春香は、何にでも疑問を持つ子どもだ。「なぜ? どうして?」が実に多い。
僕はそういうところが素晴らしいと思っている。とても賢い子どもだ。
君はいつも答えに迷う。さて、今日はどんなふうに応えるのだろう。
「ねえ、ねえ」とまとわりつく春香と君を、僕はニヤニヤしながら見ていた。

君は突然、両手で鍵盤を思い切り叩いた。静かな部屋に、不協和音が鳴り響いた。
「知らないわよ。どうでもいいじゃない、そんなこと!」
一瞬の静けさの後、春香が大声で泣き出した。
君はピアノを離れてソファーに座り、苛立ちとモヤモヤを抑えきれずに震えた。
僕は春香の髪を撫で、「大丈夫だよ」と言った。
「ママは少し疲れているんだよ」と。

春香は泣き止まない。重い空気が部屋中のカーテンを暗い色に染めていく。
「春香のことは僕にまかせて」
僕の声を振り払うように、君は頭を抱えた。
頷くこともなく、こめかみを抑えて耳をふさいだ。
春香の泣き声だけが四角い部屋を支配していた。

やがて日が暮れて、赤い夕焼けがレースのカーテンをミカンみたいな暖色に染めた。
「見て、ママ、お空が赤いよ」
ようやく泣き止んだ春香が、君の腕をそっとつかんだ。
本当に、きれいな夕焼けだ。泣きたくなるような、きれいな夕焼けだ。

君はようやく立ち上がり、春香の小さな手を握った。
「本当にきれいな赤い空。目に染みるわ」
「目にしみる? 何がしみるの? 痛い?」
あどけない顔で見上げる春香に、君の心が丸く溶ける。
「どこも痛くないわ。悲しいだけよ」
「きれいなのに、悲しいの?」
「きれいだから、悲しいの」

君はしゃがんで、春香と目線を合わせた。そして優しく抱き寄せた。
「それでいいよ」
僕は後ろから、そっとふたりを見守った。もう見守ることしか出来ないからね。

「パパにも見せてあげようよ」
春香が祭壇から、僕の写真を持って来た。
三人で遊園地に行ったときに撮ったものを、切り抜いて引き延ばした写真だ。
僕は笑っている。その横で、君と春香も笑っていた。
楽しかった思い出から、僕だけが切り取られてしまった。
「ほらママ、三人で見てるよ。赤いきれいなお空を、ママとパパと春香の三人で見てるよ」
「そうだね」
君が、やっと笑った。
もう大丈夫だね。僕は空へ帰るよ。

ふたたび、美しいピアノの音が聞こえた。
春香が歌う。舌足らずのあどけない声で、可愛く歌う。
「シはしあわせよ」
幸せか……。誰にも聞こえない声でつぶやいた。
君と春香の幸せを、僕はずっと祈っている。永遠に、空の上から。

KIMG0514.JPG


公募ガイド「TO-BE小説工房」で佳作をいただいた作品です。
課題は「空」でした。
今回は次点だったので、選評もいただきました。
最優秀の話も、この話も、悲しいですね。空って、悲しいのかな。

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置手紙 [公募]

置手紙をテーブルの上に置いた。書いているうちに泣きそうになった。

明日の朝、家を出て行く。家族が寝ている間にこっそり出て行く。
お父さん、高校まで出してくれてありがとう。
お母さん、いつもおいしいご飯をありがとう。
弟の祐介、お兄ちゃんはもう帰らないかもしれない。お父さんとお母さんを頼んだぞ。

最低限の荷物をカバンに詰めて、始発に乗るため夜明け前に家を出た。
大学受験に失敗したことを、僕はチャンスだと思った。
やっぱり僕にはダンスしかない。東京に行って、プロのダンサーになる。
去年上京したダンス仲間のサトシ先輩が、事務所に紹介してくれるという。
「東京はすげーぞ。いろんなところにチャンスが転がってる」
と興奮して言った。だから僕は自分を信じて賭けてみようと思う。

まだ薄暗い庭に、李の花が白く浮かんで見えた。満開だ。
春の花と言えば、わが家では桜ではなく李だった。
この花が、毎年僕たちに笑顔をくれた。泣かないと決めたのに、涙が出た。
でも、もう振り返らない。一張羅の革ジャンの襟を立て、駅まで一気に走った。

東京に着いたのは午前八時半で、通勤時間と重なって信じられないほどの人がいる。
サトシ先輩の住む駅まで、身動きできない超満員電車に揺られ、吐き出されるように降りた。
一息ついて、サトシ先輩に電話をかけた。
「おう、啓介。受験ダメだったって? 風のうわさで聞いた。えっ? こっちに来てる? マジか。じゃあ駅まで迎えに行く。午後からバイトだけど、カフェで茶でも飲もうぜ」

すっかり垢抜けていると思ったサトシ先輩は、あまり変わっていなかった。
先輩が住む町も静かで、駅前に小さな商店街があって、僕の町と大して変わらない。
「なに、その荷物」
先輩が、僕のボストンバッグを指さした。
「家出してきたんだ。俺、ダンサーを目指すことにした。サトシさん、前に言ってたでしょ。事務所に紹介してくれるって」
「ええ~、マジで? いやいやおまえ、親御さんが心配するだろう。今すぐ帰れ」
「なに先生みたいなこと言ってるの。俺は本気だよ。家族には、置手紙を残してきた」
「あのね、啓介君。プロのダンサーなんて、そんなに甘い世界じゃないよ」
「だってサトシさんは成功したんだろう? ステージで踊ったんだろう? 新聞の切り抜き、見せてくれたじゃないか」
「あれは、祭のイベントで、たまたま踊っただけ。そんでたまたま写真撮られて新聞に載っただけ。俺、もうダンスやってねーから」
「だって、事務所は?」
「やめたよ。みんな半端なく上手いやつばかりだ。啓介、やめとけ。おまえ程度じゃプロにはなれない。俺が保証する」
「保証するなよ」

泣きそうだった。
僕たちの中で一番上手かったサトシ先輩が通用しない世界に、飛び込む勇気はない。
結局コーヒー二杯とカルボナーラを奢ってもらって店を出た。
「ちゃんと大学行けよ。おまえは俺より頭がいいんだから」
「うん。先輩も東京で頑張って」
「あのさ、さっきから東京って言ってるけど、ここ、埼玉だから」
先輩は、笑いながら見送ってくれた。なんだ。ここは埼玉か。
やけに空いている電車の中で、一人で笑った。

家に着いたのは夕方だった。真っ赤な夕焼けが町を包んでいた。
一泊ぐらいしようと思ったけれど、結局帰ってきた。
置手紙までしたのに、東京、いや、埼玉でお茶しただけだ。

夜明け前は白く浮かび上がっていた李の花が、オレンジ色に染まっている。
「おかえり」と微笑んでいるように見える。
家の中から笑い声が聞こえた。やけに楽しそうだ。
家出した僕が、心配じゃないのか。
カラスの声に背中を押され、気まずさを纏って家に入った。

「あっ、おかえり兄ちゃん。早かったね」
「あら、二年くらい帰らないかと思ったわ」
「頭、丸めてないんだな」

家族が笑いを堪えるように言う。
テーブルの上には、僕の置手紙がある。所々赤ペンで直してある。
「啓介、誤字脱字、多すぎよ」
「僕の漢字ドリル貸そうか?」
「修行が足りんな」

家族の含み笑いが気になる。モヤモヤしながら手紙を読み返した。

『お父さん、お母さん、僕は出家します』

あっ、「家出」を「出家」と書いている。そういうことか。
だからって、笑うことないじゃないか。僕は本気だったのに。

「夕飯は、精進料理にする?」と、お母さんがまた笑った。
ひどいよ。
李の花だけが、僕を慰めて優しく揺れた。


*******

公募ガイド「TO-BE小説工房」で佳作をいただきました。
久しぶりの佳作。課題は「李」難しいですよね。
あまり身近じゃないし。
最優秀作品は、いい話でした。私には書けないな。。。

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いつか、ママのように [公募]

鏡はうそつきだ。鏡にうつるわたしは、本当のわたしじゃない。
だって、パパもママもおばさんたちも、みんなわたしを「かわいい」というけれど、鏡にうつるわたしは、ちっともかわいくない。
鏡の中の世界は、うそばっかりだ。


私がそんなふうに思っていたのは幼稚園までで、小学校に入学すると、さすがに現実を思い知る。
私は決して、可愛い方ではなかった。
「かわいい」は、子ども全般に当てはまる言葉であり、それは顔ではなく仕草や言動に対するものだと知る。

ママは美人で、パパはハンサム。
美男美女のふたりから生まれたのに、なぜか私は全然似ていない。
腫れぼったい一重の目も、横に広がった丸い鼻も、何ひとつ似ていない。
「ママは美人なのにね」と陰で言う女子たちや、「おまえ、母ちゃんに全然似てねえな」と直接言ってくる無神経な男子たちに傷つき、その度私は鏡を見ながら泣きそうになる。

そして私は疑い始めた。もしかしたら、私はパパとママの本当の子どもではないのではないか。
どこかからもらわれたか、拾われて育ててもらっているのではないか。
「ママ、私は本当にパパとママの子どもなの?」
ついにママに尋ねたのは、小学三年生のときだった。ママは笑いながら言った。
「あなたは正真正銘、パパとママの子どもだよ。足の指を見てごらん。ママとそっくりでしょう」
言われた通り、わたしの足の指は、細くて長くて、ママの足の指とそっくりだった。
「凛々しい眉毛は、パパにそっくりね」
太い眉毛は似たくはなかったけれど、確かにそっくりだ。とりあえずはホッとした。

「ねえママ、それじゃあ、私も大人になったらママみたいな美人になれる?」
「もちろん、なれるわよ」
ママは、わたしの髪を撫でながら言った。
「だけどね、そのためには内面を磨かないとね。たくさん勉強して、いろんなことを学ぶの。人には優しく、他人を羨まない、そして無駄遣いをしないこと」
ママはそう言ってウインクをした。
それはきっと、大人が子供を躾けるための魔法みたいな言葉だ。
だけど私は信じた。ママのような美人になりたかったから。

それから私は、一生懸命勉強をした。たくさんの知識を身に着けて、成績はいつも一番だった。
友達にも優しくした。人が嫌がることも進んでやった。
おかげで私の容姿をバカにする子はいなくなって、学級委員や生徒会役員に、いつも推薦された。
言いつけを守って無駄遣いもしなかった。
正直、それが美人になることと関係あるのか疑問だったけれど、お年玉は全部貯金した。
高校は、地元一の進学校に進み、一流の大学に入り、そしてこの春、誰もが羨む一流企業に就職をした。

ママの言いつけを守りながら、私は毎朝毎朝、鏡を見た。
「今日はきれいになっているかな? 突然目が二重になっていないかな? 鼻がすらりと細くなっていないかな?」と。
だけど鏡に映っているのは、いつものさえない私だった。
どんなに内面を磨いたって、ちっとも変わらない。
メイクをするようになって少しはマシになったけれど、ママのような美人には程遠い。

研修を終えて希望の部署に配属された。
新入社員の中では仕事が出来る方だけど、課長のお気に入りは可愛い女子社員だ。
男性社員の接し方にも差があるような気がする。
仕事を頼むときの態度が、あの子と私とでは微妙に違う。
人を羨んではいけないと言い聞かせても、ため息ばかりの毎日だ。

入社して初めて行われた同期の飲み会に、私は誘われなかった。
誘われたのは可愛い女の子ばかりで、私は当然のようにその中には入れない。
胸の中の何かが爆発したように、私はママに泣きついた。

「ママの嘘つき。言いつけを守っても、ちっとも美人にならないわ」
 ママは、子どもの頃のように私の髪を優しく撫でた。
「言いつけを守ったから、いい会社に入れたでしょう? お給料もいいしボーナスもちゃんと出る。貯金もすぐに貯まるわ」
「お金ばかり貯まってもしょうがないよ」
「あなたの貯金が百万円になったら、いいお医者さまを紹介してあげるわ」
「お医者さま?」

「いい、一度にやっちゃだめよ。少しずつ、少しずつ直していくの」
「……ママ?」
 完璧に整った顔で、ママが微笑んだ。
一瞬ママの顔が、百万円に見えた。

++++++++++

公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「鏡」でした。
現実離れした話が多かったようです。
そういえば、前回お知らせした百物語の本に、阿刀田先生のお話も入っています。


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僕の忠臣蔵 [公募]

「旧暦」というものがあることを知ったのは、じいちゃんと忠臣蔵のドラマを見ていたときだった。
12月14日、雪の中、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りに行くクライマックス、そういえば去年も見たなと思いながら、小学生の僕は炬燵でみかんの皮を剥いていた。
「じいちゃん、江戸って東京でしょう。12月にこんな大雪降らないよね」
定番の時代劇にすっかり飽きた僕は、粗探しみたいな突っ込みを入れた。
じいちゃんは笑いながら「旧暦の12月だ」と言った。
「今の暦に直すと一月の後半だ。ちょうど一番寒いころだ。そりゃ雪も降るだろう」

じいちゃんは、壁からカレンダーを外して僕に見せた。
日にちの横に、旧暦の日付が小さく書いてあった。
「へえ」と僕は感心して、どうして旧暦があるのか尋ねたけれど、じいちゃんは面倒になったのか、それとも知らなかったのか、得意の寝たふりを決め込んだ。
ストーブの上の薬缶がシュンシュンと音を立て、父が仕事から戻るころ、じいちゃんは本格的に寝息を立てる。
ほぼ毎日繰り返される、わが家の定番だ。

その翌年の11月、じいちゃんは静かに天国へ旅立った。
母が、7歳の僕を置いて家を出て行ってから、殆どの時間をじいちゃんと過ごした。
ひとりで過ごす12月、忠臣蔵のドラマは、他の番組に変わっていた。
時代劇と懐メロ、かりんとうと昆布茶、こけしと木彫りの熊、だるまストーブで焼くお餅。じいちゃんに繋がる全ての物が、僕の中から消えていくような気がした。

その後僕と父は、じいちゃんの家を売って、父の仕事場から近いマンションで暮らした。
父の帰りはずいぶんと早くなり、僕の暮らしはずいぶん変わった。
少しだけ大人になって、じいちゃんのことを思い出すことも少なくなったけれど、カレンダーで旧暦を見る癖だけは残った。

僕は高校生になり、同じクラスのユリとつきあい始めた。
ユリの誕生日は12月14日。赤穂浪士の討ち入りと同じ日だ。
「損なのよ。誕生日とクリスマスを一緒にされちゃうの。プレゼントも一緒よ。つまらないわ。かと言って、10日で2回もイベントをやってもらうのは気が引けるでしょう」
ユリは口を尖らせた。僕はひらめいた。
「じゃあさ、誕生日は旧暦でやろうよ」
「何それ? どういうこと?」

僕は手帳を取り出した。旧暦が書かれたお気に入りの黒い手帳だ。
「ほら、旧暦の12月14日は、新暦の1月19日だ。この日に君の誕生日を祝おう」
ユリは手帳を眺めながら「ふうん。よくわからないけど、それでいいわ」と言った。
 
リスマスイブはイルミネーションを見に行った。
初めて手を繋ぎ、女の子の手はなんて柔らかいのだろうと思った。
夜の街を二人で歩いていたら、運悪く同級生の大石に会ってしまった。
しかも大石は、ユリの元カレだ。
「へえ、おまえら、つきあってるんだ」
大石はユリに未練があって、何度か復縁を迫っているらしい。
僕は無視して行こうとしたが、奴が共通の友人の話を始め、ユリもそれに応えたりしたものだから少し頭にきた。
「もう帰ろう」と、二人の間に入った弾みに、肘が大石の顔に当たってしまった。
故意ではないが奴が怒って喧嘩になり、僕が一方的に悪いという流れになり、気まずいイブになってしまった。
冷え切った家は真っ暗で寂しくて、じいちゃんがいてくれたらと、子どもみたいなことを思った。

1月19日(旧暦の12月14日)、僕はユリを家に招いた。
父は帰りが遅いし、僕は高校男子にしてはかなり料理が得意だった。
「ケーキも作ってくれたのね。すごーい。パティシエになれるわ」
彼女は感激して、すべての料理を褒めた。
そして食べて笑って、寄り添ってDVDを見た。
僕がキスのチャンスを狙っていたら、玄関のチャイムが鳴った。
残念ながら父が帰ってきたようだ。
「お父さん、鍵忘れたのかな?」と、ドアを開けると、立っていたのは大石だった。
「ユリを返してもらいに来た」
「はっ? おまえ何言ってんの?」
「俺ら復縁したんだ。正月に一緒に出掛けた」
振り返ると、ユリが気まずそうに俯いた。
「ごめんね。誕生日に、彼がプレゼントをくれたの。欲しかったブランドのお財布。それでね、お礼にデートして、それで、つまり、そういうことに……」

手料理よりブランド、旧暦より新暦。つまりそういうことか。
ユリは何度も謝って、奴に手を引かれて帰った。帰り際、大石に腹を殴られた。
「この前の仕返しだ」と奴は言った。

なあ、じいちゃん、これって打ち入りか?
窓の外には、雪が舞い始めた。いっそ大雪になればいいと、僕は思った。

****

公募ガイドTO-BE小説工房の落選作です。
課題は「暦」でした。
このブログではお馴染みの忠臣蔵ネタでしたが、残念です。
でもまあ、書いてて楽しかったからいいか^^


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ピンときた [公募]

不動産会社に勤める矢野詩織は、逞しい営業力で女性初の営業課長になった。
彼女の武器は高学歴でも、特別なスキルでも、魅力的な容姿でもない。
彼女の武器は、直観力だ。
「ピンときた」が詩織の口癖で、いい物件、いいオーナー、いいクライアントを一瞬で見極める力を持っていた。
詩織がピンときた客は、百パーセントの確率で商談が成立する。
逆にピンとこない客や物件からは、さっと引く。まったく無駄がないのだ。

「矢野さん、駅前で居酒屋をやりたいという知人がいるんだが、何とかならないかね。出来れば居抜きで探してくれないか」
「部長、駅前は無理ですよ。空いているテナントはないし、どの店も繁盛しているから大金を積まれても売りませんよ」
ピンとこない話は、例え部長からの依頼でもきっぱり断る。できる女に忖度はない。

部下を誘って、飲みに行くことも多い。酔うと部下は無礼講になる。
「課長の直観力はホント凄いっす。尊敬するっす。だけど何で独身なんすか? ピンとくる男、いないんすか?」
「君、その発言はセクハラよ」と軽くかわしながらも、詩織は思う。
どうして私の直観力は恋愛には効かないのかしら。
仕事ばかりで気づけば三十代半ば。そろそろピンとくる男が現れてもいいのではないかと。

抜けるような青空が広がる秋晴れの日、詩織はついに、ピンとくる男に出逢った。
詩織はその日、部下の女性社員の結婚披露宴に出席した。
「20代で結婚する」と公言していた彼女は、28歳でIT企業のエリート社員とゴールインした。
詩織は「ご祝儀を出すのは何度めかしら」などと、およそめでたくないことを考えながら、豪華な料理に舌鼓を打っていた。
ふと顔を上げると、隣のテーブルの男と目が合った。

「ピンときた」

男は、特に詩織の好みのタイプではない。
だけど直観力を信じる彼女は、彼をじっくり観察した。食べ方がきれいだ。
清潔感もある。
そして彼が新郎の先輩としてスピーチに立ったとき、この直感は間違いないと確信した。
彼は実に話が上手かった。
淀みなく、笑顔を絶やさず、品のいいユーモアで会場を沸かした。頭のいい人だ。
「後輩に先を越されてしまいました」と言っていたので、独身なのは確実。
年齢は恐らく詩織と変わらない。

彼が席に戻ると、詩織はすかさずビールを注ぎに行った。
素敵なスピーチだったことを告げ、名刺を差し出した。
「へえ、課長さんですか。若いのに凄いな」
男性の9割が言う「女性なのに凄い」という言葉を彼が言わなかったことに、詩織はますます好感を抱いた。
すると彼から、思いがけない誘いがあった。
「この後、ふたりで飲みに行きませんか」
詩織は、少し悩む振りをしながら、心の中でガッツポーズをした。

街は夕暮れ、ふたりは駅前の居酒屋でグラスを合わせた。
古民家を改装したような、なかなかしゃれた店だ。
店選びのセンスもいいと、また好感度がアップした。
「実はここ、母の店なんです。祖父母の家を改装して十年前に居酒屋にしたんです」
カウンターの奥で、老婦人が会釈した。彼の母親だ。
いきなり母親と対面だなんて、結婚も視野に入れているということか。
最低でも三3か月はお付き合いをして、仕事と家庭のバランスも考えないと。
そんな気の早いプロセスを考えていた詩織に彼が言った。

「この店を売りたいんです。出来れば居抜きで。母はもう引退するので、いい不動産屋を探していたんです。矢野さんから名刺をもらったとき、僕、ピンときたんです」

ついさっきまで結婚までのプロセスを考えていた詩織は、たちまち仕事モードになった。
部長の知人が探していた駅前の居酒屋と、条件がぴたりと一致している。
これはいける。

一カ月もしないうちに商談は成立した。
売り手からも買い手からも部長からも感謝され、いい仕事をしたと詩織は思った。
それなのに、晩秋の風がやけに心に染みるのは、ピンときて運命だと思った彼が、アドレスの交換もしないまま海外赴任になってしまったからだ。
結婚どころか、恋愛にすら発展しなかった。
けっきょく詩織の直感は、仕事にしか反応しないということだ。

年が明け、部長の知人が始めた居酒屋で、営業部の新年会が開かれた。
なかなかいい店だ。いい酒を置いている。料理も洒落ている。
何より家庭的な雰囲気が実にいい。
古民家再生プロジェクトに力を入れようかしら。詩織は腕組みをして考える。

「課長、何考えてるんすか。飲みましょうよ」
「ちょっと待って。今ピンときたの」

*****

公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「ピン」
阿刀田先生も選評で書いていました。色んなピンがあって難しい。(題を決めるのは阿刀田先生ではありません)
本当に何を書いていいのかさっぱりでした。

11月は何かと忙しく、なかなか創作時間がとれません。
ぼちぼち書いていきますね。


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患者が愛した男 [公募]

あの人に会えると思ったんですよ。
現世では結ばれなかったあの人と、あの世で一緒になりたかった。
だけどあの人は、迎えに来てはくれませんでした。
お花畑が見えたんです。きれいな川が流れていて、あれが恐らく、三途の川だったのでしょう。
向こう岸で手招きしたのは、あの人ではありませんでした。
白い着物を着た女の人でした。
よく見たらその人は、あの人の奥様じゃありませんか。
物凄く怖い顔で、手招きをするのです。
「早く渡っていらっしゃいな。閻魔様とかけ合って地獄に落としてもらうから」
まるで鬼のような形相なのです。私、すっかり怖くなって引き返してしまいました。
それで気がついたらこの病院のベッドの上だったというわけです。

一命をとりとめた患者は、白髪の老婆だが、仕草や話し方がどこか艶めかしい。
若いころはさぞかし美人だっただろう。点滴を替えながら、私は患者に話しかけた。
「あの人って、誰のことですか?」
「私が生涯で、唯一愛した男ですよ。もう三十年も前の話ですけどね」
「奥様がいる方だったんですね」
「そう。今でいう不倫です。でもね、看護師さん、絶対に私の方が愛されていましたよ。ええ、それは間違いないわ」
患者は、自信たっぷりに言い切った。

その患者が運ばれてきたのは、三日前のことだった。
信号待ちの交差点で心臓麻痺を起こして倒れた。
幸い人通りが多く、処置が早かったために一命を取り留めることが出来た。
物腰が柔らかく、丁寧な言葉遣いの患者に好印象を持った。
あの不倫の話を聞くまでは。

私の父は不倫をしていた。母は随分と泣いていたし、そのせいで、ひどく辛い最期を迎えた。
母は死んでも父と不倫相手を許さないだろうし、それは私も同じだ。
あの患者が、昔の不倫を美しい究極の愛だと語るたびに、吐き気が込み上げるほどの嫌悪を感じたが、ベテランナースとして普通に接した。
患者に対しては、分け隔てなく誠心誠意尽くすのが私たちの仕事だ。

患者には、身内はいなかった。誰も見舞いに来ない寂しい女だった。
「ご両親は健在なの?」
朝の血圧を測っているときに、不意に聞かれた。細い腕が微かに動いた。
「母はとっくに亡くなりました。私が十八のときです。父は三年前に、この病院で看取りました」
「ご結婚は?」
「していません。たぶん、もうしません。両親の幸せな姿を見て育たなかったから、結婚に対する夢も希望も持ったことはありません」
「そうね。愛の形って結婚だけじゃないもの。結婚にとらわれることなんてないのよ」
患者は、また三十年前の不倫のことでも思い出したのか、うっとりしたような顔つきになった。
私はさっさと血圧計を片づけて病室を後にした。これ以上話すと、爆発しそうだった。

患者の退院が決まった。
薬や、通院の予定表を持って病室に行くと、夕焼けを見ながら患者が泣いていた。
「死にたかった。どうして私、助かってしまったのでしょう」
「そんなこと言っちゃだめですよ。生きたくても生きられない人だっているんだから」
私の母のように、という言葉は呑み込んだ。

「看護師さん、私を殺してくれませんか。点滴に何かの薬を混ぜれば、きっと誰も気づかない。ねえ看護師さん、あなただって、私を殺したいでしょう?」
患者は拝むように手を合わせ、私のネームプレートに視線を移した。

ああ、やはりそうかと、私は思った。三十年前に父と不倫したあげく、私の母を刺殺した女だ。
ありふれた名前だったから確証はなかったけれど、話すうちに芽生える黒い感情の理由がやっとわかった。
この女はきっと、最初から知っていたのだ。私が、愛した男の娘であることを。

「バカじゃないの。死んでも父のところへなんか行けないわ。あなたは地獄に落ちるのよ。父が母よりあなたを愛していたなんて、本気で思ってる? ただの遊びだった、許してくれって、墓の前で泣いていたわ。私はあなたを殺さない。あなたとは違うもの」

きれいな夕陽を隠すように、カーテンをピシャリと閉めて、私は速足で病室を出た。
もう会うことはないだろう。

彼岸花が、急斜面を赤く染めている。高台の墓には、父と母が仲良く眠っている。
父が本当に愛していたのが誰だったかなんて、そんなことはどうでもいい。
私は手を合わせ、あの女が天国に行かないことだけを祈った。

*****

公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。課題は「彼岸」です。
最近は佳作にも選ばれなくなりました。
最優秀作品、面白かった。こういうのを私も書きたかったな。


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