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定年後の計画 [コメディー]

「定年退職したら、旅行でもしようか」
「いいわね。宇宙旅行がいいわ。私、行きたい星があるの」
「宇宙か。危なくない? この前宇宙船がブラックホールに吸い込まれる事件があっただろう」
「あんなの稀よ。100年に一回の大惨事だわ」
「それもそうだな。地球にいても危険なことはあるしな」
「そうよ。この前、宇宙生物に噛まれて入院した人がいたわ」
「簡単にペットを捨てる時代だからな」
「ねえ、いっそどこかの星に移住しない? 政府も勧めているのよ。とにかく人口が増えすぎちゃって」
「それもいいな。人工じゃなくて、本物の海がある星がいいな」
「高いわよ。退職金、たくさん出るの?」
「そりゃあ出るだろう。100年も働いているんだぞ」
「昔は定年が60歳だって聞いたけど、早いわよね。残りの100年、どうやって過ごしたのかしら」
「寿命が違うだろう。そのころは100年生きれば長寿って言われた時代だ」
「100歳なんて、働き盛りよね」

「おっと、ボスから呼び出しだ。出かけてくる」
「気を付けてね。スカイハイウエイ、事故渋滞みたいよ」
「たまにいるんだよな。マシンに頼らずハンドル握るやつ。だから事故を起こすんだ」
「行ってらっしゃい」

「ボス、お呼びですか?」
「ああ、君、すまんが来月からポンコツ星の工場に出向してくれんか」
「え? 私、もうすぐ定年ですが」
「それなんだが、定年を120歳から130歳に引き上げることにした」
「えええ~」
「政府からの要請だ。人生150年と言われて久しいが、今や160歳、170歳はザラにいる。どうせなら働いて、税金を納めてもらおうというわけだ」

「ええ!ポンコツ星に単身赴任?」
「そうなんだ。家族は連れていけないんだ。体制が整ってないらしい」
「わかったわ。寂しいけど待ってる。10年経ったら私、128歳のおばあさんだわ」
「大丈夫。君は何歳になってもきれいだよ」
「ありがとう、身体に気を付けてね」

〈10年後〉
「ただいま。やっと終わった」
「あなた、おかえりなさい」
「ようやく定年だ。旅行の計画を立てよう」
「それがね、あなたがポンコツ星に行っている間に法律が変わってね、定年制度が無くなったのよ。生きてる間はずっと働くことになったのよ」
「そ、そんな!じゃあ、退職金はどうなるんだ」
「あなたが死んだ後に出るらしいわ。だから私、あなたより10年以上は長生きしたいの。っていうことで、アンチエイジングジムに行ってくるわ」

死ぬまで働きたくは…ない。


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今夜はカレー [コメディー]

『今夜はカレーです』

昼休み前に来る妻からのライン。
そうか、今夜はカレーか。
「お、先輩、今夜はカレーですか」
後輩の山田君がスマホを覗き込んで言った。
「毎日ライン送ってくるんですか? ラブラブですね」
「そんなんじゃないよ。昼飯と晩飯が被らないように送ってもらってるんだ。昼カレー食べて、夜もカレーだったらガッカリだろ」
「へえ。いいですね」
「山田君もそうしなよ。奥さんに送ってもらえばいいだろ」
「いや、僕は弁当ですから」
「なんだ、愛妻弁当か。そっちの方がラブラブじゃないか」
「そんなにいいものじゃありませんよ」
「またまた照れちゃって。弁当のおかずは何だい?」
「……カレーです」
「えっ? 弁当がカレー?」
「はい。昨夜のメニューがカレーだったので」
「ついでに聞くが、朝飯は?」
「カレーです」
「あえて聞くが、今日の晩飯は?」
「もちろんカレーです」
「3食、いや、4食連続でカレーはキツイな」
「いいんです。ルーから作る妻のカレーは美味しいですから」
山田君は、少し寂しそうに笑った。

家に帰ってカレーを食べながら、妻にその話をした。
「いくら美味しくても、4食連続はキツイよな。昼飯くらいは好きなものを食いたいよ」
「そうね。そう思うから私、お弁当はあえて作らないのよ」
「そういえば、うちのカレーはいつも1食だね。2日目のカレーがないのはどうして?」
「ああ、だって二人分しか買ってないもん」
ん? 買ってない? 作ってないじゃなくて?

妻が風呂に入っている間、そうっと冷蔵庫を開けてみた。
出た~!レトルトの山。
カレー、牛丼、中華丼。インスタントの味噌汁にスープ。
冷凍室にはグラタン、コロッケ、ラーメン、ギョーザにハンバーグ。
全部妻の得意料理じゃないか。

ルーから作るカレーって、どんな味だろう。
山田君、僕は今、モーレツに君が羨ましい。


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ピンときた [公募]

不動産会社に勤める矢野詩織は、逞しい営業力で女性初の営業課長になった。
彼女の武器は高学歴でも、特別なスキルでも、魅力的な容姿でもない。
彼女の武器は、直観力だ。
「ピンときた」が詩織の口癖で、いい物件、いいオーナー、いいクライアントを一瞬で見極める力を持っていた。
詩織がピンときた客は、百パーセントの確率で商談が成立する。
逆にピンとこない客や物件からは、さっと引く。まったく無駄がないのだ。

「矢野さん、駅前で居酒屋をやりたいという知人がいるんだが、何とかならないかね。出来れば居抜きで探してくれないか」
「部長、駅前は無理ですよ。空いているテナントはないし、どの店も繁盛しているから大金を積まれても売りませんよ」
ピンとこない話は、例え部長からの依頼でもきっぱり断る。できる女に忖度はない。

部下を誘って、飲みに行くことも多い。酔うと部下は無礼講になる。
「課長の直観力はホント凄いっす。尊敬するっす。だけど何で独身なんすか? ピンとくる男、いないんすか?」
「君、その発言はセクハラよ」と軽くかわしながらも、詩織は思う。
どうして私の直観力は恋愛には効かないのかしら。
仕事ばかりで気づけば三十代半ば。そろそろピンとくる男が現れてもいいのではないかと。

抜けるような青空が広がる秋晴れの日、詩織はついに、ピンとくる男に出逢った。
詩織はその日、部下の女性社員の結婚披露宴に出席した。
「20代で結婚する」と公言していた彼女は、28歳でIT企業のエリート社員とゴールインした。
詩織は「ご祝儀を出すのは何度めかしら」などと、およそめでたくないことを考えながら、豪華な料理に舌鼓を打っていた。
ふと顔を上げると、隣のテーブルの男と目が合った。

「ピンときた」

男は、特に詩織の好みのタイプではない。
だけど直観力を信じる彼女は、彼をじっくり観察した。食べ方がきれいだ。
清潔感もある。
そして彼が新郎の先輩としてスピーチに立ったとき、この直感は間違いないと確信した。
彼は実に話が上手かった。
淀みなく、笑顔を絶やさず、品のいいユーモアで会場を沸かした。頭のいい人だ。
「後輩に先を越されてしまいました」と言っていたので、独身なのは確実。
年齢は恐らく詩織と変わらない。

彼が席に戻ると、詩織はすかさずビールを注ぎに行った。
素敵なスピーチだったことを告げ、名刺を差し出した。
「へえ、課長さんですか。若いのに凄いな」
男性の9割が言う「女性なのに凄い」という言葉を彼が言わなかったことに、詩織はますます好感を抱いた。
すると彼から、思いがけない誘いがあった。
「この後、ふたりで飲みに行きませんか」
詩織は、少し悩む振りをしながら、心の中でガッツポーズをした。

街は夕暮れ、ふたりは駅前の居酒屋でグラスを合わせた。
古民家を改装したような、なかなかしゃれた店だ。
店選びのセンスもいいと、また好感度がアップした。
「実はここ、母の店なんです。祖父母の家を改装して十年前に居酒屋にしたんです」
カウンターの奥で、老婦人が会釈した。彼の母親だ。
いきなり母親と対面だなんて、結婚も視野に入れているということか。
最低でも三3か月はお付き合いをして、仕事と家庭のバランスも考えないと。
そんな気の早いプロセスを考えていた詩織に彼が言った。

「この店を売りたいんです。出来れば居抜きで。母はもう引退するので、いい不動産屋を探していたんです。矢野さんから名刺をもらったとき、僕、ピンときたんです」

ついさっきまで結婚までのプロセスを考えていた詩織は、たちまち仕事モードになった。
部長の知人が探していた駅前の居酒屋と、条件がぴたりと一致している。
これはいける。

一カ月もしないうちに商談は成立した。
売り手からも買い手からも部長からも感謝され、いい仕事をしたと詩織は思った。
それなのに、晩秋の風がやけに心に染みるのは、ピンときて運命だと思った彼が、アドレスの交換もしないまま海外赴任になってしまったからだ。
結婚どころか、恋愛にすら発展しなかった。
けっきょく詩織の直感は、仕事にしか反応しないということだ。

年が明け、部長の知人が始めた居酒屋で、営業部の新年会が開かれた。
なかなかいい店だ。いい酒を置いている。料理も洒落ている。
何より家庭的な雰囲気が実にいい。
古民家再生プロジェクトに力を入れようかしら。詩織は腕組みをして考える。

「課長、何考えてるんすか。飲みましょうよ」
「ちょっと待って。今ピンときたの」

*****

公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「ピン」
阿刀田先生も選評で書いていました。色んなピンがあって難しい。(題を決めるのは阿刀田先生ではありません)
本当に何を書いていいのかさっぱりでした。

11月は何かと忙しく、なかなか創作時間がとれません。
ぼちぼち書いていきますね。


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バニラの香り

先生の髪は、バニラの香りがした。
髪を耳に掛けるときの白い指と、その度香る甘い匂いに、僕はいつもドキドキしていた。

先生は、僕が小学5年生のときの家庭教師だ。
成績がすこぶる悪かった僕を見かねて、母が雇った女子大生だ。
先生の教え方は丁寧でとてもわかりやすかった。
覚えの悪い僕を見放すことなく、わかるまで何度も説明してくれた。
そのおかげでずいぶん成績が上がり、ある日とうとう算数で100点を取った。

「頑張ったね。ご褒美に、何かご馳走しようか」
先生が言った。
僕はとび上がるほど嬉しかったけど、ひとつ問題があった。
僕の母は栄養士の仕事をしていて、食べ物に関してはうるさかった。
食事は、おやつを含め母の手作りの物しか食べたことがない。
外食なんてしたことがない。絶対に許してくれるはずがない。

僕は、母が仕事の土曜日を選び、先生には「お母さんが許してくれた」と嘘をついた。
そして母が用意した弁当をこっそり捨てて、先生との待ち合わせ場所に向かった。
先生が連れて行ってくれたのは、スイーツバイキングの店だった。
「先生はスイーツが大好きなの。好きなだけ食べていいのよ」
ずらりと並んだ色とりどりのケーキやプリンやカラフルなお菓子。
おやつはおからクッキーか野菜が入った蒸しパンだった僕は、初めて見るおしゃれなケーキに胸が高鳴った。

「甘いものは、脳の働きにもいいのよ」
先生はそう言いながら、お皿いっぱいのケーキを美味しそうに食べた。
そうか。僕は甘いものを食べなかったから、脳に栄養が行かなくて成績が悪かったんだ。そんなことまで思った。

とにかく手当たり次第に食べた。
ジュースも飲んだし、アイスも食べた。
美味しくて楽しくて脳が活性化されるなんて、こんな素晴らしいことはない。
僕はとても満足して家に帰った。

その夜のことだ。
僕は急激な腹痛でのたうち回った。
食べ慣れないものを食べたせいか、母の弁当を捨てた罰が当たったのか、僕は救急車で運ばれた。
けっきょくは、ただの食べ過ぎだった。
母に問い詰められて、僕は先生とスイーツバイキングに行ったことを話した。
母は「情けない」と泣いた。
弁当を捨てたこともばれて、母は過去最高に激怒した。
「先生は悪くない」と泣きながら訴えたけど、先生は解雇された。
僕の甘い甘い初恋は、後ろめたさと共に終わった。

あれから数年。僕は高校生になった。
先生に基礎をしっかり学んだおかげか、そこそこいい高校に入れた。
友達と渡り廊下を歩いていると、前から歩いてきた先生に声をかけられた。
「M君じゃない?」
女性の先生は、懐かしそうに目を細めた。
「憶えてない? 君が5年生の時に家庭教師だった…」
バニラの匂いが鼻をかすめた。えっ? 先生? 
僕は目を疑った。
先生の体は、あの頃の2倍、いや3倍にもなっている。
「私、ちょっと太ったから分からなかったかな?」

先生、スイーツ食べ過ぎだよ。
だけど先生は、とても幸せそうに笑いながら通り過ぎた。
甘い香りを残して。


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ハロウィンパーティ

1年ぶりのメールです。
今年のハロウィンパーティ、あなたはどんな仮装をしますか?
私は「血まみれナース」の仮装をします。
いつものように、逢えますよね。

久しぶり。
僕はゾンビの仮装をします。
では、会場で逢えるのを楽しみにしています。

彼との出会いは、5年前のハロウィンパーティ。
地元の企業が主催だけれど、参加は誰でもOK。
友達にドタキャンされてひとりで行った。
そのときに出逢ったのが彼。
私は魔女の仮装で、彼はドラキュラだった。
彼は主催者のひとりで、ドラキュラ前田というネームプレートを下げていた。
互いに素顔はわからないけれど、メールアドレスを交換して、来年も逢おうと約束をした。

それから5年。毎年逢ううちに、彼を好きになった。
どんなに忙しくても、私を見つけて話に来てくれた。
年に一度の再会だけど、あんなに話が弾む人は他にはいない。
今年は思い切って告白しようと思う。
彼も同じ気持ちだったらいいのだけれど。

パーティ会場は年々賑わいを増す
おばけや魔女やゾンビがいっぱい。
彼はどこだろう。主催者はバラバラに散らばって会場を盛り上げている。
キョロキョロしていたらメールが来た。
『君の後ろにいるよ』

振り向いたら、ゾンビの彼がいた。
「あなたなの? すごいわ。完璧な仮装ね」
「今年も来てくれてありがとう。君のナースもすごいよ。完成度が高い」
「仮装してるのに、よくわかったわね」
「うん。君のことは、すぐに見つけられるよ」
彼は、いつもと少し違った。ネームプレートも外している。
もしかして、ずっと私の傍にいたいから?
彼も、私と同じ思いだったりして。

しばらく話した後、私は思い切って言った。
「ハロウィンが終わっても、会ってくれますか?」
彼は困った顔をした。
「ごめん、それは無理だ」
「深い意味じゃないのよ。お互いに仮装した姿しか見ていないから、一度素顔で会いたいと思っただけなの」
「ごめん、無理だ」
彼は頑なに断り続ける。もしかして、すごくブサイクなのかしら。
それでもいい。だって私は彼の内面に惚れたんだもの。
誰よりも完璧な仮装で、いつも私を驚かせてくれる彼が好きなの。

そのとき、主催者の挨拶が会場内に響いた。
「今年もたくさんの方に参加いただき、ありがとうございます。ひとつ、お知らせです。この回の発起人である前田君が、先日事故で亡くなりました。今日は前田君の分まで、僕たちが盛り上げていきたいと思います」
拍手が沸き上がる。

え?…ん? 前田君って、あなた?
「ごめんね。今日の僕は、仮装じゃないんだ」
彼の顔が、ドロドロと崩れ始めた。
「もう、限界だ」

笑い声と大音量の音楽が流れるパーティ会場の片隅。
私に逢うためにやってきたゾンビの彼は、最初からいなかったように静かに消えた。


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本を読む人

窓辺で、女性が本を読んでいる。
年齢は、30代後半から40代前半といったところだろうか。
美しい人だ。本を読む姿勢がきれいだ。

僕は二つ離れた席でコーヒーを飲みながら、彼女をチラ見した。
夕暮れのカフェは、静かで空いていた。

本のタイトルはわからない。
布製のブックカバーを掛けているからだ。
ブックカバーには紅葉の刺繍が施されている。
きっと季節ごとに変えているのだろう。好感が持てる。

彼女は、ときどき辛そうな顔をしながら読む。
きっと切ない話なのだ。恋愛小説と思われる。
時おり目頭をおさえて、泣いているようだ。
自分の人生と重ね合わせているのだろうか。
彼女を悲しませることは、いったい何だろう。
薬指には指輪がある。
夫か。ろくでもない男と結婚して、悲しい想いをしているのだろうか。
彼女は、読むのが辛くなったのか、とうとう本を閉じてしまった。

そこへ勢いよくドアが開き、男が入ってきた。
白髪まじりの痩せた男だ。
年齢は50代半ばといったところだろうか。
男は彼女に向かってまっすぐ歩いてきた。
年が離れている。不倫だろうか。

男はドカリと彼女の前に座り、「これからどうする?」と、ぶっきらぼうに言った。
「どうするって、あなたが決めてよ」
「あれ、機嫌悪い? っていうか、泣いてる?」

どうやら不倫男は、ずいぶんと無神経なようだ。
不倫の清算を、女性任せにしようとしている。
おまえのせいで、彼女が泣いているというのに。

「本が読めないのよ。読みたいのに、辛くて読めないの」
「じゃあ、読まなきゃいいだろ」
なんて男だ。彼女は悲しい不倫小説に、自分を重ねているんだぞ。
僕は、テーブルの下で拳を震わせた。

「読みたいのよ。もうちょっとで犯人が解るのよ」
……あれ、ミステリーだった?

「なのに、どうしても読めないのよ」
「老眼だろ。無理しないで老眼鏡作れよ。おまえ、若く見えても48だろ」
「いやよ。私まだ、老眼じゃないわ。眼鏡を掛けたら負けよ」
「ふうん。どうでもいいけど、どうする? 今から」
「いつもの焼き鳥屋でいいわよ。こじゃれた店は疲れるわ」
男は運ばれたコーヒーを一気に飲んで席を立った。

女は文庫本を無造作にバッグに押し込みながら、男の後に続いた。
チラリと、本のタイトルが見えた。人気作家の軽いミステリーだった。
彼女はもう、流行り物好きな48歳のおばさんにしか見えない。
「その本の犯人は、夫ですよ~」
と、教えたいのを必死でこらえた。


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哀愁のハーモニカ

ススキが揺れる土手に座り、おばあさんがハーモニカを吹いている。
ススキみたいな白い髪の、痩せた小さなおばあさんだ。
あまり上手ではなかったけれど、そのメロディは聞き覚えがあった。
夫がたまに口ずさむ歌だ。タイトルは確か「故郷の空」。

「夕空晴れて秋風吹く……」
気が付いたら、おばあさんのハーモニカにつられて歌っていた。
今の風景に、この歌がピッタリだったからだ。
「あらあら、お上手ね」
「すみません、つい」
私は、顔を赤くしながらおばあさんの隣に座った。
見ると古いハーモニカには、ひらがなで名前が書いてある。
『1ねん2くみ すずきよしお』
すずきよしお? 夫と同じ名前だ。
もちろん偶然だ。ありふれた名前だし、この人は夫の母親ではない。

「息子さんのハーモニカですか?」
「ええ、そうなの。小学校のころ、息子が使っていたの。今はもう50歳のおじさんよ」
あら、年まで夫と一緒だ。
「息子はね、ハーモニカのテストの度に泣いて帰って来たわ。音楽のセンスがゼロなのね」
偶然だ。夫も信じられないくらいの音痴だ。
「でもね、絵は上手だったのよ。県の絵画コンクールで賞をもらったわ」
あ、また偶然。夫も絵がうまくて、美術教師をしている。
「やんちゃな子でね、すべり台から落ちて、額を7針も縫う怪我をしたのよ」
ええ~、また偶然。夫の額にも傷跡がある。確かすべり台から落ちたって言っていたような。
「親バカかもしれないけど、器量のいい子でね、幼稚園の時、3人の女の子から同時に告白されたのよ」
うそ! 夫もそんな自慢話していた。今はメタボだけど、確かに昔はイケメンだった。
ここまで偶然が重なるって、おかしくない?

「あの、つかぬことを伺いますが、息子さんの血液型は?」
「O型よ」
「星座は?」
「5月30日生まれだから、ふたご座かしら」
背中がゾクッとした。血液型と誕生日まで一緒だ。
でも、夫の母親はずいぶん前に亡くなっている。
いや待て、もしかしたら生きている? そういえば私、お墓に行ったことがない。
何かの事情で生き別れたお母さんじゃないかしら。何となく、横顔が夫に似ている。
この人はハーモニカを吹きながら、幼いころに別れた息子を想っているのだ。

「あの、私の夫も鈴木義男(すずきよしお)っていうんです。50歳です」
おばあさんが、「え?」と驚いた顔をした。
「血液型も誕生日も一緒です。絵が上手で、美術教師をしています。額には傷があります」
「あらまあ」
「うちに来て、夫に会ってもらえませんか」
おばあさんは、困ったようにうつむいた。
「それは無理よ」
「なぜですか。こんな偶然滅多にないわ。きっと神様が巡り合わせてくれたんですよ」
おばあさんは、いよいよ困った顔で、申し訳なさそうに言った。
「今から息子のよしおが孫を連れて遊びに来るのよ」
「え? そのハーモニカの、よしおさん?」
「そうよ。それにしても、偶然ってあるものね」
おばあさんは笑いながら立ち上がった。

「ああ、それからね、息子の名前は、すずきよしおじゃなくて、すすきよしおよ」
「すすき?」
「そう、薄良夫(すすきよしお)。点がないのよ。よく間違えられるけどね」
夕陽に染まるススキの土手を、おばあさんはいそいそと帰った。

呆然と見送る私を慰めるように、ススキがさわさわと揺れていた。


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結婚記念日 [男と女ストーリー]

「結婚記念日?」
「うん。いや、俺も忘れてたんだけどね、カレンダーに○がついてて、しかも小さくハートマークも書かれていてさ、それでハッ思い出したんだ」
「ふうん、何年目?」
「10年目、ヤバいだろ。忘れたら大変な目に遭う。一生言われる」
「へえ、それで、何かするの?」
「うーん、食事か温泉。ママならどっちがいい?」
「そりゃあ温泉よ」
「温泉か。でもさ、結婚10年だし、大した会話もないし、飯食って風呂入ってゴロゴロして、家にいても変わらないんじゃないかな」
「わかってないわね。上げ膳据え膳って、女にとって最高の贅沢よ」
「そうか。じゃあ、温泉にするか」
「奥さん、可愛いじゃないの。カレンダーに○なんて」
「うん。あとさ、引き出しにプレゼントも隠してあった。あれはたぶんブランドの時計だな。おれも何か用意しなくちゃな。やっぱり指輪かな」
「はいはい、指輪でも竹輪でも何でもいいわ。それ飲んだら帰りなさい」

男は、行きつけの小料理屋を出て、9時過ぎに帰宅した。
ほぼ毎日、そこで食事をしてから帰る。
家に帰っても、何もないからだ。
「上げ膳据え膳っていうけど、うちのカミさん料理しないけどな」
互いに仕事を持ち、子どもはいない。束縛しないことが円満の秘訣だ。
夫婦というより、ルームシェアをしているパートナーみたいだが、男はその暮らしを割と気に入っていた。
「ただいま」
「おかえり。お風呂沸いてるよ」
「サンキュ。あのさ、来月温泉行こうよ」
「なに? 急にどうしたの?」
「いや、ほら、結婚記念日だからさ」
「え? マジ? そうだっけ?」
「とぼけんなよ。カレンダーに○つけてあるだろ」
「あ、そ、そうだった」
「ちょうど土曜日だし、一泊で行こうよ。俺、近場の宿探してみる」
「あのさ、悪いんだけど、別の日にしない。私、その日接待が入りそうなの。嫌だけど、もちろん温泉の方がいいけど、仕事だからね、仕方ないよ」
「そうか。翌週は俺がダメだし、有給でも取るかなあ」
「いいよ、無理しないで。何なら私、ファミレスのランチでいいよ。こういうのはさ、気持ちが大事だから、特別なことしなくてもいいんじゃない」
「そうか。君がいいなら」
男は風呂に入り、女は、ふうっとため息をついた。

「結婚記念日?」
「そうなのよ。すっかり忘れててさ、ダンナに温泉行こうって言われてビックリしたわ」
「いいじゃん、温泉。ますますきれいになっちゃうね」
「もう、やめてよ~。ボトル追加ね」
「ありがとうございま~す。でもさ、たまにはダンナにサービスしたほうがいいんじゃない?」
「わかってるわよ。でも、その日だけは絶対にダメ。だって、私の結婚記念日は、コージ君の誕生日なんだもん」
「憶えててくれたんだ。うれしいな」
「楽しみにしてて。プレゼントも買ってあるの」

女は、夜な夜な通い続けるホストクラブを後にして、深夜の月を見る。
「結婚記念日か。育毛剤でも買ってやるか」


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ハムレター [コメディー]

天国へ行ったハムスターから、手紙が来た。
秋の空をふわふわ舞いながら、わが家の庭に落ちてきた。

拝啓
スズキ家の皆様、お元気でお過ごしであろうか。
生前はずいぶんと世話になった。
部屋の適度な温度調節、バランスの良い食事、こまめなトイレ掃除など、感謝の念に堪えない。
ところで、風の噂で聞いたのだが、ネコを飼い始めたそうではないか。
いや、まさか、私が死んでひと月も経たないうちにネコを飼うなんて、スズキ家の面々がそのような薄情なことをするわけがないと耳を疑ったが、ふと思い出したのだ。
母親が電話で
「えー、ネコ? あー、飼いたいけど、うちにはハムスターがいるからな~」
と、残念そうに言っておったのを。
そういうことか、私が死んだから、これ幸いとネコを飼ったのか。
末娘など、あんなに泣いておったのに、今ではネコに首ったけだそうだな。
しかも、私には「ゴンタ」などという古めかしい名前をつけたくせに、ネコの名前は「ショコラ」だと?
まあよい。死人に口なし。死んだハムスターにも口なしだ。

ところで、私は生前の行いが大変良かったということで、かねてより願い出ていた人間への生まれ変わりを許可された。
私は切に願った。スズキ家の家族になりたいと。
じきに長女が身ごもるであろう。去年親の反対を押し切って、ミュージシャンと結婚した長女だ。
恐らく自分たちだけでは養えず、実家に転がり込むであろう。
私は、その長女の子供として生まれ変わるのだ。
もちろん、前世でハムスターだったことなどすっかり忘れている。
しかし本能というのは厄介なものである。
砂遊びが好きだったり、水を怖がったりするであろう。
そして何よりネコとは相性が悪い。
これから生まれる長女の子供に、ネコは近づけちゃいかん。出来ればネコは、どこかよその家に引き取ってもらうことも視野に入れてはもらえぬだろうか。
可愛い孫のため、いや、私のために。
以上、私からの切実なる願いである。
敬具


ふうん。ハムスターからの手紙か。
なるほど、ハムスターの生まれ変わりの赤ん坊がやってくるのね。
おもしろくなりそうだわ。

「ショコラ、お庭で何してるの? あら、なに? その紙、ビリビリに破っちゃって読めないじゃないの。もう、いたずらっ子ね」

ニャ~(たっぷり可愛がってあげる)

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うちのハムちゃんは元気です。



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患者が愛した男 [公募]

あの人に会えると思ったんですよ。
現世では結ばれなかったあの人と、あの世で一緒になりたかった。
だけどあの人は、迎えに来てはくれませんでした。
お花畑が見えたんです。きれいな川が流れていて、あれが恐らく、三途の川だったのでしょう。
向こう岸で手招きしたのは、あの人ではありませんでした。
白い着物を着た女の人でした。
よく見たらその人は、あの人の奥様じゃありませんか。
物凄く怖い顔で、手招きをするのです。
「早く渡っていらっしゃいな。閻魔様とかけ合って地獄に落としてもらうから」
まるで鬼のような形相なのです。私、すっかり怖くなって引き返してしまいました。
それで気がついたらこの病院のベッドの上だったというわけです。

一命をとりとめた患者は、白髪の老婆だが、仕草や話し方がどこか艶めかしい。
若いころはさぞかし美人だっただろう。点滴を替えながら、私は患者に話しかけた。
「あの人って、誰のことですか?」
「私が生涯で、唯一愛した男ですよ。もう三十年も前の話ですけどね」
「奥様がいる方だったんですね」
「そう。今でいう不倫です。でもね、看護師さん、絶対に私の方が愛されていましたよ。ええ、それは間違いないわ」
患者は、自信たっぷりに言い切った。

その患者が運ばれてきたのは、三日前のことだった。
信号待ちの交差点で心臓麻痺を起こして倒れた。
幸い人通りが多く、処置が早かったために一命を取り留めることが出来た。
物腰が柔らかく、丁寧な言葉遣いの患者に好印象を持った。
あの不倫の話を聞くまでは。

私の父は不倫をしていた。母は随分と泣いていたし、そのせいで、ひどく辛い最期を迎えた。
母は死んでも父と不倫相手を許さないだろうし、それは私も同じだ。
あの患者が、昔の不倫を美しい究極の愛だと語るたびに、吐き気が込み上げるほどの嫌悪を感じたが、ベテランナースとして普通に接した。
患者に対しては、分け隔てなく誠心誠意尽くすのが私たちの仕事だ。

患者には、身内はいなかった。誰も見舞いに来ない寂しい女だった。
「ご両親は健在なの?」
朝の血圧を測っているときに、不意に聞かれた。細い腕が微かに動いた。
「母はとっくに亡くなりました。私が十八のときです。父は三年前に、この病院で看取りました」
「ご結婚は?」
「していません。たぶん、もうしません。両親の幸せな姿を見て育たなかったから、結婚に対する夢も希望も持ったことはありません」
「そうね。愛の形って結婚だけじゃないもの。結婚にとらわれることなんてないのよ」
患者は、また三十年前の不倫のことでも思い出したのか、うっとりしたような顔つきになった。
私はさっさと血圧計を片づけて病室を後にした。これ以上話すと、爆発しそうだった。

患者の退院が決まった。
薬や、通院の予定表を持って病室に行くと、夕焼けを見ながら患者が泣いていた。
「死にたかった。どうして私、助かってしまったのでしょう」
「そんなこと言っちゃだめですよ。生きたくても生きられない人だっているんだから」
私の母のように、という言葉は呑み込んだ。

「看護師さん、私を殺してくれませんか。点滴に何かの薬を混ぜれば、きっと誰も気づかない。ねえ看護師さん、あなただって、私を殺したいでしょう?」
患者は拝むように手を合わせ、私のネームプレートに視線を移した。

ああ、やはりそうかと、私は思った。三十年前に父と不倫したあげく、私の母を刺殺した女だ。
ありふれた名前だったから確証はなかったけれど、話すうちに芽生える黒い感情の理由がやっとわかった。
この女はきっと、最初から知っていたのだ。私が、愛した男の娘であることを。

「バカじゃないの。死んでも父のところへなんか行けないわ。あなたは地獄に落ちるのよ。父が母よりあなたを愛していたなんて、本気で思ってる? ただの遊びだった、許してくれって、墓の前で泣いていたわ。私はあなたを殺さない。あなたとは違うもの」

きれいな夕陽を隠すように、カーテンをピシャリと閉めて、私は速足で病室を出た。
もう会うことはないだろう。

彼岸花が、急斜面を赤く染めている。高台の墓には、父と母が仲良く眠っている。
父が本当に愛していたのが誰だったかなんて、そんなことはどうでもいい。
私は手を合わせ、あの女が天国に行かないことだけを祈った。

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公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。課題は「彼岸」です。
最近は佳作にも選ばれなくなりました。
最優秀作品、面白かった。こういうのを私も書きたかったな。


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